12.出逢い
飛行機は定刻を十分ほど遅れて到着した。初めて乗るプロペラ機は思ったよりも良かった。きっと天候が良かったことで、眼下に見える景色が想像以上にすばらしく感じたからかもしれない。特にセントローレンス川を越えてカナダ国内に入ってからは、文字通り「森と湖の国」といわれるような大自然が広がっていた。それは私がこれまで上空から見た景色の中で、指折りのものであったと思う。
ゆっくりとランディングした機体は長いアプローチを抜け空港の隅にその体を横たえた。乗客は足早に降りると入国審査のゲートに向かって行く。私もその人波を追って行った。
入国審査を終えバッケージクレームで荷物を受け取ると私は出口へと向かった。「この先に今までずっと逢うことができなかった彼女がいるんだ・・・。」と思うと、今までには感じえなかった旨の鼓動を覚えた。出口までは目と鼻の先のはずなのに、その距離が非常に遠く思えた。
そして・・・。
出口を抜けた瞬間、眩しさが走った。何か不思議な感覚が私をよぎった。
それはまるで長い時空の旅の後、新たなる世界に飛び込んだ迷い人が感じるそれと同じものだったかもしれない。
何秒間しか時が流れていないはず・・・。しかし私の中の砂時計は永遠に砂を下に落とし続けていた。まさに悠久のときを刻んでいたのである。
次の瞬間私は我に帰った・・・。
雑踏の中に彼女の姿を探した。彼女はまだ私のイメージだけでしかない。あの日受け取った写真を私はこの数ヶ月間まぶたに焼き付けてきた。でもまだ具現化されてはいないのである。
「どこにいるのだろうか?」必死で探しているものの彼女らしき人は見当たらない。
不安と焦燥が私の中を駆け巡った。だが、次の瞬間、柱の影にいる白い帽子の女性が目に付いた。
彼女が振り返る。ソバージュのかかった長い髪、ピンクのブラウスに藍のジーンズ。ほっそりとした体にすっきりとした顔立ち。間違いはない。今まで写真でしか見たことがなかった彼女が、その狭い空間から飛び出してきたのだ。
彼女も「あっ!」と口を小さく開いた。私に気がついた。そしてゆっくりと私の方に近づいてきた。
目の前までくると、顔を少しうつむきがちにし、戸惑いを見せながらも私の名前を呼んだ。
「祐一さん・・・、ですね?」
私は小さくうなずく。彼女の顔に笑みがこぼれる。
「やっと、めぐり逢えたんですね・・・。」私は興奮して心臓が張り裂けそうであった。本当に、本当に彼女は存在したのである。それが、この瞬間に証明されたのである。
お互いがお互いを見つめあい、しばらくの間お互いは立ちすくんでいた。
ようやく金縛りがとけると彼女は私の荷物を持って、「さぁ、いきましょう。」と声をかけてくれた。私もその言葉に後押しされるように歩き出した。
とりあえず空港の出口でレンタカーをピックアップする手続きをすると、正面出口から出て右手の駐車場へと向かった。その間、彼女と私はこれまでずいぶんやりとりをしてきたことをもう一度復習しながら会話を続けていた。ネットのチャットと同じようにやはり最初はしどろもどろであったものが、時間が経つにつれて少しずつ流暢になっていく。彼女の存在と心が氷解し、私の意識の中に溶け込んでくるようであった。
私は文字や写真だけの二次元的なコミュニケーションではなく、こうやって三次元的に本物の彼女と向き合って話をすることに今、幸せを感じていた。彼女もまたそうであったようだ。
初めての国の空は、既に夕方の五時近いにも関わらず昼間と同じ明るさであった。夏至を少し過ぎたころなので、最近の日没は九時すぎだと彼女は教えてくれた。
ようやくお目当ての車を見つけると、私はトランクに荷物を押し込んだ。彼女を助手席に座らせ、エンジンをスタートさせた。青色のムスタングゆるやかなスロープを抜け、郊外の道へと向かっていった。
まずは彼女の提案もあり、予約しておいてもらったホテルへと向かった。。市内へ続く道はまさに緑のアーケードであった。その中を彼女と私は滑らかに抜けていく。気持ちがよい。窓から入る風は彼女の帽子を静かに揺らしていた。その表情はとてもおしとやかで美しいものであった。
助手席で彼女はこの街のこと、自分の住んでいる郊外の場所、その他あちこちについて説明をしてくれた。しばらくするとハイウェイの右手のビル群を彼女は指差し、「あそこが私の通っている学校です。」と教えてくれた。
私はふと一番気になっていることをおそるおろる訊ねてみた。運転しているハンドルに少し力がこもった。
「ところで・・・、第一印象はどうでした?」
彼女は意表を衝かれたようにしばらく考えていた。
「えっ、そうですね・・・。素敵なお兄さんといった感じですか? 私は一人っ子なので良くわからないのですが。でも、ずっと想像していた通りの方でした。」彼女は指を口元にあて、上目遣いに言った。
「で、私はどうでしたか?」彼女は微笑みながら直ぐに切り返した。
自分のことばかり考えていたせいで、彼女のこの質問を私は予期していなかった。車を運転し平静を装いつつもありったけの言葉を捜している自分がそこにいた。普段の私が今の私をみたらきっと何とも言えないほど「可愛いやつ」だったかもしれない。
「きっ、きれいな人だなぁって思って・・・。何というのかなぁ? うん、やっぱり妹みたいな人っていうか・・・。あの・・・、その・・・。」今度は私が言葉に詰まってしまった。
照れながら頬を指で掻いている私を見て、彼女はくすくす笑っていた。
時折上空を過ぎていく雲が田園に映し出す影絵のアートをみな方、車は街への道を走っていった。