薫子は生贄に恋をする
キーンコーンカーンコーン。
放課後。部活動に向かう友達、家に帰る友達。
「薫子様ごきげんよう」
「ごきげんよう」
机から一人また一人、友達が席を立っていく。
空は青く、雲ひとつない。
大勢の人たちは解放感を感じるのだろう。
だけれども……。
閉じ込められていた空気が一気に外に抜けていくような、この瞬間が嫌い。
拘束が解かれる瞬間は、いつだって憂鬱になる。
私の束縛を解かないでほしい。
さっきまで談笑していた友達。それがもう牙を突き立てるべき飲み物にしか見えない。
渇く。渇く。渇く。渇く。
私は友達の流す血に、恋い焦がれている。
あの子が怪我をして血を吹き出さないかしら? そうすれば、私が一滴残らず舐めてあげるのに。
血液の苦味、塩味、金属味、香り、その味を想像すると体の芯が熱くなる。
なんて不幸な身の上なんだろうか。放課後になった瞬間、さっきまで仲良く話していた友達が、得体のしれないふわついたものへと移ろい変わるのだ。
いけない。自制しないと。もう周りのみんなの容貌が見えない。
かぶりつきたい! 吸いたい! むしゃぶりつきたい!
助けてよ……。
このままじゃ、私は大量殺人鬼だ。
数ヶ月前から、街を賑わせている失血死事件。外傷がないことから今はまだ吸血鬼事件などとはよばれていないけれど、私にはわかる。これは間違いなく私の同胞が犯した事件だ。
最近の吸血鬼は傷跡を残さない。
注射針の進化のごとく、吸血鬼の牙もまた鋭くなっているのだ。
抑えが効かなくなれば私もきっと……。
「薫子様。初等部の未沙希ちゃんが呼んでいてよ?」
「ありがとう。すぐにいくわ」
扉のところで未沙希が待っていた。奥ゆかしい子。教室に入ってきていいといつも言っているのに。
「薫子お姉さま。帰りましょう?」
中性的な美しい容姿に、小柄な体。栗色の毛で大きな瞳。私の愛しい未沙希が、その小さな体には重たいだろうに、二人分のかばんを持つ。
未沙希は、私の15歳の誕生日に当主様から与えられた、吸いすぎて殺してしまっても良い生き餌――、身寄りのない子だった。
吸血処女は最初の吸血の際、加減がわからずに吸いすぎて相手を殺してしまうことが多い。だから、ある程度裕福な家では、戸籍の自由になるような身寄りのない子が密やかに買い与えられるのだ。昨今起こっているような吸い過ぎ殺人が起きないように。
未沙希はそうした生贄だった。
未沙希は吸血されることを恐れるような表情を表に出さない。そして、私の周りの吸血鬼たちのように、私に吸血を勧めたりはしない。それだけでどんなに救われたか。
現状に絶望し厭世的になるでもなく、怯えて下手に出てくる感じでもない。怖いだろうに、理不尽だろうに、いつもニュートラルに私に接してくれた。
だから好き。大好き。私は未沙希のことを心の奥底から欲しているのだ。ひとつになりたい。可能なら食べてしまいたい。そう思うほどに。
ああ、未沙希が花の咲くような笑顔で私を見ている。
そんなふうに見ないで……。私は今、あなたのうなじを見て美味しそう、だなんて考えているのだから。
さっ、と当たり前のように未沙希が日傘を広げる。
右手には2人分の荷物。左手には日傘。
背の高い私を陽の光から守るように、未沙希は手を震えさせながら私に笑顔を向ける。
未沙希の笑顔の裏にあるものはなんだろうか? 未沙希は私のことをどう思っているの? 願わくばそれが……。でも、そんな資格は私にはないのでしょうね。
「さあ、こちらに」
「いつもありがとう未沙希。荷物、重くはない?」
そんなことを問いかけても、私が未沙希の役割を奪うことはできない。荷物を持ってあげることはできない。自分で日傘を持つことはできない。
未沙希を生贄でなく、召使いとして生かしてあげている、という事になっているのだから。
未沙希はいつものように微笑むとそっと私に身を寄せた。
ああ、なんていい匂いだろう。そして、なんて無防備な。警戒心をかけらほど見せず、未沙希が私に寄り添ってくる。
本当は友達が良かった。怯える未沙希に笑ってほしいだけだった。とにかく『生かしてあげる』と伝えたかった。言葉の綾でもあった。家族に、当主に、いつまでも血を吸わない私が、未沙希の血を吸わないのは、ほんの一時の戯れであると言うために。
それが、現状をつくっていた。今の状態の原因は、私が使った嘘だった。
「薫子お姉さま? お気分が優れませんか?」
「いいえ。未沙希。気にする必要はないわ」
「薫子お姉さま。公園に美味しいクレープ屋さんが出てますよ。甘さ控えめでフルーツもたくさんで、きっと薫子お姉さまのお好きな味だと思います」
公園の真ん中にクレープ屋さんが出ている。そういえばクラスの友達が話してたっけ。
「未沙希は、そこのクレープを食べたことがあるの?」
「……いいえ」
愚問だった。未沙希にはそんな自由はないのだ。当主から私が勝ち取れたのは一緒に学校へ通うということだけ。あとは私のお小遣いからすべてを捻出しているのだ。
「半分ずつ食べましょう。未沙希?」
「いけませんお姉さま」
「一人でこんなには食べられないわ」
「薫子お姉さま。クレープじゃ、きれいには分けられません」
困ったように未沙希が言う。可愛い子。未沙希が少ない方を取ると言えば、私が多い方を差し出すことがよくわかっているのだ。
「別に等分にしようと言っているわけじゃないのよ?」
「よろしいのですか? お姉さま」
「未沙希が良ければ……」
恐る恐る未沙希の表情を伺う。断られてしまったら立ち直れない。
真っ赤になった未沙希は目を伏せてコクリと頷いた。
公園のベンチに座ると、一口かじったクレープを未沙希に渡す。
未沙希がちょっと困ったような顔をして、クレープをパクリ。
差し出されたクレープを見て、なぜか、心が暖かくなるのを感じた。
ベンチに座り、クレープを交互にかじる私達を通行人達が興味深そうに見ている。願わくば彼らの瞳に映る私達が恋人同士に見えますように……。
※おねショタと百合って実は似てるんじゃないか? と常々思っている作者がそのことを証明するために書いてみた意欲作です。
読んでくださった方、どうもありがとうございます。あなたは『未沙希の性別』どっちだと読みましたか? 男の子でしょうか? 女の子でしょうか? お答えは感想まで。
えっ? 薫子男性説? あ……、ありだと思います!