おにーちゃん
「おねがーい!秘密にして!」
目の前で手を合わせて、オレに懇願してくるテレス。一瞬、自分の身を案じたが、そんな事はまったく心配なかった。
そして、必死に頼んでくるテレスに、嗜虐心がわいてしまう。
「えーどうしようかなぁ」
「うぅ。お兄ちゃんのイジワル!もう知らない!キライ!」
「お、おに……?」
お兄ちゃん──
その言葉が、オレの心を大きく揺さぶった。
「わ、悪かった。秘密にしておくから、そんな事言わないでくれ。な?」
「……本当?」
「うん」
「お兄ちゃん大好き!」
テレスに、抱きつかれて、勢いのままにベッドに押し倒された。ちょっと傷が痛かったが、さしたる問題である。いい匂いだし、柔らかいし、暖かい。幸せって、こういう事を言うのだろうか。
「……姉上と、何かあったの?」
胸に抱きついたまま、テレスがそう話題を振りかけてきた。
「何で、そう思うんだ?」
「姉上、貴方と家に帰ってきてから、様子がおかしいの。私を見て、泣いて抱きしめてきたし、かと思えば、ずっと思いつめたような顔をしている。雰囲気も、優しい姉上なのに、前よりも冷たくて、まるで姉上が姉上じゃないみたい」
死んだ、家族との再会──
その気持ちは分かる。オレも、首だけになった隊長を見ている。生きている隊長に出会えたら、抱きついてしまうかもしれない。
銀色の少女は、故郷が蹂躙されてから、数年の時が経っている。その間に、どうやって生きてきたのかは分からないが、家族が死んで、性格の変化があってもおかしくない。そして、一緒に過ごしてきた家族ならば、そんな変化に気づくのは容易い事だろう。テレスが銀色の少女に違和感を感じるのは、当然と言えば当然だ。
「テレスのねーちゃんは、皆を助けるために、必死で頑張ってるんだ。応援してやってくれ」
「お兄ちゃんは、何か知ってるのね?」
「……」
その問いには、答えられなかった。
「分かったわ。お兄ちゃんを信じて、私は姉上を応援する!頑張るわ、私!」
テレスはオレから離れると、ベッドの上に立ち、拳を作ってそう宣言した。
「おう。頑張れよ」
オレは、そんなテレスを応援するのだった。
──そうじゃない。
なんだかうやむやにされたが、テレスは何故、あんな高位の魔法である、ルトメトを使えるんだ。あれは、とてもじゃないが、あんな小さな女の子が使えるような魔法じゃない。ルトメトさえ覚えていれば、占い師として一生が安泰するレベルの、高位魔法である。しかも、詠唱隠蔽のスキルつき。なんて恐ろしい。
恐ろしすぎて、その日の夜は、中々寝付けなかった。
次の日の早朝──
「お兄ちゃん、朝だよ!」
ベッドに潜り込んで、オレを起こしに来たのは、テレスだった。
夕方になると──
「ただいま、お兄ちゃん!あそぼ!」
テレスは真っ直ぐにオレの部屋へやってきて、そうせがんできた。
どうやらオレは、テレスに気に入られたらしく、その日からしばらくは、テレスと過ごす時間が続いた。魔法の事はきになるものの、テレスは可愛い。一緒に遊んでその笑顔を見ていると、こっちまで元気になる。テレスの笑顔に元気をわけてもらいながら、順調に回復してきているオレは、テレスにせがまれて、ティアも混じってかくれんぼや鬼ごっこもこなせるようになっていた。
そうして、あっという間に、この屋敷にやってきてから1週間が経過する。
「お兄ちゃん、朝だよ」
この1週間。毎日のようにオレの布団に潜り込んできている人物が、この日も同じように、布団に潜り込んで起こしに来てくれたようだ。
「おぅ……もう、朝か。ありがとうな、テレス」
寝ぼけながらも、その頭を撫でてお礼を言うが、その手触りがちょっとおかしい。髪の毛を、編みこんでいる?テレスはツインテールのはずだから、そんな事ないと思うんだけど。
少しずつ目が覚めてきて、それがテレスでない事に気がついた。
「お兄ちゃん」
「……何してるんだ、ティア」
それは、金髪のメイドだった。ティアは、胸がデカイ。それが腕にあたって、布団よりも更に心地のよい感触なのだが、ティアにお兄ちゃんと呼ばれるのは不気味だ。相変わらず、ゴミを見るような目でオレを見ているし。
「ちょっとした、悪戯心です。ちなみに今日は、テレス様は早めに学校へ行かれましたので、来ません」
「ん。そうか」
ちょっと残念だが、起きる事にする。
「少し、お待ちを」
ベッドに眠ったまま、ティアがオレの服をつかんで、引き止めてきた。よく見ると、メイド服がちょっとめくれていて、足が見えている。その上、胸の谷間まで目に入った。初めて、ティアに色気を感じたかもしれない。
「な、なんだ?」
「本日は、お部屋で、怪我人らしく、おとなしくしているのがいいかと」
「……なんで?」
「理由は特にありませんけど。お世話は、私がいたしますし。なんでしたら、ご主人様がお求めでしたら、身体も差し上げますので」
「よし、起きよう」
「素直じゃありませんね」
ちょっといじけた表情のティアをよそに、オレはいつも通りに過ごす。朝飯を食って、散歩をして、新聞を読んで……まるで隠居生活だな。傷も癒えてきたし、そろそろ家に帰ることを考え始めてもいいかもしれない。
そんな事を考えながら、屋敷の庭でボケっとしていると、玄関の方が騒がしくなった。
「なんだ?」
「……」
聞こえてくる音は、馬の足音だ。それも、複数の。
オレの傍にいたティアは、黙っている。オレはそれを気にする事もなく、玄関の方へと駆けつけた。すると、そこには騎兵隊がいて、複数の兵士が屋敷のメイドさんと話をしている。しかし、あまり穏便ではない。兵士が何やら怒鳴り散らすと、メイドさんの顔面を平手打ちする姿が見えた。
オレは、それを見て、足を速めた。
「何してんだ、てめぇら!」
勇みよく駆けつけると、兵士達の視線がこちらを向く。殴られたメイドさんもこちらを向くが、その頬は赤くなっていて、口からは血が垂れている。しかし、メイドさんは一切同様した様子がなかったのは、意外だった。というか、他のメイドさんも一切動じていない。オレだけ怒鳴り込んできて、ちょっと恥ずかしいと思うくらいだ。
「なんだ貴様はぁ!」
しかし、兵士達は興奮気味である。オレの怒鳴り込みに、しっかりと反応して突っかかってくる。
「待て」
それを止めたのは、馬にのったままの兵士の一人だった。彼の言葉一つで、兵士達はおとなしくなる。
その兵士は、銀髪のロングヘアーの男だった。鎧を着込み、腰には宝石の散りばめられた剣。その目つきは相手を射殺さんばかりの鋭さを持ち、声は低く通り抜けるような美声。さぞかしもてそうな風貌の男が乗っている馬には、白の十字に、少しずれて青の十字のマークが重なったデザインの、旗が下げられている。その旗は、ランデクリフトの国旗。つまり、彼らはこの国の兵隊という事で、野盗とか、他国の兵隊という訳ではない。
「お下がりください。私達は大丈夫ですので……」
メイドの一人が、オレの腕を掴んで止めに入る。しかし、こんな状況で放っておく事はできない。
「お前ら、この屋敷になんの用だ?」
「私はただ、家に帰ってきただけだ。それを、このメイド達が中にはいれさせないと言うので、私の部下と、少々口喧嘩になってな」
「家?」
「……彼は、リリード・ヴァン・キスフレア様のご長男で、セレス様の兄。ウェルス・エッジ・キスフレア様です」
「あ、兄……!」
教えてくれたのは、ティアだった。
まさかの、銀色の少女の兄貴出たよ。てことは、テレスの本物の、お兄ちゃんか。
キスフレア一族の例に漏れずの、美男。イヤになるね。
「こちらよりも、貴様が何者だ。使用人にも見えないが、何故こんな、いかにも下等そうな身分の者がいるのだ。誰か答えよ」
「……」
誰も、彼の問いには答えない。それに、銀髪の少女兄は、舌打ちをする。どうやら、相当ここのメイドさん達から嫌われているようで、それは言わずとも伝わってくる。
「私は、この辺りに不穏因子がいて、セレスが傷つけられそうになったと聞いて駆けつけたのだ。とあれば、セレスとテレスは首都に移動させ、保護をせよとの命を受けている。これは、国王からの正式な命令であり、逆らえば死刑に処す。それが、父上であってもだ。分かったら、全員道を開け、二人を連れて来い」
「そのような命は、我が主からは聞き及んでおりませんので、従いかねます」
メイドさん達の態度は、一貫している。どうやら、彼らを中にいれるつもりは、毛頭ないらしい。
だが、ちょっと聞いただけでは、このウェルスとかいう男の言っている事も、分かる。この地が危ないのなら、安全な地に二人を移すという訳だから、理はかなっている。だがそれは、銀色の少女が言ったでたらめで、この地に輩がいる訳ではない。
それを知ってるのは、オレと銀色の少女だけだけど。
「使用人ごときが、舐めた口をきくなよ。私とて、貴様らにいつまでも甘い態度をとると思ったら、大間違いだ。最後通告だ。セレスと、テレスを連れて来い。従わなければ、殺す」
セレスと、テレスの兄貴。ウェルスは、馬から降りながら言い放った。その口調は、まるで感情を持たぬがごとくの、冷たい口調だ。とてもじゃないが、自分の家のメイドさん達に向けていいような言葉じゃない。
ははーん、分かったぞ。こいつ、イケメンだけど、嫌なヤツだ。確信したね。
「落ち着けよ。王様の命令っていうなら、まずはそれを証明するのが筋だろ」
とりあえずは、冷静に話をしてみる。案外、すぐに引いてくれるかもしれないし、穏便にすむならそれに越したことはない。
「下民は隅で黙っていろ」
「証拠がないなら、話にならない。帰れよ、おにーちゃん」
穏便にするつもりだったのが、思わず挑発するような事を言ってしまった。そんな挑発に、ウェルスの眉が、わずかに動く。
「ご主人様の、言うとおりです。証明できないのなら、我らは貴方達に従う訳にはいきません。何せ、私達は主より、このお屋敷の管理と、セレス様とテレス様の、教育と保護の命を受けているので。その命を無視しての行動はできかねます。例えそれが、本当に国王様のご命令であっても、です。もしも本当にセレス様とテレス様を連れ帰る気があるのなら、リリード様が留守の時を見計らって来るのではなく、リリード様がいる時に、お越しくださいな。そして、リリード様が良いといえば、おとなしく従いますよ。ウェルスぼっちゃん」
オレに続いて言い放ったのは、ティアだった。いつものティアより、だいぶ口が達者である。ゴミを見るような目までもが、いつもより達者だ。いいぞ、もっと言ってやれ。
ウェルスの正面に立ち、ティアが雄弁にそう言い終わると、その瞬間、ウェルスがティアの頬に平手打ちを放ち、乾いた音が響く。
「オーフェンの娘を、まだ雇っているのか、父上は。それより貴様、先ほどこのみずぼらしい男の事を、ご主人様と呼んだか?」
「ええ。ご主人様は、ご主人様です」
殴られても、ティアは動じなかった。この屋敷のメイドは、殴られたときの訓練もしてるのか?誰も動じなくて怖いんだけど。
「さすがはあの、オーフェンの娘だ。やはりお前も、母親譲りの男好き。一人の男に絞る事はできないか。確かお前の母親は、裏切った男に復讐され、殺されたのだったな。死体には、壮絶な拷問の後があったとか。まったく、裏切り者はいつの時代も、ろくな死に方をしない。貴様も同じ末路を辿らないように、せいぜい気をつけろ。私からの、親切な警告だ」
「……」
殺気が、放たれた。放ったのは、ティアだ。
あっと思った瞬間には、ティアがウェルスの隣にいた兵士の腰の剣を抜き、ウェルスに斬りかかっていた。
その剣は、ウェルスの剣によって防がれて、金属と金属がぶつかり合う音が、響き渡る。
あの奇襲を受け止めたウェルスも、かなりの実力者だろうと分かる。しかし、やはり、ティアも只者ではない。それは完全に、戦闘を知っている者の動きだった。
「正当防衛だ」
ティアの剣が、砕け散った。単純に、力とのぶつかり合いで、ティアの剣がそれについていかなかったのだ。実力者が、程度の低い武器を全力で扱うと、耐えられずにそうなる。
そして、武器を失ったティアに、ウェルスが容赦なく斬りかかる。
それを見過ごす訳にはいかない。オレは、ティアとウェルスの間に割って入り、ティアを斬ろうとしていたウェルスの剣を、刀で受け止めた。
それは、重い一撃だった。このクソ男、本気でティアを殺そうとしやがった。
更に、オレが剣を止めた事で、ウェルスの怒りの矛先が、オレへと向かう事になり、思い切り睨まれてしまう。
もう、どうなっても知った事ではない。このクソ男を、力ずくで追い返してやる。
そう思った矢先に、オレは顔面を殴られた。オレが、必死に両手でウェルスの剣を止めるのに対して、ウェルスは片手で剣を持っている。空いた方の手で、オレは鼻っ面を殴られて、鼻血が噴き出したのだ。
「がはっ!」
膝をついたオレに対して、今度は顔面に蹴りが迫る。しかし、それは手で防ぎ切る。その直後に、再び顔面に拳を食らわされた。たまらずにダウンしかけるが、根性で踏みとどまる。そして、逆にウェルスに殴りかかるが、軽くあしらわれて、今度は脇腹を蹴り飛ばされてからの、顔面肘うちだ。たまらずに、意識が飛んでいく。しかしそれも、一瞬の事。すぐに意識を取り戻すと、倒れ掛かった身体を足で踏ん張り、頭からウェルスに突撃を慣行する。オレが繰り出したのは、所謂頭突きだ。
「っ!?」
泥臭い攻撃ではあるが、ウェルスの虚を突くことに成功した。オレの頭はウェルスの顎をとらえ、ウェルスの足をふらつかせる事に成功する。
「この、よくもウェルス様に!」
オレが、一撃をウェルスにいれた事により、そこまで傍観していた兵士達が、一斉に剣を抜いた。狙いは、オレだ。ヤバイな。オレ、殺されるのかな。
「そこまでだ!!」
その時、そんな声が響きわたった。