6 ヒーローと中二病
(悪魔だけじゃないんかよ……ッ)
――そう言えば。ジャックが言っていた。魔界から漏れ出す瘴気が、人を狂わせると。
(これか……!)
思えば。街の治安がどんどん悪くなっていったのも、「タガが緩んでいった」というのと関係があるのかもしれない。だとしたら――今日だけのことじゃない。全部自分のせいだったのだ。
(それって――最低じゃんか……ッ)
自分がやっていたのは、人助けでもなんでもない。自分で落とし撒いた種を、そうと気づかず必死に刈り取っていただけなのだ。
「――っく!」
一本槍が、左右の手に持った拳銃を悪魔に向かって撃ちまくる。それは悪魔の頭に食い込んだが、それだけだった。
『バカな人間だ。こんなもん効くか――よ!』
悪魔が腕を一振りしただけで、風が起こり一本槍の軽い身体が吹っ飛ぶ。
「がはっ!」
ロッカーに身体を打ちつけ、苦し気な声を上げる。が、それでもアノニマスはギロッと悪魔と変質者を睨みつける。
(どうして……)
ジャッコランと違い、彼女は身一つなのに。アノニマスだなんて言ったって――結局あのは、ただの中学生で。まだ自分と同じ子どもでしかなくて。普段は、単なるクラスメイトで。
アノニマスと公園で戦ったとき。彼女の動きはとにかくすごかった。速く、正確で、力強く――おまけに拳銃まで扱えるとなると、一体どんな訓練を受けているのか知らないが、とにかく「ヒーロー」としての適性があるんだろう。
でも――それだけだ。どんなに訓練をしたって、人間でしかない。
それなのに。どうして、怖くないのだろう。どうして、逃げ出さないのだろう。かないっこないのに――どうしてまだ、諦めない目をしていられるんだろう。
「……ッ」
近くに転がってきたイスを掴み、思い切り投げつける。変質者を狙ったそれは、当たることなく近くに落ちただけで――そしてその場の全員が、広弥に気がついた。
「なんだぁ……まだガキがいたんかよ」
変質者が、ニヤニヤとナイフを片手にズカズカ歩いてくる。膝がガクガク震える。怖い――当たり前だ、怖いに決まっている。あんなデカいナイフ、刺されたら一たまりもない。
「や、あの。ボクは……ッ」
後退りながら、ちらっとアノニマスを見る。彼女も驚いた顔でこっちを見ていて――。
(ダメだ)
慌てて視線を逸らし、心を奮い立たせてじっと変質者を睨みつける。
(ボクが、助けに来たのに――助け求めてどうすんだッ)
「こ、来いッ! オマエなんか……ボクが、や、やっつけて……ッ」
言い終える前に、腹を蹴り飛ばされる。つま先がぐりっと内臓を抉った感覚がした。
「あが……ッ」
「クソガキが。弱っちいクセに、イキりやがって。泣いてまちゅかぁ? ボクちゃぁん」
「ぐ……う」
お腹が痛い。気持ち悪い。足にも手にも力が入らない。それでも――這うようにして、変質者の足に組みつく。
「なんだぁこいつ……」
「うる……さい! なんにもできないのも、弱い……もの、分かってるんだよッ! でも……でもッ」
反対の足で何度も踏みつけられながら、かすむ目でアノニマスの方を見る。
「逃げろ一本槍……! ボクだって……ボクが! こんなヤツらやっつけるからッ」
「お……まえ。なにを言って……わたしに、逃げろ、だと――ぐっ!」
よろりと身体を起こしかけたアノニマスを、悪魔が腕だけ伸ばし、思い切り壁に叩きつけた。手首をつかまれ、まるで壁に磔にされたような格好だ。
「一本槍……ッ!」
「く、そ……バケモノめ……っ! この程度で、わたしが負けると思うな……ッ」
アノニマスはなんとか動く足を伸ばし、悪魔の腕を蹴り上げようとしているようだった。届くはずもなく、切り傷から血がぱらぱらと落ちる。
『しぶてぇ女だなぁ。メインディッシュにしてやっから、大人しくしてろって言ってんのに。暴れるから傷だらけになっちまったじゃねぇか。喰いモンは汚したくねぇタイプなんだけどなぁオレ』
悪魔はそうしみじみとした調子で言うと、腕はそのままに、広弥の顔をぐんっと覗き込んできた。
『んで――このガキか。なんかクセェと思ったらジャックに騙された人間かよ』
悪魔の裂けた口が、にぃっと持ち上がる。
『バカだなぁ。バカなりに、自分だけさっさと逃げりゃ――二、三日くらいは生きながらえたかもしんねぇのによ』
「あああああぁぁあもう死ねよカスがぁ」
変質者が、ナイフを振り下ろしてくる。「止めろッ」――そう、アノニマスの叫び声が聞こえた気がした。
鋭い刃先が眼前に迫ってくるのが、不思議とゆっくりに見える。広弥はそれに、震える腕で拳を放った――意味はない。空っぽの手を握り締めただけの、弱弱しい拳だ。こんなもの、当たったところで意味はない。誰もやっつけられない。誰も守れないかもしれない。それでも――最後まで戦えもしない自分は嫌だった。抗いたかった。――守りたかった。
「――ッ」
拳が、ぶわっと熱くなる。刺されたのかと思った。刺された傷が、痛みで熱いのだと。
だが。
「なんだ、これ……ッぎゃ!」
変質者の悲鳴が聞こえた。次いで、もっと激しく悪魔の悲鳴が。
『ぁああああッ! 燃える……燃え……ッ』
のたうちまわり、炎に巻かれている悪魔の姿をぼんやりと眺め――。
気がつくと――身体が軽く、痛みも消えていた。
「あ……れ?」
起き上がる。悪魔の腕が離れ、床に落ちたアノニマスが、あんぐりと口を開けてこちらを見ていた。
「おまえ……それ」
「え?」
ようやく自分を見下ろすと――真っ白な炎に包まれていた。そして熱さを感じた拳――左手が、激しく光っている。
「これ……」
――これはまぁ、危険なモノなのだが。豪太になら特別に見せてやっても良いかな。
そう、ニヤニヤと豪太に見せびらかしたことを思い出す。
それはまさしく、広弥がデビアンの紋章を描いた部位だった。
「まさか……本当にデビアンの力が……!」
『キサマーッ!』
すごい勢いで、窓から教室へ突っ込んできたのはジャックだった。しかも、元のカブ頭人形の姿に戻っている。
『またワレの力を奪ったなッ? 一体どういう――いぃッ⁉』
ギョッとした顔でこちらを見ると、ジャックは慌てて広弥の手を覗き込んだ。
『き、キサマ……いつの間にルーン文字をッ』
「ルーン文字……あ」
そう言えば、この模様を真似して描いたとき。自己流にアレンジしてネットで調べたルーン文字を描き込んでいた。
「それが、なんだって言うんだよ」
『ルーン文字はそれだけで力を持つ文字なのだ……キサマが落書きする分には単なる模様でしかないが……この数日間、魔界の扉を開くほどの膨大な魔力を、その身体を通して吸ったとなると……』
表情の変わらないカブ頭でも、焦っているのが分かった。
「――へぇ」
広弥がスマホで調べ描いたのは、「ニイド」と読むルーン文字だった。「死に面したときに抗い、生き延びようとする力」を意味するというそれは、単にカッコいいと思い選んだのだが。
ちらっと、一本槍を見る。混乱した顔をしている彼女に、ふっと微笑みかけた。
「――ごめん」
「え……?」
きっと、ワケが分からなかっただろう。それでも、謝らなければならなかった。彼女の怪我は、自分が騙されなければつかないものだったのだから。味わったであろう恐怖も、全て、自分の弱さのせいなのだから。
だから――自分が、終わらせなければ。
窓から外に出る。
不思議と、やるべきことは分かった。それもまた、ルーンの力なのかもしれない。ジャックの悪魔の力が、ルーン文字を通して浄化され、集まっていく。
「ニイドのルーンは……炎による浄化。そして――追放!」
手に、白い炎が集まってくる。
『お、オイっ! 止め……ッ』
「っだぁ!」
白い火球は巨大に膨れ上がり、「赤い月」へと勢いよく飛んで行った。そして、悪魔たちを巻き込んで命中する。
『うわぁぁっぁああああああッ!』
ジャックの悲鳴が聞こえる。浄化の炎にまかれ、扉が消え去る。月に見えていたそれは、あっけなくフッと消失した。
同時に――広弥の姿も、元に戻った。身体がどっと重くなり、よろけかける。
すぐそばで、『くそぉ、くそぉ』と、ジャックが呻くのが聞こえた。
『ワレの……せっかくの、ワレの居場所がぁ……っ』
「あ――」
ジャックの身体が、ぽろぽろと崩れ、消えていく。思わず手を伸ばしかけ――ぐっと唇を噛み締め、堪えた。空のあちこちで、同じように黒い塵が、風に舞って消えていった。
「なんだったの……一体」
よろよろと歩いてきたアノニマス――一本槍が、窓からこちらを見下ろしてくる。
「……ハロウィンだから、悪魔がやってきたんだよ」
ぼそりと答える広弥に、一本槍は「はぁ?」とだけ呟き。
「……あんた、そのままだと公然わいせつ罪で、警察にしょっ引くよ」
「うげっ⁉」
見れば、炎で焼け落ちたのか、確かにいつの間にか素っ裸だ。それなのに不思議と、火傷一つない。
「い、一本槍だって、銃なんか持ってて……そっちの方が重罪だろ!」
「アレはモデルガンだもの。改造はしてあるけど」
「絶対、違法改造だろ」
「それより、怪我人助けないと。腰に布でも巻いて、さっさと手伝ってよ」
いたたた、と呻きながら教室の奥へと戻る一本槍。
その後ろ姿に、「――なぁ」と声をかける。
「なんで、ヒーローなんてやってるの」
「――決まってるじゃない」
少しだけ振り返った一本槍が、にやりとするのが見えた。
「まぁいろいろあるんだけど――一番の理由はね。カッコいいから!」
そう傷だらけの拳を振り上げる一本槍は、確かにカッコいいなと。そんなことを、ふと思った。
***
「ねぇ、来月はみんなでクリスマス会しようよ! 調理室でケーキとか作ってさぁ。うち、トッピングとかめっちゃ用意するし。あ、あとプレゼント交換もしよ!」
教室の真ん中から、はしゃぐ声が聞こえてくる。
すっかり街は、元の治安の良い呑気な場所へと戻った。――というのは、毎晩パトロールしているという、とあるヒーローの言葉だ。
「平和なのは、良いんだけどね」
そう言いながらも、少し不服そうなのにはなんだか笑ってしまった。
ただ、それによって機嫌を損ねたヒーローにより、今度の土日の夜は広弥までパトロールに付き合うことになってしまった。全く、横暴としか言いようがない。上級貴族には所詮、下級市民の心など分からないのだ。
――そう本人に言ってみたら「なんなのそのバカみたいな区切り」と一蹴されてしまった。
「勝負はわたしが負けたんだから、あんたにはヒーローを続ける義務があるのよ」
そう言う彼女と、教室で口を大きく開けて笑う彼女は、一体どっちが本当の彼女なのだろうか――それはまだ、よく分からない。
「ねぇ、萬狩くん……クリスマス会だって」
豪太が、後ろの席からいそいそと話しかけてくる。
「ぼ、ぼくらもなにか、用意した方が良いよね?」
そう目を輝かせる豪太に、「そうだなぁ」と広弥は笑った。
少なくとも、父親の物置を漁るのは、もうこりごりだった。
ちらりと、はしゃぐ一本槍を見る。一本槍もこちらを見て、にかりと笑った。
どうせ――週末は夜に出かけるのだ。
「ボンキにでも寄って、なんか買って来ようかな」