ジャック
「そこまでだ!!」
声の主は、銀色の少女だった。彼女は屋敷の外へと続く道から駆けつけて来て、ウェルスと対峙する。
ウェルスは、その姿を見て、オレの頭突きのダメージなどなかったかのように立ち直り、銀色の少女の前で膝を突き、目線の高さを合わせる。
それを見て、周りの兵士達も剣を抜いたは良いが、戸惑いが生まれて戦闘意欲を失った。
「全員、剣をしまえ」
指示を出したのは、ウェルス。おとなしく指示に従い、兵士達は一歩下がり、姿勢を正す。
「久しぶりだな、セレス。少し、大きく、美しくなった」
「……兄上」
銀色の少女の表情は、とても険しい。見たくもない物を目にしてしまったかのようだ。
銀色の少女は、一旦オレに目線を送ってきて、一瞬目があうと、慌てて目を逸らした。アレ以来、銀色の少女はオレを避けている。オレは嫌われてしまったようで、偶然に遭遇しても、無視されている。
「お前が、盗賊に襲われたと聞いて、心配していたんだ。こんな危ない所より、首都に行こう。そこでは、何一つ不自由ない生活と、安全を約束する。誰にも、お前を傷つかせないように、守ってあげるよ」
「……はい」
その返事に、オレの心はざわついた。勘だが、この男に銀色の少女を預けるのは、ダメな気がした。
「ダメだ!」
気づけばオレは、声を上げていた。
「いくな、ぎん……セレス」
「……何故、貴様が私を止める。貴様には、関係のない話のはずだ」
「その通りだ。兄妹の話に、入らないでくれ」
「確かに……関係のない話だった。けど、この1週間で、テレスやティアと知り合って、リリード氏とは世間話をしたり、屋敷のメイドさん達とも仲良くなったつもりだ。オレはもう、ここの人たちを放っておけなくなってる。その中には、お前も……セレスもいる」
「何を言っている。おい。この頭のイカれた男を、連れて行け。邪魔だ」
ウェルスの指示に、兵士が動く。オレを、連行するつもりだ。
しかし、それを阻んだのは、ティアを始めとした、メイドさん達だった。オレと兵士との間に立ち、道をふさいでくれる。
「私と、レイスの邪魔をしないでもらいたい。全員、動くな」
冷たい風が吹いた。あまりのセレスの迫力に、その矛先の向いていないメイド達ですらも、たじろんだ。兵士達の中には、腰を抜かす者もいた程だ。
「関係ないみたいな事言って、悪かった。あと、セレスの気持ちを無視した事を言った」
「……本当に、そうだ。私がこれまで、どういう気持ちで過ごしてきたか、貴様は……」
「もう、話はいいだろう?いこう、セレス。テレスも連れて、すぐに──」
ウェルスが、セレスの手を取ろうとしたが、セレスはその手を拒んだ。その上、ウェルスから距離を取り、明確な拒否の姿勢を示す。
ここは空気を読んで、もうちょっとおとなしくしていて欲しかった。いるんだよなー、こういう空気が読めない人。
「昔の私なら、はい、と答えて付いていったでしょう。でも、私はこの地に残ります。兄上には、付いていきません。お帰りください」
「……何故だ、セレス。理由を、聞かせてくれ」
「私がこの地を離れれば、私やテレスを守るためにこの地域に配備されている兵団までもが、首都に移る事になります。それでは、この地から始まる出来事に、対処できないからです」
その言葉は、ウェルスに向けられながらも、オレへも向けられている。この地から始まる出来事とは、獣人の進行を意味する。つまりここが、発端の地なのだ。
セレスは、昔の自分なら付いていったと言っていた。その事により、この発端の地から兵士が減り、対処できなかったのだとすれば、ここでセレスが付いていけば、また繰り返すだけ。もしかしたら、オレが余計な事を言わなくとも、最後には断るつもりだった気がしてきた。
「セレスは、この地で何かが起きると思っているのかい?だったら、私がこの地に、今の倍の兵士を送らせよう。それなら、心配いらないだろう?」
「お断りします。私がここにいなければ、意味がないので」
「……ダメだ、セレス。一緒に来い。私がお前を守ってあげるから、素直に言う事をきくんだ」
「お断りします」
「いいから言う事をきけ!お前は、私の最高傑作なんだぞ!!もしも傷ついたり、壊れたりしたら、どうするつもりなんだ!!」
まるで、セレスの事を物のように扱う発言。声を荒げ、冷静さを失ったその目からは、狂気が溢れている。これが、コイツの本性だ。
オレの事をイカれていると言ったが、この男の方がよっぽどイカれている。
「どうぞ、ご心配なく。私は……兄上よりも強いので」
セレスの目は、本気だった。その目には、静かな怒りの炎が宿っている。
「……言っていい冗談と、悪い冗談がある。私は、王国最強の騎士だ。お前も、幼い頃から剣の鍛錬は積んできているが、私には遠く及ばない」
「試してみますか?」
「……いや、やめておこう。お前を傷つけるような事を、私はできない」
ウェルスは大きく息を吐くと、突然踵を返し、馬に跨った。
「どうやら、意思は固そうなので、今日は諦めよう。それと、お前の名前を聞いていなかった。名乗れ。許す」
ウェルスに指を指される。わざわざ馬に乗って上から見下ろす形になり、更には指まで指してくるという、嫌がらせ。本当に、こいつ性格が悪いぞ。
「ジャックだ」
「ジャック、だな。覚えた。じゃあな、セレス。また、会いに来る」
馬で駆け抜けていくウェルスに、セレスは目も向けない。
残っていた兵士達も、慌てて乗馬すると、それに続いていく。まるで、嵐が過ぎ去っていったような気分だ。
「……名前」
偽名を名乗ったことで、セレスに睨まれた。
だって、嫌だったんだもん。あんな態度で名乗れと言われると、意地でも素直に名乗りたくなくなる。ただでさえ、本名を名乗るのと面倒な事になりそうなのに、加えてあの態度だ。しょうがないと思うよ。
「はぁ。まぁ、いい。とりあえず、レイスを治療してやってくれ」
「ご主人様」
ティアがオレの手を抱えると、ぐいぐい引っ張ってくる。ついて来いという意味だ。
しかし、オレはまだセレスとの話が終わっていない。抵抗して、その場に留まろうとする。
「後で、部屋に行く」
すると、困ったような顔を浮かべ、セレスは優しくそう言ってくれた。
いつまで待っても、来やしねぇよ!
もう夜だよ!あと寝るだけだよ!いつ来るの?後って、いつ? もしかしてオレ、騙された?
「セレス様が来なくて、落ち着かない気持ちは分かりますが、あまりウロウロしないでください。足の傷、また開きますよ」
昼間の喧嘩のような騒ぎのせいで、オレの足の傷は再び開き、血が垂れていた。もう治療は施されて血は止まっているが、痛みが再燃している。
だから、部屋の中を片足引きずるような形で、うろうろうろうろしている。そうせずにはいられない。セレスが、いつまで待っても来ないから。つまり、セレスのせいだ。
「セレス様は、もうすぐ来ます。そう言っていたので」
「そ、そうか。聞いてくれたのか。……聞いたなら、先にそう言ってくれる!?」
「忘れていました」
このメイドは……。もう馴れて来た自分が、ちょっと怖い。
「昼間は、助けていただいて、ありがとうございました」
「ん。ああ、まぁ、うん」
唐突な、お礼だった。タイミングはともかく、しっかりとお礼を言えるのは悪いことじゃない。
そういえば、ウェルスがティアに、少し気になる事を言っていた。母親が、裏切り者だとか……拷問されて死んだとか。
気にはなるのだが、真意を尋ね難い。その話をされて、ティアはウェルスにぶち切れてたから。下手に口に出そうものなら、オレが殺されるかもしれない。ここは、何も聞かないのが、正解だろう。触らぬ神に、祟りなしだ。
「気になりますか?ウェルス様の言っていた事が」
心を見透かされたみたいで、心臓が高鳴った。
「……気にならないと言ったら、嘘になる」
「ウェルス様の言っていた事は、本当の事です。母は、裏切りを重ねて、そのせいで恨みを買って死にました。私はきっと、そんな母に似ています。だから、いつか主を裏切るかもしれません」
目を伏せて、自信なさげにそう言うティアの様子は、今にも消えてしまいそうな程、弱弱しかった。
いつもの自由奔放なメイドの姿とは、似ても似つかない。
「……そんな事はどうでいいと思うぞオレは。ティアは、かーちゃんの悪口を言われて切れた。て事は、ティアはかーちゃんが好きだったっていう事だろ?」
「……」
ティアは、顔を上げて、真っ直ぐにオレを見据えて頷いた。
「そんな、ティアが好きなかーちゃんに、ティアが似てるって思うなら、それでいいじゃねぇか」
オレの言葉に、ティアの視線が泳いだ。いつもの、何を考えているかも分からない、ゴミを見るような目のまま、右を見て、左を見て、目を伏せて、かと思えば天井を見上げ、そして、顔が少しだけ赤くなった。
「はは」
その様子を見て、軽く笑いが漏れる。
「何を笑っているのですか、ご主人様」
気づけば、もういつもの様子のティアに戻っていて、ゴミを見る目で睨まれてしまった。
「遅くなってすまない!」
そこへ、ノックもなしに部屋に突っ込んできたのは、セレスだ。なんでこの人、ノックしないんだろう。もしかして、オレのお着替え遭遇イベントを期待しているんじゃないかと思ってしまう。
「では、私は外で待っています」
「待て、ティア。ティアに、聞いて欲しい事がある」
オレは、部屋を出て行こうとするティアを、引き止めた。
「レイス。まさか、ティアに話すつもりか?」
「ああ。この国の未来の、大切な話だ」