6.写真
四月の初め、いつもの年と同じように桜が咲き乱れる季節になった。この時期になるといつも日本にいて良かったと感じられる。
淡いピンク色の花は私たちの気持ちを和ませてくれる。そよぐ風に誘われた優しげな陽ざしは、この国にいなければ味わえるようなものではないだろう。
「彼女の街はどうだろうか?」
この春は、桜の木を見るたびにそう考えていた・・・。
ある朝、私は上司に呼ばれた。
今、携わっているプロジェクトの進捗状況と今後の進め方に関する相談であった。私のやっていた仕事は医療用新薬のマーケティングリサーチであった。この冬から新薬の提携先を国内外に探していたのだ。ところが、同業他社が出し抜く形で上市するという発表をしたものだから、ワークしていた国内の交渉相手先からクレームがつき、交渉決裂寸前の事態にまで追い込まれた。その後出し抜いた会社の新薬に致命的な欠陥が見つかり、クレームは取り消され、元の鞘に収まる形にはなっていた。
現時点では、仕事自体はようやく落ち着きを取り戻し、順調に進みはじめだしていた。
上司が私を呼んだのは他の人間が担当している海外の提携先との問題であった。上市を決めたとは言え、国内の販売量だけでは事業としてペイすることが難しく、早い段階から提携先を海外に探していた。最終的には二社に絞られていたのだが、そのうち一社が昨日になって急に交渉から降りると言い出したのだ。残り一社は現在スペックの検証中で、もう少し時間がかかるということであった。
「事によっては、ニューヨークに行って相手と直接交渉をしてくれないかね・・・?」
これは事実上の海外出張命令であった。私も何度か海外に行くことがあったが、それほど頻繁と言うわけではなく、とりたて米国への出張は数年ぶりのことであった。時期的なものは相手のスペック評価後ということであったので、進捗状況からする限り、6月の後半になりそうであった。
この話を受けたとき、何故か彼女の見えない顔が、ふと脳裏をかすめた・・・。
「もしかしたら会えるかもしれない・・・のか?」
そういえば彼女の住んでいる街はニューヨークから飛行機でそれほど遠くない。そう考えると突き動かされるように、いてもたってもいられなくなった。自分の感情が抑えられなくなっていたのである。そして・・・メールを送った。
彼女の方からも直ぐに返事がきた。びっくりした様子が一緒に綴られていた。
「もし本当に会えることになったら、それは素敵なことですね・・・。」
その日からしばらくの間、彼女と私の話題はこの出張に併せての「実際の出会い」がテーマになった。
そんなある日のこと、家に帰ってみると見慣れないエアーメールがポストに入っていた。彼女からのものであった。私は誰が見てるはずもないのにそそくさとその手紙だけを自分のバックにしまいこんだ。
その中にきっと彼女の写真が入っているはずだった。私は「ついに来た・・・。」と胸の鼓動が高鳴るのを感じられずにはいられなかった。ところが、いざ開くという段になると、なかなか開けないものである。早く見たいという願望はあるのだが、隣の部屋には妻もいて、知られたくないという葛藤もある。自分の部屋でただ時間だけが過ぎ去っていくのであった。
ようやく深夜になり皆が寝静まったころに、私はその手紙を開いた。
黄色の薄地に書かれた文字はまるで書道の先生のように上手であり、優雅であった。それを書いた人間の人柄というのがわかるような気がした。
レターナイフを入れる。緊張の一瞬。中には便箋が一枚と丁寧に包まれたものが入っていた。
「前略・・・。」ではじまる文章にはとても品位が感じられた。やはりいいところのお嬢様に違いない、と想像を膨らます。何度も繰り返し読んでから、もうひとつの包みを開いた。
写真が二枚入っていた。
一枚は彼女自身のポートレイト。もう一枚は友達と二人でどこか旅行に行ったときの写真らしい。
写真の中の彼女は美しかった。
淡いピンクのワンピース、どちらかというと細目と言うか華奢な感じ。全体的に肌の色は白く、服から伸びた手足がすっとしていた。きっと抱きしめたら簡単に折れてしまいそうな感じがした。髪の毛はストレートで肩の先まで伸びていた。左右の一部を三つ編みにしているところが、また清楚で良い。顔は細めで目がくりくりっとしている。鼻立ちは端正で、かおからしてその育ちのよさがにじみ出てる。美しさは内面から出てくるようであった。おしとやかさがにじみ出ている。まさに「深窓の令嬢」という言葉がぴったりである。
正直言って、予想以上に想像通りの「彼女」がそこにいた。
私はうれしさのあまり大声で叫びそうになった。しかし、次の瞬間、十日前に送った私の写真を彼女はいったいどう思っているだろうか? と考えると、不安になった。
とりあえず彼女には写真が届いたということはメールした。もちろん「とても素敵な方ですね!」という言葉を忘れずに。それと恐る恐る自分の写真は届いたかどうかもたずねて見た。
私の写真は自慢のスポーツカーと南アルプスの大自然をバックにしたものと、あとは友人たちとお酒を飲んでいるものだった。どちらかと言えば、写真映りが自分的にはいつも今ひとつだった。その中でもこの二、三年間のものではまともなのはこれだけしかなかった。元々背は高いし、体格は太くも無く細くも無くといった感じで、人並みに見劣りするようなものではなかったが、顔に関してはあまりもてたこともなかったので、いまさらながら自信は失せていく一方だった。
その結果は意外に早く、翌日彼女から返事が来た。
私の感想に関しては、「本当はそんなにおとなしいというほどではありません。どちらかというと勝気なほうですよ! 実物を見たら極端に違いすぎて嫌われてしまうかも?(笑)」と書いてあった。
そして、私の写真については・・・、
「実は今日届きました。拝見させていただきて、とても優しそうな方という印象がしました。本当に素敵なお兄さんといった感じで・・・。私は一人っ子なものですから、うまく想像ができませんが、こんなお兄さんがいたらうれしいですね! やっぱり想像通りの方でした。」とコメントされていた。
「『想像通り』っていうことはつまりOKということ? 彼女は私を受け入れてくれたということか・・・。」と勝手に自分で思い込んで、そしてにんまりしてしまった。
遥かに遠いかなたにいると彼女と私の間に、今長い橋がかかったような気がした。
「これを渡っていけばいつか彼女にめぐり逢える・・・。」と思うと、それが私の大切な夢になった。