涙
「歓迎するよ、レイス君。あの子を助けるため、共に戦おう」
目の前に差し出された、リリードの手。オレは、それを手に取り、立ち上がる。
「ご主人様も、他の方々と同様に?」
「そうだ。しかし、レイス君は比べ物にならないほど、深く繋がっている。彼にあの子を見せたのは、正解だ。あの子に感謝しよう。新たな仲間の、誕生だ!」
「……」
「ティア。何か不満が?」
「いえ。ありません」
「……ティア」
リリードは、そのまとわりつくような手で、ティアの肩に手を乗せて、囁く。
「お前は、私の言うとおりに動いていればいい。そうすれば、きっと、あの子がお前の大切な母親を、生き返らせてくれるはずだ」
「はい」
それが、ティアがリリードに従う理由か。母親の復活。それを信じて、ティアはリリードに付き従っている。
それは、ティアにとって、最重要の目標なのだ。オレ達を裏切ってしまう程に、ただそれだけを見つめて、真っ直ぐ前を見て進んでいる。オレのように、途中途中で下を見て、皆に前を見ろと発破をかけられるようなヤツとは、違う。
「リリード。召喚魔法は、どうなっている」
「もう、詠唱に入っているよ。発動と同時に、ここにいる私たち以外、全員死ぬことになる」
「……」
辺りを見てみるが、誰もそんな物は詠唱していない。一体、誰がそんな物を詠唱していると言うのか。
「降ろしてくれ」
リリードの合図で、下の連中が、何かのレバーを引いた。すると、滑車の滑る音がして、空からオレ達の目の前に、トンキ族のオスが降ってきた。
それは、白い、トンキ族のオスの死体だ。体中に魔法の紋章が刻まれ、グリムが崩壊している。
「コレが、召喚魔法の鍵だ」
その死体は何か、魔法を詠唱しているようだ。死体が、だぞ。信じられない。
更に、その魔法を、オレは見たことがない。オレの知識を超えた物である。すなわち、召喚魔法だ。死体が、召喚魔法を詠唱している。
「この、白いトンキ族は、どこから連れて来た」
「トンキ族の、とある村だ。そこで、封印されていた物を、持って帰ってきたんだ。伝承によると、千年前から腐らず、そこにあったらしい」
「古い文献に、白いトンキ族が暴れて、仲間を食った事があると書いてあった。もしかしたらコイツは、それか」
「そうだよ。その、死体だ」
さらりと肯定するが、千年という時は、途方もなく長い。その文献にあった白いトンキ族がコイツだとしたら、世界七不思議に数えられるくらいの、不思議現象だ。
「私は偶然立ち寄ったトンキ族の村で、偶然この死体を発見した。この死体は、あの子のいる場所と、わずかに繋がっている。だから、持ち帰って、あの子を助ける手助けをしようと思った。コレに刻まれた紋章は、私の研究成果の結晶だ。ここにいる、魔術師たちも頑張ってくれた。死んでいったトンキ族達も、研究に大いに役立った。おかげで、あとは大量のグリムをこの紋章に注げば、門が開かれる所まで来ている。みんなの、努力の結晶が、ここにあるんだ」
「では、何故、さっさとやらない。完成したのなら、その瞬間にやるべきだ。何故、引き伸ばして、ウェルスの襲撃を待った。情報があったのなら、さっさとやれば、こんなまどろっこしい事には、ならなかった。違うか?」
「答えは、単純だ。見てみたかったのだ。レーニャに、愛する者に殺される、ナーヤの姿を!愛する者が、信じる者を殺す姿を目の当たりにする、タニャを!ティアに裏切られている事を知った、レイス君の顔を!面白かった。実に、面白かった!最高のショーだったよ!」
心底面白そうに笑うリリードだが、オレは笑えない。というか、誰も笑っていない。笑っているのはリリードだけ。何がそんなに面白いのか、全く理解ができない。
「そうか。分かった」
オレは、そう言って、その白いトンキ族の死体の紋章を、刀で切りつけた。
「何を、している、レイス君」
すっかり、笑いの消えた顔で睨みつけ、リリードが聞いてくる。それに構わず、もう一発刀で切りつけて、紋章を破壊。更に、もう一発やろうと、刀を振り上げたところで、黒い手がオレの腹を殴りつけてきて、その勢いで身体が吹っ飛ばされた。また、オレは祭壇から突き落とされてしまったようである。
しかし、不思議と痛みはない。腹を殴られたと言うのに、全くだ。
そして、オレは為す術もなく、地面に叩きつけられた。全身を強打し、血があふれ出す。骨だけではなく、臓器もやられたのかもしれない。それでも、痛くない。すぐに立ち上がり、リリードを睨みつける。
「ティア!ヤツを殺せ!絶対に殺せ!」
怒りに感情を染めたリリードが、祭壇からティアに、そう命じた。その命令に従い、ティアは階段を駆け下りて、こちらへ向かってくる。
オレは、ゆったりとした動きで、階段の方へと向かうが、その行く手を、短刀を手にするティアが阻んだ。
「ご主人様。どうか、邪魔をしないでいただけませんか」
「そうも、いかない。オレには、しないといけないことがあるからな」
「しなければいけない事は、あの子を助けるという事では?」
「そうだ。あの子を、助ける。オレは──」
頭が混乱しかけるが、そうではない。オレがしなければいけない事は──
目の前に、ティアが迫っていた。一気に間合いを詰められ、短刀を突き刺そうとする構えである。オレは、それを刀で弾き返すと、反撃で刀を振りぬいた。それは、ティアがオレと距離を取ったことで、回避されてしまう。
「貴方は一体、どちらなのですか!」
どちら?何の事を言っている。オレには、難しくてよく分からない。
「うっ!?」
頭が痛む。酷い痛みだ。だが、倒れる訳にはいかない。
オレは、ティアに刀を向け、攻撃に備える。
「分かりました。少々、本気でいきます。今なら、一緒にリリード様に謝ってあげますが、どうしますか?」
「はっ。お断りだ」
「……やはり、貴方はご主人様のようですね」
ティアが、斬りかかってくる。オレも、それに応える形で、斬りかかる。
刀と刀がぶつかりあい、火花を散らす。ティアの武器は、スピードだ。目にも留まらぬ速さで、連続攻撃を仕掛けてくる。
しかし、何故か今のオレにはそれが、とても遅く見える。正面から隙をついて斬りかかられても、背後に回りこまれても、全ての攻撃に対応し、刀で捌ききる事ができてしまう。
「……漆黒……災禍」
ティアが、業を煮やし、スキルを放ってきた。斬り筋に、黒い跡を残す、強烈な一撃を放つスキルだ。
それを、オレの側面に回りこんだ瞬間に、一気に距離をつめて放ってくる。
「プロシィウォール!」
オレは、魔法の壁を作ることにより、それを防ごうとした。しかしそれは、あっけなく破られてしまう。壁はもろくも砕け散り、黒い斬撃が、オレに迫った。
まぁ、そうなるだろうと言う事は、分かっていたので、避ける事は簡単だった。オレは、身体をのけ反らせ、リンボーダンスでもするように、ティアの一撃を避けきって見せる。
オレはそのまま地面に倒れこむと、ティアの足を狙って、蹴り払った。しかし、かわされ、無防備に出した足を、逆に斬り付けられる始末。が、傷は浅いので、特に問題はない。
ティアは、オレの足を斬って、一旦間合いを取った。オレはそれを見て、ゆっくりと立ち上がる。
「……ご主人様。お身体が、もうボロボロです。お休みになられては、いかがでしょうか」
「お前が膝枕でもしてくれるのなら、考えないこともない」
「それは、ご主人様にはあまりにも、もったいなく、提供しかねます」
「なら、残念だが、決裂だな」
「そのようです」
「ルーンシングルアロー!」
オレは、ティアに向かって、魔法の矢を放った。
ティアはそれを、大げさに横飛びして、かわし、勢いそのままに、オレの側面に回り込みながら距離をつめてきた。
「アイスバインド」
ティアの足が、氷で床と一体化させられた。
「ルーンシングルアロー」
動けなくなったティアに、再び魔法の矢を放つ。ティアは、その場から動くことができない。その上、オレと距離をつめていたことにより、矢の到達するまでの時間は、更に短くなっている。
すると、ティアは予想外の行動に出た。短刀を、空に投げ捨てたのだ。
かと思えば、ティアに襲い掛かる矢を、眼前で、両掌を合わせての白羽取りをして見せた。
直後に、アイスバインドが解ける。同時に、ティアは駆け出して地を蹴り、空を飛んだ。オレの頭上を越えて行き、その際に、先ほど投げ捨てた短刀を空中で取り、オレの背後に着地する。
「漆黒・風塵」
無数の黒い光が、オレに襲い掛かった。その光に触れられた腕から、足から、胴から、血が出て、切り刻まれる。四方から襲い掛かるそれに、オレは太刀打ちする術を持たない。ただ、数が多い分、威力は低い。その上、ランダム性の高いスキルなので、必ずしもオレに当たるとは限らず、無駄に空中を斬るだけの光もある。
そんな、無数の黒い光の中を、ティアは自らのスキルに刻まれながら、オレに向かって突っ込んできた。手にした短刀を突き出し、突っ込んでくるティアは、完全にオレの虚を突いた。防御するには、遅い。魔法を使うにも、間に合わない。
なので、オレはそんなティアの短刀を、手で、受け止めた。左手は短刀により貫通して、血があふれ出す。だが、相変わらず痛みがない。
「……!」
オレは、左手を貫通したそれを握り、ティアが逃げられないようにした。
「アイスバインド」
その上で、ティアの足を、再び氷で固め、その場から動けないようにする。
そしてオレは、手に持った刀を、ティアに向かって振りぬいた。刀は、ティアのみぞおちのあたりに命中する。けっこう、鈍い感触と音が響いた。繰り出したのは、峰打ちだ。たぶん、死にはしないだろうが、痛そう。
「がはっ……!」
ティアは涎と胃液を流し、その場にうずくまってしまった。アイスバインドは、もう解いておく。
「かはっ、か、ひっ」
そんな、苦しげなティアを、無理矢理仰向けにさせて、オレはその腹の上に馬乗りになる。それから、左手に刺さったままになっていた短刀を抜き取り、ティアの顎を右手で固定してから、短刀をその眼前に突き立てた。
「はっ、はっ、はっ」
ティアは、息を荒くして、じっとオレを見つめる。全てを諦めたかのように、抵抗はない。
「いいか、ティア。お前のかーちゃんは、絶対に蘇らない。あの子は、絶対にそんな事をしてくれない。あの子がもたらすのは、世界の破滅だ。だから、リリードに付き従うのは、よせ!」
「そ、そんな、事……ご主人様に、わかる……事では……」
「オレには分かるんだよ!あの子は結局、リリードも殺して外へ放たれる!そうなったら、獣人は、全てがあのトンキ族のオスのように白く染まり、世界を破滅させるために、進行を始める!」
「……勝手な、事を、言うのはよしてくださいっ。リリード様は、私に、約束をしてくれました……忠誠の代価に、私の母を、蘇らせると……」
「ティア。お前は、あの子を、見ていないな?」
「……」
ティアには、理性が残っている。でなきゃ、あの子を見たあとのオレを気遣って手を差し伸べてきたり、ナーヤに短刀を突きつけたときに、心苦しそうな顔を見せたりはしない。お前は表情が読み取りにくいから、他のヤツには分からなくとも、オレには分かる。他の、魔術師やリリードとは、全く違う。まだ、あの子に魅入られる前の、優しいティアのままだ。
リリードは、その優しいティアを、利用しているに過ぎない。それに、怒りを覚える。騙すくらいなら、あの子を見せてやればいい。何故、そうしなかった。
「可愛いあの子は、世界を滅ぼす存在だ。お前の望む事を、叶えてくれやしない。お前のかーちゃんは、蘇らない。お前は、リリードに、騙されてるんだよ!」
「っ……!」
ティアの目から、涙が溢れた。それは、子供のような、純粋でキレイな涙だった。