18.終わりの終わり
夕刻ニューヨークのホテルに戻ると、大変な出来事が待っていた。
翌日には自分の会社と提携合意をするはずであった相手先が、ライバル社に買収されることが今朝発表されたというのだ。その情報が友人から入ったのである。これは私がいままでやってきた努力が全て水の泡になることを意味していた。
私は慌てて日本にいる上司に連絡を入れてみたが、既にこの話も伝わっており、彼もどうしたらよいかわからないほど混乱していた。
「もはやこのプロジェクトは終わったと思うほかない・・・。」
彼の最後の言葉は痛々しい限りであった。
私は力なく電話を置いた。何もかも終わってしまったような・・・、気がした。
愛も、仕事も、家族も・・・。私の全ては大きな音を立てて次々と崩れ去っていく。もはや私に残されたものはなかった。
しばらくして、友人から電話があり、夕食を一緒にしようと言ってくれた。私を心配してのやさしい心遣いであった。しかし、昨日彼女を失い、今日仕事に失敗したような状態では彼と食事を食べることが、更に自分を惨めにさせるような気がしたので、そういう気にはなれなかった。残念だけど辞退させてくれ、と頼むと、
「気持ちはわかるけど、あまり考えないほうがいい。ニューヨークの街並みを見ながらゆっくりするといいよ。何かあったら相談に乗るから明日また電話するよ!」と優しく励ましてくれた。
電話を終え、ベットに身を投げると初めて自分がとてつもない静寂の中にいることに気がついた。そして直後、耐え切れないやりきれなさが私を襲ってきたのである。
「これから自分はどうやって暮らしていけばよいのだろうか?」
私にはわからなかった。
突然目の前に黄金色した遥かなる大地が見えたような気がした。あの南仏のようなランドスケープ、ゴッホの絵でみたような世界が私の眼前に現れたような感じだった。
その景色はすべてが終わろうとしている夕暮れの状況でもあった。
誰かが私を呼んだような気がした。そして・・・、何かが私の目の前ではじけた。
私はバックの中から睡眠薬を取り出すと、一気に全部飲み込んだ。
私の最後の選択は実にあっけないものであった。
「所詮、人生なんてこんなもんさ・・・。」と思いながらも、内心自分がこんなことをするとは思ってもみなかった。
ホテルの冷蔵庫にあったミネラルウォーターで、喉に詰まったものを押し流すように残っていた薬を自分の中に詰めこんだ。
自分の心と裏腹にこれから起こる出来事に体中は緊張していたのであろうか? ドクンドクンと血液の脈流が大きく響いている。睡眠薬を飲めば直ぐにでも眠くなると思っていたのに、なかなかそうならなかった。きっと頭では受け入れていても、体は来るべき運命に抵抗していたのかもしれない。
私は今、自分のこれまでの人生を振り返っていた。
幼い日々のこと、友人との思い出、妻との出会い、子供のこと、会社のこと、楽しかったこと、辛かったこと、感動したこと等々・・・。でもそれももう直ぐ終わる。
ふと彼女のことが目に浮かんだ。
「もう終わったことなのに・・・、何で思い出すのだろうか?」
私はそう自分に聞き返してみたが、その答えははっきりわかっていた。
「まだ『彼女』を愛しているし、彼女を愛したかった・・・。」
ただそれだけのことである。
その事実を最後に認めるまでには、それほどの時間は必要なかった。
しばらくどうしようかと迷っていたが、私は彼女に手紙を書くことにした。
ペンと便箋を取り出すと私は筆を走らせた。
私は今、とても眠たかった。でもまだ眠るわけにはいかない。今の気持ちを例えるなら深遠のきわの手すりも無い狭い道を、眩暈と闘いながら歩いているような感じだった。いつ足元を踏み外すのだろう? もう次の瞬間かもしれない。大きく口を開けている暗い闇の中に私が吸い込まれていく準備は既にできている。ただ私はその誘いに必死に抵抗して落ちないように耐えているだけであった。
どうしてだろうか? なぜそんなに眠るのを拒む必要があるのだろうか?
ほんの少し足をずらせば、痛みも無く苦しみも無く永遠の安らぎにめぐり逢えるのである。受け入れさえすればいいのだ。でもそのあと一歩が踏み出せないのである。
怖いのか? いや違う・・・。どうして?
彼女のことが気にかかっているのである。
手のひらを胸にあて、彼女のことを思い出す。もしかしたらあのときあの一言が言えれば、私の人生は別の方向に向かっていったはずだった。でもそれは今となってはもはや叶わぬ「夢」。時間を戻すことは神様でもなければできるはずの無いことだった。今の私にできることといえば・・・、ただこの現実を静かに受けとめること。そして・・・。
喉が少し渇いてきた。もう一杯だけ水を飲もう。
水差しからコップに注がれた水は、私の喉に瞬く間に流れ込んでいった。
「あぁ、気持ちが良い。」
普段あまり吸わない煙草が無性に吸いたくなった。セカンドバックから取り出し火をつける。いつもは吹かすだけで何も感じないのだが、今日のほろ苦さは何か特別なもののような気がする。
どうして? これが最後の一本だから?
しばらくして、朦朧とした意識の中で書き綴っていた手紙の筆を置くことができた。
眠たくなってきた。もういいだろう。
私は灰皿に煙草を置くと、疲れた体をベットに横たえた。心臓が静かに鼓動を響かせている。天井を見上げるとふとあまたの星が流れていくような気がした。
私は「夢」への扉を静かに押し開けていった。
机の上に、「彼女」と彼女への「遥かなる思い」を残して・・・。
Fin…
思ったより長くかかってしまいました。やっとこれで完結させられました。次回の作品は、10月くらいからでもぼちぼち書き始めようかと思っています。またよろしくお願いいたします。
瑞希祐作