本性
この日オレは、早起きをした。身支度を全て終えて、武器を携行し、勇ましく歩く。その内心は、恐れが半分と、もう半分は、期待。
「おはよう、お兄ちゃん」
廊下で待ち合わせたテレスが、既にそこにいた。その服装は、いつもの可愛らしいドレスではなく、動きやすそうな格好だ。ズボンに、長袖のシャツと、その上からカーディガンを羽織っている。その小さな身体に巻きつけるようにつけたベルトには、ポシェットが備えられ、勇ましい冒険者風の服装だ。
「よう。中々似合うな」
「バカ者。かような格好を褒められても、嬉しくないわ」
気合の入ったその服装は、不測の事態を予測しての、備えである。
オレも、怪我はまだ完全ではないが、動くのに邪魔な包帯は、取っ払って来ている。それも、この日のためにした、準備の一つだ。
「準備は、良いな?」
「とっくにできてる」
「なれば、参るとしよう」
「おう」
オレとテレスは、並んで歩き出す。目指すのは、リリード氏の部屋。この時間なら、彼は起きている。これから飯を食って、仕事場の研究所へ向かおうとしているはずだ。
その、リリード氏の部屋へ辿り着くと、オレは部屋を二回、ノックする。
「どうぞ」
中から、リリード氏の返事が聞こえ、扉を開く。
「どうしたんだ、こんな朝っぱらから。どこかに、ピクニックでも行くのかい?」
優しい笑顔で迎えてくれたリリード氏に、惑わされる。もしかしたら、自分は間違っている事をしようとしているのかもしれないと、思ってしまう。
「大切な話があって、来ました。少し、時間をください」
だが、意を決して、そう言葉を発する。
「すまないが……今日は早めに仕事に行かなくてはいけなくて。帰ってからでも、いいかい?」
「大切な話なんです。どうか、聞いてください」
「すまない。どうしても、遅れる訳にはいかないんだ。話は、帰ったら聞くよ」
「研究所の、地下について。あそこで行われている事を、知っている」
「……」
リリード氏の動きが止まった。その表情が硬くなり、冷たさを帯びていく。
「テレスは、関係ないだろう。外で、待っていなさい」
「そうはいかん。わしも、お兄ちゃんと同じく、知っておる。だから、父上の話を聞くために、ここにいるのだ」
「お前は……いいだろう。話を聞こう。ただし、手短にね。今日は、ホント、早く仕事場に行かないといけないんだ」
リリード氏は、柔らかな、余裕のある表情に戻り、ソファに座った。
あくまで、研究所には行くつもりらしいが、そうはならないだろう。オレも、テレスも、そうさせるつもりはない。
「それで、話は?」
「今すぐに、召喚魔法に関する研究を、やめてください。同時に、トンキ族達を解放し、家に帰してください」
「すまないが、話が分からない。召喚魔法に関しては、研究しているが……トンキ族を解放?何の話だ?」
「とぼけなくてよい。父上。レーニャという名のトンキ族を知っておるな?」
「ふむ……知らないな」
「彼女は、ナーヤの部下。タニャの妹じゃ。そして、ナーヤにとっても、大切な存在。今すぐに、解放し、家に帰すのじゃ」
「ナーヤが、そう言ったのかい?」
「違う。オレが、見たんだ。あの薄暗い鉄の扉の中に閉じ込められた、レーニャを」
「そうか。レイス君か。ウェルスに、おかしな事を吹き込んだのは」
空気が、凍った。リリード氏の鋭い目が、オレを捉える。その目は、明確な憎悪を宿していた。
いつもの、優しい雰囲気のリリード氏は、この瞬間に消えた。代わりに、目の前にいるのは、別人のように、冷たい表情の、おっさんだ。
「研究の邪魔を、するな。さもなくば、いくらレイス君とはいえ、殺さなければならなくなる」
「……ナーヤ達を呼んだのも、研究のためか?獣人との交流も、嘘なのか?いつもの、優しいあんたは、偽りだったのか?」
「嘘ではない。が、ナーヤを呼んだのは、君の言うとおり、ちょっと試したい事があったからだ。ああ、でも、そんなにたくさんはいらないんだ。数匹でいい。研究所の地下を見たときの、反応が見たくてね」
「……反応?」
「そう。彼らを知るには、全てを理解しないといけない。痛みを味わったとき、どんな風に泣くか。どんな風に、痛がるか。どんな時に、絶望を感じるのか。どんな風に、死んでいくのか。私がしている事を知ったとき、どんな反応を見せるのか。全てを知った上で、初めて相手を理解でき、そして交流が生まれる。私は、獣人と仲良くなるため、必要な事をしているんだよ、レイス君」
そのふざけた主張に、頭が痛くなってくる。コイツは、どこか違う世界の住人だ。言っている事が、全く理解できない。仲良くなるために、拷問だ?ふざけすぎている。
そして、その口調もまた、頭痛の原因になる。あまりにも、口調が冷たすぎる。何の感情も持たない、抑揚のない言葉。しかし、その目には憎悪が宿り、オレを睨み続けてくる。どうしたら、そんな風に話せるのか、分からない。
「仲良くなるために、そんな事が必要だと、本気で思ってるのか……!?」
「思ってないよ。これは、ただの、趣味に近い。面白いよ、トンキ族は。人より、遥かに頑丈で、壊し甲斐がある」
「っ……!」
会話に、なっていない。会話を、しようともしていないのかもしれない。
でも、リリード氏が、地下の事を認めたことは、確かだ。コレで、リリード氏の黒は、確定する。オレの、最後の迷いもなくなり、これで心置きなく、リリード氏を敵だと認識できた。
「よく、分かりました。ここで、あんたに選んでもらいたい事がある。おとなしく、捕らえたトンキ族を解放し、召喚魔法の研究を放棄した上で、罪を裁かれる道と、強制的に裁かれる道の、二つだ」
「人を、罪人扱いするのはよせ。私は、何もしていない」
「とぼけてんじゃねぇ!」
思わず、大きな声を出してしまった。その上で、リリード氏の胸倉をつかみとる。しかし、リリード氏は何の抵抗もせず、その冷たい目でオレを睨んでくるだけだった。
「何か、勘違いしているようだが、獣人を傷つけた者が裁かれる法律など、この国にはないよ。あるのは、人を傷つけた場合に、裁かれる法律だ。なので、私は罪人ではない」
「……あんたが、なんと言おうと、もう事態は動いている」
「そうだね。ウェルスが兵士を動かしたのは、意外だった。でも、遅すぎるよ、君達。私の研究は、もうとっくに終わっている。あとは、いつ、どのタイミングで、実行するか、だけだ」
「しかし、父上はここにいて、研究所は今頃、兄上の部隊が制圧にかかっている。そんな状況で、何ができると?」
「甘いよ、君達は。何故、私がここにいると、思うのだ?」
その言葉の意味を考えるより先に、オレの身体が動いた。
リリード氏を床に投げ飛ばし、その腕を背中に回して動けないようにする。
「待て、お兄ちゃん!何か、おかしい!」
テレスが何か勘付いたようだが、その真意は分からない。だが、リリード氏はここにいて、逃げられない状況にある。それで、十分だ。
「私は、ここにはいない。その意味が分からないのなら、君達の負けだ」
「黙ってろ。訳の分からない言葉で、かく乱させようとしても無駄だ。あんたは、逃がさない」
それにしても、これだけオレの体重かけて床に押さえつけても、苦しげな表情一つ浮かべず、普通に話す。なおかつ、冷たい目つきのまま表情が全く変わらない。人間とは、ここまで無表情で、冷たいままいられる物なのだろうか。
「……その、腕輪はなんじゃ?」
テレスがそう言って指差したのは、リリード氏の、右腕につけられた、金色の腕輪だ。別段、何かおかしな所はみつからないものの、テレスがそれに手を触れると、その表情が険しい物へ変わった。
「テレスは賢いな。気づいたか。それに比べて、レイス君は……まったく、愚かだなぁ」
「お兄ちゃん、父上は──!」
「残念だけど、死んだよ、君」
突然、リリード氏の金の腕輪が砕け散り、リリード氏のその姿が、木の人形へと変わる。そして、間接がおかしな方向へ曲がり、オレの腕を掴んできた。それは強い力で、振り払えない。更に、その人形が、とある魔法を発動させた。その魔法は、デラノバイオ。対象を蝕む、毒の魔法である。人形から煙が発せられ、周囲を包み込み始める。
「お兄ちゃん!」
「毒だ、離れろ!部屋から出て、絶対に中に入ってくるな!」
迷った様子のテレスだが、テレスにはどうする事もできない。テレスは部屋を出て行き、扉を閉めた。部屋が、毒で充満していく。人形は、オレにくっついて固まり、全く引き剥がせない。早すぎるが、オレはここで終わりだ。毒に包まれながら、オレはそう悟った。
「……ん?」
しかし、特に身体に変化がない。確かに、コレは毒だと思うんだが……とりあえず、窓を開けて空気を換気。身体にまとわりつく人形を、何度か壁にぶつけてぶち壊し、どうにか取り払うことに成功した。
窓を開けたことで、段々と毒が晴れていく。大分部屋の中の毒がなくなってきて、そのタイミングを見計らい、オレは部屋の扉を開いた。
「お兄ちゃん……」
テレスが、泣きそうな顔をして、そこに突っ立っていた。こうやって見ると、本当にただの美幼女だが、中身はじじいである。
「バカ者がっ!油断しおって、普通なら死んでおるぞ!?何故生きてる!」
「確証はなかったんだけど、もしかしたらオレ、毒に耐性があるのかもしれない」
「信じがたいが、そのようじゃな……アレで生きていられるとは、恐ろしいのう。だが、一回死んだ物と思え!運が良かっただけじゃ、まったく、心臓に悪い!」
「分かった。分かったから。それよりも、リリード氏は──」
「……どうやら、やられたのう。魔法により、人形を自らの姿に化かしておったようじゃ。本物の父上は、研究所にいるんじゃろうな」
リリード氏を、研究所に近づけないというオレ達の計画は、早速失敗した。
出鼻をくじかれた形だ。しかし、リリード氏の本性は、よく分かった。