2.出会い
私が彼女とはじめて出会ったのは今年の一月末であった。「出会った」というのが必ずしも適切な表現ではなかったかもしれない。なぜならどこかの街角でふとした偶然に出会ったとか、誰かの紹介で知り合ったとかいうものではなかった。
そう、彼女との出会いはコンピュータのネット上、いわゆる「バーチャル」な世界での出来事だったのだ。
「チャット」と呼ばれるリアルタイムのコミュニケーションは当時既に多くのサイトで運営されていた。各人が自分の発言を文字にし、顔の見えない世界中の人がいる会話の場に送るのである。それを読んで相手が返事を返す。その繰り返しでお互いの関係が形成されていくようなシステムなのである。もちろん一般的なくだらない話から、日常会話に始まり、趣味やサークルでの仲間を探したり、はたまた恋愛や結婚相手の出会いを求めるケースなど人様々である。私が彼女と知り合ったのは、その中の他愛もない「海外とのふれあい」なるチャットルームであった。
最初彼女は手探り状態であった。全くの初心者だったのである。レスポンスの遅さにあきれながらも、「どこに住んでいるのですか?」とか「何をやっているんですか?」などと初歩的な話から私達の会話はスタートした。いつも思うのだが、初対面の人と話をすると、気分は新鮮であった。何度か話をしているうちに、彼女の方も慣れて来た。何度か回を重ねるごとに、いろいろな話をするようになり、話し込むと一、二時間くらいかかることも多くなった。そうして話しながら、ネットの向こう側の彼女はどういう人なのかと言葉のやり取りの中から想像していくのである。言葉のパーツひとつひとつ、そしてその組み合わせから自分なりの彼女像を私は膨らませはじめていた。
彼女は二十五歳の大学生であった。出身は関西で昨年の七月からカナダのほうに留学をしていた。元々パソコンは使っていたそうだが、こういうネット上のコミュニケーションに参加したのは、私と会ったその日が初めてであったようだ。まさに私は彼女が「ネットデビュー」を果たしたその第一号の記念すべき相手だったのだ。
そうこうしながら、我々の「交際」ははじまったのであった。
毎日のメール交換、私は仕事で家に帰ってくるとまず真っ先にメールの確認をするのが日課となった。彼女はほぼ毎日と言っていいくらい送ってきてくれたからである。学校のこと、友達のこと、住んでいる街のこと等々。時には本当につまらないことを大きな風船のように膨らませて、ジョーク交じりに書いてみたり、海外に一人でいる寂しさを切々と語ってきたこともあった。
週末になれば時間を決めてネット上でのデートを楽しんだ。顔も見えない、言葉も聞けない、ただ文字だけのやりとりで過ごす時間が私と彼女の間で何よりも代えがたい大切なひと時となっていったのである。
いつしか彼女は私を「心の支え」だと言ってくれるようになった。
最初の頃は彼女のほうが一方的に話し手となり、私は聞き手であった。ところが次第に彼女とのやりとりの中で今まで見たことのないような私の一面がひとつ、またひとつと現れはじめたのである。そして大事にしまってあったものを心の引き出しからひとつひとつ出すように彼女に吐露していくようになったのである。仕事に忙しくて大変な日々。家族との摩擦、特に子供との心のすれ違い。そう私はどこにいても常に何かに追いかけられていたのである。プレッシャーを背負いつつ、気がつけばその時身も心も疲れきっていたのに気づいたのであった。
彼女はそんな私をやさしく包みこんでくれたのである。