恋は選択です 〜敵国へ行った姫様の恋のお話〜
「キャンディス。行かないでよキャンディス」
懇願する彼に、私はどうしてやることもできない。
だってこれが私の運命なのだから。運命には逆らえない、たとえ姫でさえも。
「心配しないでくださいまし。私はいつでもあなたのことを想っていますから――」
そう微笑みを残し、私は衛兵たちに連れられて城を出る。
「待って」と声がするが、私はそれをあえて無視した。返事をしたら辛くなってしまう。
きっと彼と再び会うことはできないだろうけど、彼を愛しているこの気持ちは本物だ。
「さようなら、ミック」
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私はA王国の姫、キャンディス。
たくさんの兄様や優しい父母に囲まれて、十七になる今日まで幸せに暮らしていた。
私には好きな人がいた。それが彼――ミックだ。
彼は男爵子息という、貴族にしては低い身分でありながら私とは幼馴染。将来は騎士になって私と結婚するんだと言っていたっけ。
懐かしい記憶だ。
でも、そんなことにはならなかった。
我がA王国に向かって、隣国のB大帝国が姫を寄越せと要求してきたのだ。
父王はとことん抗った。帝国の半分くらいほどの大きさしかない小国でありながらも必死に戦ったのだ。
しかし情勢がかなりの劣勢になった。多くの民に犠牲が及んだ。
そこで王は悩んだ末、堪忍して私を突き出すことに決めたのである。
――私は当然不満はあった。
ミックとの結婚の約束は? 城での生活は? 帝国へ行って、タダで済むとは思わない。
けれどどうすることもできなかった。民のために身を捧げる、これが王族ではないのだろうか。
だから私は止めるミックを振り切って、なんとか城を出た。そのまま兵隊の護衛に囲まれて大帝国との国境へ向かう。
帝国軍の男たちが、私を待っていた。
「よぉお姫様。ノコノコとお出ましじゃねえか」
「なるべく丁重に扱ってやらぁ」
「最後に王国に別れでも言っときな」
そんなことを言いながら、乱暴に私の腕を引っ掴んでB大帝国の軍用車に乗せ込まれる。
今まで姫様として慕われていたこの国を離れるのは嫌だけれど、仕方ない。
私は言われた通りに別れを告げ、帝国軍たちと王国を立ち去った。
衛兵たちが少し寂しげに私を見つめていたが、私はあえてそれを喜んでいるのだと思い込むことにした。
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「ミック……」
彼との思い出が胸に湧き上がるのを抑え切れない。
一緒に笑った日々、過ごした時間。
まだ本当に付き合ってはいなかったけれど、互いを好きだったし恋していた。
愛し合う男女が引き裂かれる。それも、顔も知らぬ相手によって。
軍用車は進み、とうとう帝国の城までやって来た。
車を降ろされ、軍人たちの真ん中で小さくなり歩く私。すごく惨めな気持ちになった。
「でも屈したら、それで終わりですもの。心だけは清くあらねば」
実は私は、父から一つの任務を課されていた。
なんと、B国の皇帝を抹殺せよというのだ。
確かに帝国へ渡った以上、どうせ散るであろうこの命。せめてもの相手にダメージを与えてやろうという戦略はわかる。が、それはあまりにもキャンディスには荷が重い。
しかしやらなければ。それが父王からの最後の願いなのだから――。
城の中に入ると、そこには軍人の大男がいた。
彼は無言で私の体を担ぎ上げると、どこかへ連れて行く。
私は抵抗したが、下ろしてくれなかった。
やっと地面に降り立つことができたのは数分後のこと。
ぐらつく足でなんとか体を支える。その時、声がした。
「これがA王国の姫か。ふん」
声の方を見ると、そこには豪勢なローブを纏う男がいた。きっと彼がこの国の長、皇帝なのだろうと私はすぐに理解した。
「大人しく来たことは褒めてやる。名乗れ」
「わ、私はキャンディス……ですわ。皇帝陛下」
彼こそが暗殺するべく相手。
見上げてみたが、そんな気にはなれなかった。どうして姫が人殺しをしなければならないの?
でも命じられたのだ。絶対にやらなければ。
私がそう考えているとは知らずに、皇帝はこんなことを言った。
「貴様は今しばらく部屋でこもっていろ。じきにこちらの意図もわかろう」
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部屋は意外にも立派な装飾がなされていた。ベッドも快適だし、まるで客人用の部屋であるかのようだ。
「私をどうするつもりなんでしょう……?」
人質にするのか? と思ったが、それならば最初からA国を滅ぼしておけばいいだけの話だ。
皇帝の思惑が理解できない。一体どうして、敵国の末姫などを戦争までして欲しがったのだろう?
食事はちゃんと運ばれてきた。なんと美味しかった。
毒が入っているわけでもない。ますます不可解である。
一人首を傾げていると、突然部屋のドアが叩かれた。
「はい、どちら様?」
「皇子へルパシオだ。拒否はできない」
そう言いながら入ってきた人物は、年若い青年であった。
品のいい顔つき、高級な礼服。かなりの美男子だ。
だが、彼が口にした言葉は聞き逃せるものではない。
「皇子って、このB大帝国の?」
「そうだ。それも第一皇子。恐れ慄いたか?」
敵国の男、それも皇帝の実子。
一体私に何をしでかすつもりなのかと私は身構えた。
しかし――。
「そう強張る必要はない。俺はな、キャンディス姫」
ヘルパシオ皇子は笑うと、一言、
「お前を嫁にしたくて、待っていたんだからな」
と言った。
わけがわからない。私を嫁にって、つまり……?
「お前の噂は聞いていた。そして噂通りの麗しさだ。黒の髪、細い体。俺好みである。故に、俺と結婚してほしい」
「……」
冗談でも言っているのだろうかと思ったが、彼の瞳は至って真剣。
しかし私としては、狐につままれたような感覚だ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいませ。私を好きと、そうおっしゃるのですか? どうして? そんなことのために戦争を?」
「そうだ。何かおかしいか? 最初からこちら側は話を持ちかけた。それを極度に拒み、思い込みで戦争を続けたのはA王国の方であろう。勘違いするな」
寝耳に水。まさにそれだった。
「え、ええと。私はあなたと初対面ですわ。なのに結婚なんて……」
「そうか。初めてだから俺を好きになれぬと。一目惚れすることを確信していたのだが、それは間違いであったらしい。しかし俺はお前を逃す気もない。故に、好きになるまで待つとする」
早口でまくし立てると、「ではまた」と言って皇子は去ってしまった。
私は呆気に取られたままでそれを見送ることしかできないのだった……。
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あれから幾日が経ったろうか。
残してきたミックのことを思い出す度に胸が痛む。また会いたいと何度も何度も夢に見た。
一方覚めると朝から晩までヘルパシオ皇子が部屋にやって来て、話しかけてくるようになった。
「お前はどんな風に生きてきたんだ?」
「好きなものは?」
「何をしたい?」
「どうして俺に振り向いてくれないのだ?」
「俺の英雄譚が聞きたくないのか?」
「我が国のことをどう思う?」
「俺を好きになったか?」
などなど、嵐のような質問責めが毎日毎日だ。
「…………」
鬱陶しくなって無視していると、皇子がこちらへ寄ってきて――、「聞こえてるのか!?」と、すぐ耳元で叫んだ。
「きゃっ」
驚き、私はキンキンとなる耳を押さえて彼を見上げる。
「な、何するんですか!」
「いや、聞こえなくなってしまったのかと思って。お前、返事していなかっただろう」
どんな勘違い野郎なのだろう。ツッコミを入れる気すら起こらない。
「あの……ですね」
仕方なしに、私は恐る恐るではあったが、話すようになった。
最初はぼちぼち。いつの間にか会話が増えていた。
「俺はお前を悪くする気はないんだ。それはもちろん、強引な手を使ったのは悪いと思ってる。でも俺は、お前のことが好きで好きで仕方ないのだ」
日々愛を囁きかけられる。
なのになぜ私はそれを受け入れてしまっているのだろう?
本当なら皇帝を抹殺する予定だった。まとめて皇子までも殺れと父には言いつけられていたのだ。
だがしかし、私はどうしてもそれが実行に移せなかった。今まで淑女としての教育を受けていたのもあるが、それだけではない。
二人がいい人だと、知ってしまったからだ。
皇帝は厳しく頑固者だし偉そうだが、私を気にかけてくれているし環境なども整えてくれる。
国民のことも考えている姿がわかるし、色々と共感できた。
皇子――ヘルパシオも、傲慢でちょっぴり意地悪だけど、優しい人なんだと知った。
「殺すことなんか……できませんわ」
ミックのことが恋しい。
そう思う反面、ヘルパシオ皇子に惹かれ始めている自分にも気づいていた。
私は一体、こんなところで何をしていますの?
自問自答の日々は続く。
何をしたらいいのだろう。皇子の求めに応じていいのか。でもミックとの約束は。父の言いつけは。
何も、わからなくなっていた。
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異変は突然だった。
私は鳴り響く警報の高い音で目を覚ました。
「……?」
起き上がり、ベッドから降りる。
しかし私は監禁状態。ドアには鍵がかけられており、外に出ることはできない。
どうしたのだろう。気を揉むことしかできない自分がもどかしかった。
そこへ、バタンと扉が開いて誰かが現れた。
悲鳴を上げそうになったけれど、すぐにわかった。なんてことはない、皇子ヘルパシオである。
「皇子様、どうしたのですか? なぜに警報が?」
「大変だ。……侵入者が現れた」
侵入者。そう聞いて私は驚愕した。
強固な警備が施されているであろうこの帝城に、忍び込もうなどと思い、それを成せるような輩が実在するのか?
「とにかく今、父上が指示を出している。お前は俺が安全な場所に……」
その時だった。
彼のすぐ背後に、人影が見えたのだ。
そしてその人物が手にする銀色に光るそれが、皇子の首に近づいて――。
「危ないっ!」
私の悲鳴の瞬間、ヘルパシオが寸手でしゃがみ込んだ。
直後、頭の上――虚空を銀色の輝きが通り過ぎる。だがそれは壁に突き刺さり、ポトリと落ちただけだった。
「何者ですの!?」
叫び、そちらを睨む。
暗黒からのっそり姿をあらわにしたそれに――、彼に、私は目を奪われてしまった。
だって、その人物は。
「ミック……」
幼馴染であり私の想い人、A王国男爵子息のミックだったのだ。
「キャンディス。待たせたね、でも僕が来たからもう大丈夫だよ。その男を殺して、一緒にA国へ帰ろう」
そう言って隠し持っていたのであろうもう一本のナイフを抜き出すミック。
しかし私は慌ててそれを制した。
「す、少し待ってください。助けに来てくれたのは嬉しいですわ、でも」
「俺を殺そうなどと愚かな考えを。お前、何者だ」
ヘルパシオとミックが向かい合い、火花を散らす。一触即発だ。
「名乗る必要もないね。姫を攫って監禁した悪人は、僕の手でケジメをつけてやるよ」
どうしよう。
どうしたらどうしたら、と私の中でぐるぐると思考が巡る。
結局その答えは出ないままだ。が、彼ら二人の衝突はダメだと私の本能が確信していた。
「お、落ち着いてください! 私は――」
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「キャンディス。洗脳されたのかい? だってA王国を滅ぼさんとしたB大帝国の、それも皇子に恋心を抱くなんて……!」
色々な感情がないまぜになった表情で、ミックはそう叫んだ。
彼の怒りもごもっともだった。
しかし、
「王国の男爵風情が何を吐かすか。俺はもとよりこの姫のことを好いていた。故にこの国まで呼び出したまでだ」
「違う! 僕は騎士だ! 騎士になったんだ! それに、君なんかよりもずっとキャンディスを愛してる。だからわざわざB国まで」
しばらく口論が続いたが、ミックがこんなことを言い出した。
「なら、キャンディスに決めてもらえばいい。僕と君のどちらを望むにしても、僕は彼女の意思を一番に尊重したいよ」
「……ああ、いいぞ」
私は困り果ててしまった。
私に権利が渡された。恋は選択なのだと、亡き母親が言っていたのを思い出す。今私は、その決断を迫られているのだ。
もちろん、ミックのことが大好き。きてくれて嬉しいと本当に思うし、王国に帰って彼とまた一緒に過ごしたい。
その一方で私はヘルパシオ皇子に恋焦がれている自分を知っていた。彼と唇を重ねたい。愛を囁き合いたい。
どちらか一つなんて、選べない。
でもどうしても、本当にどうしても選べと言うならば。
私は、覚悟を決めた。
「ミックのことが好きです。とてもとても。人がよくて、私のことを思ってくれて、いつも傍にいたいと考えてくれる、ミックが好きですわ。……でも」
二人の青年がごくりと唾を飲む音が聞こえた。
私は続ける。
「ヘルパシオ皇子を愛しています! 強情でキザでうるさくて面倒臭いけど、優しくて暖かいんです! 私は友情と恋心が違うことを知りました。ミックに抱いているこの感情は友情で、皇子に抱く気持ちが恋心なのだと。ですから」
そして、言い切った。
「私と友達でいてくださいミック! 私と結婚してくださいヘルパシオ!」
頭を下げる。
どちらとも仲良くしたいだなんてこと、自分勝手だし都合がいいことくらいわかっていた。しかしこれが私の本心で、私の願いだから。
二人は沈黙する。
そして――、
「やったぞ! 今お前、俺のことを愛してると言ったな? 誠だな? 嘘ではないな? やったぞ。ありがとうキャンディス。やはり俺の目に曇りはなかった、お前は最高の女だ」
一方のミックは、肩を落とす。
泣き出すかも知れない、怒り出すかも知れない。そう思ったが、意外にも彼が見せたのは安堵の笑いだった。
「君がそれを願うのなら、僕は一向に構わないよ。もちろん残念ではあるけどね。……僕は君とずっと友達だから」
私は彼らの言葉に、泣いてしまった。
泣いて泣いて泣いて、夜が明けるまで泣き腫らして、晴れやかな気分で朝を迎えた。
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花嫁衣装を纏い、私は壇上を進む。
純白のドレスが天窓から差し込む陽光に煌めき、なんとも美しい。
観客席から歓声が上がる。そして、向かい側からヘルパシオ皇子が歩いて来た。いつもよりさらに綺麗な礼服を着こなしている。
湧き上がる熱気。そこへ司会の声が割って入った。
「――司会のA王国の騎士代表、ミック」
ミックが司会者席で声を張り上げる。
今日挙式があると聞いてB帝国に残り、わざわざ司会者に名乗り出てくれたのは彼自身だ。やはり私の式を祝いたいと思ってくれたに違いない。
「では新郎。君は姫を決して裏切らず、愛し続けると誓うかい?」
「姫を裏切るなど笑わせる。俺はこの命尽きるまで彼女を愛すだろう」
続いてミックの視線が、私に向けられた。
「キャンディス。君はヘルパシオ皇子とうまくやっていけるかい? B帝国で一人心細くないかい? 大丈夫かい?」
元々用意されていたセリフとは全然違うし、彼の心配が色濃く見える。
けれど私はゆるゆると首を振った。
「ええ、もちろんですわ。……例えお父様や国の者たちに愚か者と罵られようと、私は私の道を行きますもの」
皇子と手を繋ぎ、私はそう言った。
ミックは深く頷いて――宣言をする。
「ここに両者の結婚は成った。君たち二人に祝福あれ!」
嵐のような拍手と声、声、声。
私はその中で、喜びに微笑んだのだった。
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あれから何年が経ったろう。
私は今も、B大帝国で皇子と一緒に過ごしている。
あの結婚式以来、ミックとは会っていない。彼はA王国で騎士として頑張っているのだろう。
時たま会いたくなることもある。でも大丈夫、彼とは心で繋がっているから。
午後の公園。
私はヘルパシオと横並びになり、庭園を眺めている。
まだ咲いていない蕾を指差しながら、「もうすぐですね」なんて笑い合いながら。
「こうして過ごす日々が、私にとっては一番の幸せです」