1 中二病だってヒーローになりたい!
「来週のハロウィンは、みんなでコスしよーよ」
そんな声に、広弥は思わず友人と顔を見合わせた。
話し声は、教室の中心から聞こえてくる。いわゆる「パリピ」なクラスメイト達――広弥から言わせれば「|スクールカースト上位者《上級貴族》」達だ。皆やけに毎日楽しそうで、なんというか無駄に腹立たしい連中だ。
その中でも、リーダー格のような存在が一本槍ミオだった。「校則なんて関係ない」とでも言うような格好で、短いスカートなのにも関わらず机の上で脚を組んでいる。見ていて、非常に危うい。先程の発言は、彼女のものである。
「萬狩くん……コスプレだって」
広弥にとって数少ない友人である豪太が、分厚い眼鏡ごしに、名前に反した弱弱しい視線を向けてくる。教室の隅で、大柄なはずの身体を小さくして、ぼそぼそと話す声はいかにも不安げだ。哀れな友人のためにも、広弥は「ふん」と逆に小柄な身体をふんぞり返らせた。
「気にするな。ヤツらが言う『みんな』に、カースト最下位は含まれない」
「そ、それもそうか。そう言えば萬狩くん、その包帯どうしたの?」
豪太に訊ねられ、思わずにやりとする。左手にぐるぐると巻いた包帯。それをこれみよがしに、顔の前まで持ち上げてみせる。
「これはまぁ、危険なモノなのだが。豪太になら特別に見せてやっても良いかな。……ほら」
チラッと包帯をめくると、左手のひらには赤黒い文様がびっちりと描かれている。豪太は大げさなくらい語気を強め「すっごーい!」と唸った。ただし、声は小さいままである。
「それ、萬狩くんが好きな『魔術ヒーローデビアン』の紋章でしょ? アレ細かいのによく書いたねぇ……」
「んんっ。まぁ、出てくるコマによって細かいデザインが違ってたりするんだけどな。ボクは記念すべき一巻の表紙に描かれているのを参考にしつつ、独自解釈を加えたりな……ホラ、ここがルーン文字なんだ」
「へぇ、ほんとだ! よく分かんないけどカッコいい!」
褒められれば悪い気はしない。思わず「むふっ」と息をこぼしていると、豪太が「ヒーローはカッコいいよなぁ」とニコニコ言った。
「ぼく、もしコスプレするならヒーロー系が良いな。アメコミっぽいやつ」
「あぁ、豪太がしたら迫力出そうだな」
「そうかなぁ……。あ、そう言えば最近、本当にヒーローが出るってネットでニュースになってたよ。見た?」
「あぁ。アレだろ、全身赤いスーツの……戦隊ヒーローみたいな」
言いながら、広弥はスマホで画面を表示させた。『真夜中の街にヒーロー現わる!?』と見出しがつけられ、夜のビル街を映した写真が貼り付けられている。そこには小さく、バイクで去って行く、赤い後ろ姿があった。
「『横転事故を起こしかけた車を、突如現れた、顔まで赤いスーツで覆った人物が支え戻したと、目撃者が語っている』『なお、事故は飛び出してきた猫を避けるためだったと運転手は証言している。幸い猫は無事』と。……これはアレだな。きっと人間界を滅ぼすためにやってきた魔族が、人間に化けて過ごすうちに情が移り、ヒーローとして活動することになったパターンだな。スーツの色は地獄の表象で、その下には醜悪な魔族としての顔が隠されているわけだ」
「この目撃された場所って、そう遠くないんだよね。もしかしたら、このヒーローとスーパーとかですれ違ったりしてるかもしんないよ」
「魔族はスーパーなんぞ行かんだろう」
「――ねぇ」
不意に。後ろから声をかけられ、身体がびくりと震える。目の前の豪太は、目を大きくして固まっていた。
ゆっくりと振り返ると、そこにいたのは一本槍だった。二人を見下ろすその目が、まるで蛇のもののように広弥には感じられた。
「聞いてた? ハロウィンの話」
「え? や、まぁ……」
しどろもどろに頷くと、一本槍が満足そうににこりと笑う。
「じゃ、そういうことだから。クラス全員でやらないと、こういうの盛り上がらないでしょ? なんか考えといてね」
「は、はぁ……」
言うだけ言って去って行く後ろ姿を。広弥も豪太も、ただ茫然と。ワケが分からずに見つめることしかできなかった。
***
「まったく――なんでボクが貴族どもの戯れに付き合わなければならないんだ!」
ガラクタとしか言いようのない品を漁りながら、広弥は声を上げた。
「なにが『クラス全員で』だ。どうせ、他人を道化にして笑いたいだけだろうが。こ、こうなったら……とっておきの代物で着飾り、ボクとキサマらは次元の違う存在なのだということを、見せつけてやらんとな! まぁ、凡人には理解しがたい代物ばかりだが……」
ブツブツと呟きながら広弥が漁っているのは、家の物置だ。別名「放浪癖のある父親のがらくた置き場」とも言う。
世界中を旅しては、現地でよく分からないものを買ってくる父。きっとここを漁れば、クラスのやつらにギャッ! と言わせられるような物が、一つや二つあるだろう。そう、広弥はふんでいた。
「ん……? これは」
引っ張り出したのは、薄汚れた白い仮面だった。表面に穴が空いていて、顔に見える。
「なんだこれ……カブの仮面?」
あまり迫力のあるデザインでもないが、ボタンがあれば押したくなるし、仮面があれば被りたくなるのが人情というものだろう。
広弥は自然の摂理として、仮面をかぽりと被った。
「おっ、案外見やすい――」
そう、呟きかけたときだった。
『力が……欲しいか』
――声が、聞こえた。
空耳か――そう、なかったことにしたかった、が。
『小僧。力が、欲しいか……』
再び繰り返される声に、思わず「ひぎゃっ!?」とおかしな声が漏れる。
「なっなんかテンプレな魔王の台詞みたいなのが聞こえてきた……!」
ごくりと唾を飲む。
この声は、仮面を被った途端に聞こえだした。つまり。
「この仮面によって、ボクの秘めたる力が発動した……!? そして異界の魔王と契約的なっ。えぇっと、タイトルは『魔王と契約したボク、暗黒の中学生活を無双する。上位カースト勢が調子こいてすみませんでしたと謝ってきてももう遅い!』ってことで」
『あー。なんか誤解があるようだが。ワレは魔王ではないぞ』
声が困ったように言う。
「う、ウソだ……あんな思わせぶりなセリフ吐いといて、魔王じゃないとか」
『どちらかと言えば、そういったモノに虐げられし存在だ』
途端。目の前に、ポンとカブ頭の人形が出てきた。大きさは、手のひらサイズだろうか。可愛くデフォルメされてはいるが、デザインとしては広弥が被っている仮面と同じものだ。
「え……な、なに」
『ワレは、その仮面に閉じ込められし者。ジャック・オ・ランタンと言えば、知ってる者も多かろう。そのジャックが、ワレだ』
広弥の目線の高さでふよふよ浮きながら、カブ人形がえへんと胸を張る。それを見つめながら、広弥は「えぇっと」とカブ頭を見つめながら首を傾げた。
「それって、ハロウィンでよく見る、カボチャ頭のランタンの……」
『キサマの記憶を探る限り、それと同一のモノだな。どうやら異国に伝わる際に変化があったようだが……元はカブだったのだ』
「ちょ……待て待て!」
慌てて、目の前のカブ人形――ジャックを引っ掴む。あっさりと捕まえられたジャックは「ぐげっ」と声を上げ、じたじた抜け出そうとした。広弥も逃すまいと手に力を込める。
「記憶を探るってどういうことだよ! まさか、ボクの頭の中を覗いたってことかっ!?」
『そ、そうとも。ワレにはその力がある。萬狩広弥十四歳。自分には秘められた闇の力がある……そうだったら良いなーと思っている。おかんが最近、勝手に部屋を掃除するのに困っているが、強く言って傷つけるのは嫌だというのが悩み。スクールカースト上位者とやら……その中でも一本槍という女が気に食わんようだな。うむ、コイツはなかなか良い女ではないか』
「覗くなっ! プライバシーの侵害だッ」
『うがーっ! やめろッ! 振り回す出ない、吐く、中身は入っていないが何か出てしまいそうな気がするッ』
げほげほっと、わざとらしく咳込みながらジャックが抵抗するのを見て、広弥はようやく手を緩めた。するりと抜け出したジャックは、「まったく」とぶつぶつ言い出す。
『これだから最近の若者は……ワレが生きていた頃はもう少しこう、怪異とかそういもんに敬意をだな』
「……ジャック・オ・ランタンのジャックってアレだろ。悪魔を何度も騙すから、死んでもあの世にすら居場所がなくなったってヤツの昔話。オマエが一番敬意払ってないじゃん」
『なんと、よく知っておる。それほどにワレって有名人……なるほど、オタクという存在は割とそういった知識には異様に詳しい、と』
「だから勝手に他人の頭読むなよッ!」
またギュッと掴むと、『待て待て待てっ』と慌てたようにジャックはジタバタ暴れ始めた。
『おヌシ、闇の力とやらが欲しいのだろ? だったらワレがうってつけ! 望み通り、力を授けてやろうッ』
「なにが闇の力だよ! オマエなんて悪魔騙したってだけのちんけなヤツだろうがっ! そんなヤツになにができるってんだよ。こんな仮面――」
『取るな取るな! よく聞け。ワレはおヌシが思ってるほどちんけでもないぞ。ワレが一番、悪魔から忌み嫌われたのはな――その力を騙し取ってやったからなのだ』
「力を……?」
ジャックはパッパッと人形の真っ黒な服を払う真似をすると、ぴたりと動きを止めて正面から広弥を見据えた。
『あの世から出禁になったワレだがな。それを憐れんだ神の遣いが、ある条件の元、ワレを天国に迎え入れてくれると言ってきたのだ。それが――奪い取った悪魔の力でもって、人間を救うことだ』
「人間を救う……つまり、善いことをしろってこと?」
『その通りだ。どれほどの人間を救えば良いのかまでは分からんが……とにかく多くの人間を救うこと。それが、ワレが今すべきことなのだ』
「ふぅん……」
真剣な様子で語るジャックに、思わず広弥も頷いてみせた。
「それで、ボクに力をどうのってのは? どうつながるわけ」
『うむ。ワレの魂と力はおヌシが今被っている、その仮面に封じ込められておる。神の遣いからの条件を果たしたとき、ワレはそこから解放されるわけだが、それまでの間はその仮面を使う人間に、ワレの力を貸すことができるのだ』
「この仮面を被っている間は、悪魔の力を使えるってこと?」
『その通り。おヌシは力を得て使うことができるし、その力でおヌシが人助けをすることで、ワレも天国に行く資格を得る。ウィンウィンというヤツだな』
「……へぇ」
見つめたのは、昨晩一生懸命になって描いた模様のある、左手のひら。
(まるで――デビアンみたいだ)
悪魔の力を行使し、人々を救う孤高のダークヒーロー「デビアン」。今、広弥の中で一番熱い存在だ。
どきどきと、胸が高鳴る。
「や……やる!」
身を乗り出し、思い切り声を張り上げた。
「ボク――ヒーローになる!」
『フム――それでは、契約だ』
ジャックのもつ空気が、一瞬変わる。思わず身構え、「契約?」と訊き返すと、ジャックはいたって軽い口調で続けた。
『なに、そんな大したことではない。ただ一言、そのままの状態で『解放』と唱えれば良い。そうすれば力が発動し、自動的に契約を結んだこととなる』
「なんか……ネットのワンクリック詐欺みたいだな」
『では早速――』
「あ、ちょっと待って!」
慌てて、サッとスマホを見る。何度かフリックして「良し」と頷くと、広弥は左手を胸に当てた。
「”解放”ッ!」
途端。黒い光が、視界を包んだ。
「――ッ」
光が身体にまとわりつく。皮膚がチリリと灼けるような感触がしたが、痛みはない。目を開けると――自分の姿が大きく変わっていることに、広弥は気がついた。
仮面のカブは頭蓋骨となり、広弥の顔を覆う。黒を貴重とした衣装と背中から生えた羽は、まるで蝙蝠のようだ。手足には枷があり、長い鎖で繋がれている。
「す――っげぇぇぇ! コレ変身だ! めちゃくちゃ変身したッ」
『……どうでも良いが、何故母国語で言わんのだ。わざわざ調べるなどして』
「うるさいなぁ、日本語で言うよりカッコいいし雰囲気出るだろ」
口を尖らせ、改めて全身を見る。まるで、自分でないように身体が軽い。思い切り動きたくて、手足が指の先までむずむずする。
「よし! さっそく外に行ってみようッ」
幸い、もう夜だ。この黒づくめの格好なら、敢えて人前に出ない限りそう目立たないだろう。
小窓を開け、身を乗り出す。羽の動かし方は、まるで手足を動かすように意識せずともできた。一瞬落ちかけた身体は、すぐに宙へと舞い上がった。
少し羽ばたくだけで、ぐんぐん空へ空へと昇っていく。寒さを感じないのも悪魔の力なのか。見下ろせば、地上の光がまるで豆電球のように見える。
「すごい、すごいっ、すごい! ほんとに飛んでるんだ……」
『力はそんなものではないぞ。もっと派手に、いろいろやってみると良い』
「派手にって言ったって」
きょろきょろと地面を見下ろす。かなり上空にいるはずだが、目が異様に良くなって細かなところまで観察できた。
(どうせなら試しに、人助けでもしたいけど……)
「――あ」
見つけたのは、知った顔だった。豪太だ。買い物袋を持って、店から出てきたところらしい。更にその周りを、数人の男らが取り囲んでいる。
「全員真っ赤な服なんて、派手なヤツらだなぁ。――よし! 人助け第一号だっ」
わくわくしながらグっと拳を握り、急降下する。ぐんぐんスピードが上がり、地面が近づく。おどおどとした豪太の顔もよく見える。
「っりゃぁぁぁ!」
気合と同時に、男のうち一人に突っ込む。「ギャッ!」と悲鳴を上げて男は吹っ飛んだ。
「か弱い中学生男子を取り囲む、性根の汚い大人どもめッ! えぇっと……暗き闇に潜むヒーロー……『ジャッコラン』が成敗いたす!」
思いつきで名乗りを上げ――ふと、見回す。
「……あれ?」
ぽかんとこちらを見ている男たち――豪太に気をとられよく見ていなかったが、その顔を見るとだいぶイメージと違った。
強面のヤンキーみたいなのを想像していたのだが、実際は四十代から五十代くらいの真面目そうな男性たちで、派手な色したおそろいのジャケットだと思ったものは、「夜回りボランティア」と書かれた反射材入りのベストだ。
「な、なんだねアンタは」
「鈴木さん大丈夫ですかっ⁉ 今、救急車呼びますねっ!」
「袋持ってるキミ! 危ないから下がってなさいっ」
男たちが口々に言うのを、広弥はまだ頭の処理が追いつかないまま聞いていた。
どう見ても、単に夜一人で出歩いていた豪太を見かけ、保護なり注意なりしようとしていた、善良なボランティア集団だ。先ほど吹っ飛ばした鈴木さんは、勢いよく駐車場の塀にぶち当たり、崩れた瓦礫の下敷きになった足が見えている。
(まずい……これはまずいだろっ!)
ちらっと豪太を見ると、男らの背中越しにキラキラと目を輝かせながらこちらをうかがっていた。残念ながら、これっぽっちも助けにはならなさそうだ。
遠くから、救急車とパトカーのサイレンがダブルで聞こえてくる。仕事が早い。
「く……くそぅっ! 戦略的撤退!」
地面を蹴り、空高く舞い上がる。地面から「おいっ」だの「待て!」だの聞こえたが、悪魔の力があっても公的権力に勝てる気は全くしない。
「あっぶなー……捕まるところだった」
いくらか離れた公園に着地し、来た方向の空を見る。暗い空に、サイレンの赤い光が反射して見えた。
「さっきの人、大丈夫かなぁ」
『ヤツらが悪人でなかったのは残念だったな。せっかく力をふるうチャンスであったのに』
「名前……どうせならもっと良いの考えれば良かったな。てか、豪太もこんな時間にあんなところで、なに買ってたんだ」
なんにせよ、思ったよりも「人助け」というのは簡単ではないようだ。このままでは単なる暴力魔・破壊行為者になってしまう。
「次からはもっとちゃんと、状況や人相を見極めないと……」
そう、自戒していた――そのときだった。
『おいっ!』
「――っ」
ジャックの呼び声で、反射的に顔を上げる。すぐ目の前に迫っていた拳を腕でガードし、その衝撃に歯を食いしばる。
「防ぐか」
淡々とした声。
ボイスチェンジャーでも使っているのか、機械的な音だ。その姿は、広弥にも覚えがあった。顔まで覆う、全身赤いスーツ。
ニュースでも見たヒーローが、そこにいた。