13.オタワの夜
時間は午後七時半、日本であったならこの時期でももう薄暗くなっている頃である。しかしオタワでは緯度が高いこともありまだ昼間のように明るかった。
空港から市内に入るとまずホテルにチェックインした。彼女が予約をとってくれたホテルはメインストリートでもとりわけ一等地に位置するところにあった。元々この都市はセントローレンス川の側にロンドンのようなイメージで計画的に作られた都市のようで、ホテルもヨーロッパの古城のようなロマンチックな雰囲気を醸し出していた。部屋も広く、普段住んでいる日本のマンションと同じくらい広いのではないか? というくらいのものであった。
とりあえず自分の荷物を置き、彼女の好きそうな色の服に着替えてからロビーに下りていった。彼女はソファーで私が日本で買ってきた雑誌に目を通していた。
「お待たせ!」と声をかけると、彼女はにっこり微笑んだ。それから私達はダウンタウンのほうに向かって歩き出した。途中銀行によったり、そのあたりのお店を覗いたりしながらいろいろな話をした。お互いの事、仕事や勉強の事、家族の事、その全ては既にネットの中で何度も繰り返されてきたものであった。でも文字で見るのと次際に話をするのではやっぱり違う。今まで鉛筆で下書きしたものに、二人で絵の具を塗っていくような共同作業に思えた。
そして、二人の絵が完成した頃、ダウンタウンの一角にあるベトナム料理のレストランに着いた。
「それで、実際のところはどうでした?」彼女はワインを傾けながら私に尋ねた。
「え、いや本当に素敵な人だなあって思いましたよ。綺麗というか知性的というか・・・。」私はありったけのほめ言葉を捜してはしどろもどろに続けた。
「そうですか? 私の事?この街の印象をお聞きしたのですが・・・。」彼女は顔を赤らめながら答えた。
「あ! そうだったのですか? ごめんなさい。」自分のミスに気がついて、思わず自分も顔を真っ赤にしてしまった。彼女はワインに少し口をつけて、落ち着こうとしていた。
「でもそんなに言われるほど知性的ではありませんよ。」
「そんなことは決してないですよ! 今までいろいろ話したけれそ、いつも知的なセンスで満ち溢れていたし・・・。その・・・、私の周りにはそういう人あまりいないから・・・。やっぱり合ってみて素敵な人でした。うん!」 自分で納得するように言った。
「でも奥さんいらっしゃるんでしょ? 素敵な人じゃないんですか? そういう方をほっといて出かけて来るのは大丈夫だったのでしょうか? わざわざ私なんかに会いに、こんなところまで来るのに・・・。」 指を頬にあてながら、私に尋ねた。
「一応仕事で来たし、それにニューヨークに友達もいるから、大丈夫だよ。ほら、ミュージカルのチケットを取ってくれた人、覚えてるかな?」 空を見ながら私は答えた。
「ええ、覚えていますわ。そう、その節は本当にありがとうございました。そういえばあの時のお金、まだ払っていなかったですわね・・・。」
「そんなことはいいんですよ! あのおかげで私も彼と再会できたのだし。そう考えるとあなたは私の運命をうまく良い方向に引き寄せる人なのかも知れませんね。それに対するささやかなお礼です。」
彼女は照れながら、うなずいた。 しばらく沈黙の時があった。
「でも・・・、本当にここまで来てくださったのですね。私はとてもうれしいです。」
やがて彼女は少し小さな声で、恥ずかしそうにつぶやいた。その顔がとても赤く見えたのはワインのせいだけではないことを私は感じていた。
そうこうしているうちに料理が出され、二人は食べながらも話を続けた。考えてみれば知り合って半年も経ちながら今日が本当の意味でのはじめてのデートだった。しゃべりたいことは山ほどある。最初こそお互いに緊張していたので何も言えなかったが、時間が経ち、おいしい料理を食べながら、お酒の勢いも手伝って次第に話が回りだしていく。一度氷解した水は次から次へと二人の心に流れ込んでいった。私は次第に料理の味を噛みしめて食べる余裕はなくなった。ただただ彼女との会話に全神経が集中していった。
食事を終えると、彼女の提案で近くのオープンカフェに場所を移した。時間というものは楽しいことをしているとあっという間に過ぎ去っていくものである。時間は既に夜の十時を過ぎていた。まだ空には少し夕焼けが残っていた。
彼女はモスコミュールを、私はジンを頼んだ。
「あの・・・、でも本当にお会いできてうれしかったです。ちょうど初めておしゃべりした頃、かなり落ち込んでいたんです。日本にいる彼氏とわかれて、自分でもどうしようもないくらい滅入っていたんです。でもあなたに励まされて立ち直れたんです。ありがとうございました。。」
「いえ、そんなことないですよ。」 私はそれほどのことしたかなぁ? と思うと少し照れを感じてしまった。それを隠すように手を顔にやった。
「これからも・・・、あの・・・、私を支えて欲しいです。」 彼女の声はだんだんと小さくなり、最後には聞こえないほどになっていった。
私は優しく言った。「もちろん、私でよければ喜んで支えますよ・・・。」
彼女はそれを聞いてほっとしたと同時に、うれしそうに微笑んだ。
「あ・・・、ありがとうございます。」
その言葉には少し涙がにじんでいたような気がした。それが私にはうれしかった。こんなに自分を頼りにしてくれる人がここにいるのだ。そう思うと若い頃にあった忘れかけている何かを思い出せそうな気がした。
「もう一度彼女と人生をやりなおせたら・・・。」そんな気持ちが私の中を駆け巡っていた。
二人の夜は果てしなく続いた。