6.青毛鹿の移動を待ってみよう
リロイにどう思われているのか。気になったけど聞けるはずもない。
昨日の狩りの帰り道に、ピナから「押してばかりじゃダメよ。たまには引いてみたら?」と助言ももらった。
押してるか私を睨んでるかしか印象にないピナは私の知らないところで駆け引きめいた事をしていたらしい。
でも、リロイが滞在する日数は残り十日ぐらいしかない。引いてる時間なんてあるんだろうか。
押すべきか、引くべきか。その加減が難しい。
そもそも引くってどうするんだろう。距離を置くんだったか。
いや、無理じゃん。この嬉し恥ずかし新婚生活を止めろと?
やだやだ。朝から夜まで口説き放題だよ?夢の環境じゃん。
リロイが口にする食材を調達して、お義母さんと調理までするんだよ。しかも、好みの料理や味付けまで教えてもらえる。さらにさらに、たまにリロイが作った料理が食べられる特典付き。美味しすぎる。二重の意味で美味しすぎる。
この環境を手放す事ができようか。いや、できない。
ならば、家の中で距離を取る。
それって意味無くない?何の為の新婚生活よ。
新婚早々家庭内別居とか悲しすぎる。
そんな事したって、リロイはなんとも思わないかもしれないのに…。
あ、ダメだ。ちょっと凹む。想像だけでも凹む。
「何やってるんだ」
部屋の壁に張り付いていたら、リロイから呆れた目で見られた。
そういう顔も似合う〜。好き。
…じゃなくて。
「おかえり。どしたの?今日は早いね」
「青毛鹿の移動とかち合ったから、明日まで休む事になったんだ」
「もうそんな時期なんだ。青毛鹿は長い列で移動するから明日までは様子見た方がいいよ」
「なるほど。分かった、ありがとう」
リロイから、ありがとうの微笑みを頂きました!
こんな事で良ければいつでも言って。
お礼はハグとちゅーでいいからっ。
「リロっ……」
両手を広げて抱きつく気満々だったけどハタッと気がついた。
この押せ押せ感がダメなんじゃないだろうか。
そうだ。この流れで、抱きついて口説くと怒る確率が高い。
マゾじゃないんだから、怒られたくはない。でも、怒ってるリロイもカッコいい。
急速に萎んでいく勢いのまま両手も頭も下がる。
うー、がまん。
「ユーリー?どうかしたの?」
「ううん。なんでもないっ!大丈夫」
心配かけたいわけじゃないので、慌てて首を振る。訝しげに眉根を寄せた表情も好き。
でも我慢。
くっ、抱きつきたい。その細い体を抱きしめて堪能したい。
我慢。我慢だ。
「私、ちょっと出かけてくるね」
「え?おい、ユーリー」
リロイの言葉を待つ事なく再び山へと向かう。
装備は外してなかったから問題はない。
ちょっと頭を冷やそう。
あてもなく慣れた道を突き進んで行くと、前方に大勢の獣の気配がした。
風下に立ちながら慎重に進めば、青毛鹿が数頭草を食んでいるのが見えた。よく見れば奥の方にも数頭いる。
短い夏を追ってゆっくりと移動して行くのだ。
やはり、明日までは休んだ方が良さそう。帰ったらリロイに教えてあげよう。
気取られないように移動していると、前方に見たことのある筋肉を見つけた。
名前なんだっけ。塔の護衛の一人だ。
向こうも私に気がついたみたいで、軽く手を上げると近づいてきた。
「よお。あんたも偵察かい?」
「いいえ。ただの散歩よ」
男の視線が顔から胸に下りて、さらに腰に止まる。
酷く不愉快な視線。
何こいつ。キモ。
「じゃあね」
さっさっと帰ろうとすれば、背後から二の腕を掴まれた。咄嗟に振り払おうとしたが、力が強くて外れない。
悔しいが、瞬発力じゃ勝てても、腕力じゃどうしたって男には勝てない。
「そんなに急がなくてもいいだろ?ちょっと楽しんでいこうや」
粘っこい声が気持ち悪い。
掴まれた腕は解放されたが、変わりに肩を抱かれて引き寄せられた。肩から伸びた手が私の胸に触れようとする。
最悪。
腰を落として下に逃げると、すかさず奴の脇を抜けて背後へと逃げる。いきなりいなくなったせいでバランスを崩したが、無様に転けることはなくなんとか堪えたみたい。
すぐに振り返って、距離を取った私を一瞬だけ睨んだがすぐにへらりと笑う。
「おいおいそんなに警戒するなよ。仲良くしようぜ」
「仲良く?冗談でもご免だわ」
「あの学者と毎晩ヤリまくってんだろ。あんな奴より俺の方がよっぽどいい目見せてやれるぜ?」
やに下がっただらしない顔で下品な仕草をされた挙句に、リロイを馬鹿にされて、キレた。
「は?鏡見てから発言しろや、このボケカスが。顔も性格も惨敗の筋肉バカのお前と私の旦那様を比較する事さえ烏滸がましいわ。その下世話な頭ん中捨てて落ち葉でも詰め込んでろっ。この××××野郎がっ!!」
ノンブレスで言い切った。
言いすぎた?でも、後悔はない。
目の前の男の顔が怒りで真っ赤に染まっている。
「言わせておけば、このクソアマがっ!!」
掴みかかろうと伸ばした手を横へと回避する。
そのまま走って逃げようとしたが、思ったよりも俊敏だったらしく手首を掴まれた。
力任せに引き寄せられて、背中から抱き込まれる。
むわっと臭う汗と体臭に顔が歪む。
「黙ってれば天国にいけたのにな。減らず口が叩けないほどぐちゃぐちゃにしてやるよ」
手首を掴んでいない手が私の顎を掴むと上へと上げられた。
この筋肉バカは、体臭も最悪だけど口臭までする。もう喋るな。くっさいわ。
片足をそろりと上げて思いっきり踏み下ろした。奴の足の甲めがけて。
こういうのを想定していた訳じゃないけど、私の靴はつま先と踵に岩竜の爪を付けている。スパイクみたいな感じ。
上がった悲鳴と共に緩くなった拘束から抜け出して反転する。トドメに片足を振り上げて奴の股間を蹴り上げる。
うげっ、気持ち悪っ。
偵察の為の簡易装備だったのが仇になり、クリティカルヒットしたソコを両手で押さえて蹲って悶絶している。
ざまぁみろ。
口を聞くのも気持ち悪いので、親指を下に向けるジェスチャーだけ残して走って帰った。
あー、もー、最悪。
鼻が曲がってる気がする。
お風呂入りたい。
家の前にリロイがいた。
薪を切る切り株に座って本を読んでる。
リロイの周囲の空気が澄んでいる気がする。まさかリロイは歩く癒しスポット!?
私限定でお願いしたい。
足音に気がついたリロイが顔を上げる。本を閉じて立ち上がる一連の動作が美しすぎる。
「ユーリー」
高くなく低くない耳に心地よい声が私の名前を呼ぶ。
「リロイっ」
感極まって無防備なその胸に抱きつく。
引く?我慢?なにそれ。
リロイを前に我慢するとか、バカか私は。
「リロイ、リロイ、リロイっ」
抱きしめて肩に顔を埋める。
ちょっと草っぽい服の匂いと、リロイの匂いがする。あー、好き。
細いけど、ちゃんと男の人してる体格も好き。
困ったように息を吐いて、頭を撫でてくれる大きな手も好き。
「リロイっ!お風呂行こう!私、汚れてるから、今すぐ行こうっ!」
あいつに触れたところを洗い流して、リロイで上書きするんだ。
自重とか我慢とか止める。
やっぱりリロイに「好き」って言いたいし、抱きつきたいし、あわよくばちゅーしたい。
「まったくもう。ユーリーは…」
呆れながらも微苦笑して頭を撫でてくれる。
なに、その顔もう一度。
仕方ないなぁって微笑むその顔、もう一度。
なんでこの世界にスマホもカメラも無いの。永久保存したい。夜な夜な再生して堪能したい。
「リロイ、大好きっ!」
離れる前にもう一回匂いを嗅がせて。
お読みくださりありがとうございます。
次話は翌日6時です。