小競り合い
「ところで、ご主人様。テレス様の様子がおかしいので、見てもらえませんか」
とは、ティアである。
早めの朝食を済ませ、リリード氏が仕事で屋敷から出かけていくのを見守っている所で、そう言われた。
「どうおかしいんだ?」
「ずっと、お部屋に閉じこもって、何か魔術の研究をしているようです。たまに、訳の分からない事を叫んだり、怪しく笑ったりと、いつものテレス様とはかけ離れた様子でして」
そういえば、ドラゴンの血を手に入れて、帰ってきてから、魔術薬品の開発をすると言って、部屋に閉じこもったままだった。特には気にしていなかったが、ティアに本性のボロが出ているというのは、ちょっと心配だ。
というわけで、テレスの部屋を訪れる。まだ日が昇ってから、時間はそうたっていないというのに、テレスは、起きていた。ぶつぶつと言いながら、本に文字を書きなぐり、時々不適な笑みを浮かべている。
「テレス。テレスー。テレスちゃーん」
「ぬがああぁぁぁぁ!」
突然、テレスが叫び、書いていた本のページを破り、丸めて放り投げた。
「……お兄ちゃんか」
イスに深く座りなおし、テレスがオレを見て言った。その目の下には、少しクマができている。明らかに、徹夜明けである。
「ずっと、魔法の研究をしてたのか?」
「そうじゃ。思ったより、難儀しそうじゃのう。ドラゴンの血との、グリムの割合が上手くいかん」
「あんまり、無理するなよ」
そう言いながら、テレスが書いていた本を手に取り、パラパラとページをめくってみる。何か、訳の分からん計算式がズラリである。
魔法薬品の精製方法なんて、完全にオレの専門外だ。ゲームの中じゃあ指定されたアイテムを合成して、はい完成だが、この世界ではそうはいかない。物を用意して、ちみつな計算を尽くされたグリムを混ぜあい、時間をかけて作り上げる。そこは、1ミリのずれも許されない世界だ。
「無理をせねば、完成は遠い未来の話となる」
「とはいえ、そこまでお前が頑張る必要はない。少し、休め」
オレは、本を置き、テレスの頭の上に手を置いて、そう諭した。
「かっはっは。安心せい。これくらい、無理の内にも入らんよ。わしが生まれ変わる前は、3日くらい平気で起きておったからな。……しかし、この身体は……なかなか……」
テレスの声が、飛び飛びになっていく。目が、閉じたり開いたりを繰り返すが、やがて、閉じたまま開かなくなった。眠気に負けて、眠ってしまったようだ。
しかし、イスに深く腰掛けたままの体勢で、眠らせておく訳にもいかない。オレは、テレスを抱いて、ベッドに移動させると、部屋を後にした。
「どうでした?」
「寝たよ。ちょっと疲れてると思うから、そっとしといてやってくれ」
テレスの部屋を出たところで、入り口に立っていたティアに、そう報告。
「そうですか。最近……具体的に言うと、ご主人様が来てから、テレス様の様子が少しおかしいので、心配です。まさか、愛する男ができると、女性は変わると聞きますが、それでしょうか」
「違うから安心しろ。けど、テレスに無理をさせたのは、オレかもしれない。それは、すまん」
「別に、私に謝られても困ります。でも、最近のテレス様は、急に屋敷の警護を強くするように要求したり、留守に何かあったら、すぐに報告するように言って来たり、まるで、何か起こる事を警戒しているようで、常に気を張っておられます。故に、心配になるのです」
確かに、最近のテレスは、未来を変えるために大きく動いている。そのせいで、いつもの可愛らしくて、幼いテレスのイメージと、少し違う行動をとる事もあった。
その様子は、前にセレスが、別人のようだと見破ったティアにとって、感じる違和感は大きいはずだ。
「そうだな……でも、テレスにはテレスで、やらないといけない事があるんだ。協力してやってほしい」
「言われずとも。ところで、今こちらに、とある人物が向かってきているのですが、お部屋から出てこない事をお勧めします」
「とある人物?」
そういえば、前にティアは、ウェルスとオレを鉢合わせないよう、部屋から出てこない事を勧めてきた事があった。結局、オレはティアの言葉を深く考えず、会っちゃったけど。
そう考えると、今こちらに向かってきている人物というのは、ウェルスと考えられる。
「……どれくらいで、着く?」
「もう少しかと」
「了解だ」
「どちらへ?」
ティアの横をすり抜け、廊下を歩き出したオレに、ティアが尋ねてくる。
「そいつを、外で待ち受ける」
「私の話を聞いていなかったようですね」
ティアがオレの進路に立ちふさがると、ゴミを見るような目で睨まれてしまった。
「ご主人様は、お部屋で待機を。何があっても、外へは出てこないでください」
「心配してくれるのはありがたいけど、そんなに悪いことは起こらないはずだ。オレに、任せてくれ」
「?」
オレがそう言うと、ティアは首を傾げた。オレの発言に首を傾げているのではなく、自分の胸に手をあてて、首を傾げてる。
「どした?」
「……なんでも。まぁご主人様がそういうのでしたら、私は止めません」
「おう」
屋敷の玄関先で、ウェルスの到着を待つこと、数分だった。騎兵を引き連れた男が、屋敷の前までやってきて、止まる。その数は、あわせて5名。その先頭を走ってきたのは、目立つ銀髪の男。予想通り、ウェルス様のご到着だ。
「出迎えとは、殊勝な心がけだな」
ウェルスは馬から降りず、オレを見下ろしてそう言った。相変わらず、人の見下ろすのが好きなヤツである。
「ウェルス様。リリード様はただいまお留守ですので、私が代弁いたします。一歩たりとも、屋敷に入る事は許されませんので、どうぞお引取りください」
オレとティアに加え、玄関前には、メイドさん達もいる。そのメイドさん達の一人が、ウェルスに毅然とそう言い放つと、ウェルスの部下が馬から降りてきて、そのメイドさんの前に立つ。と、その手が、振り上げられた。
「やめろ!」
オレは、その手を掴んで、やめさせる。
前と、全く同じ行動である。予想できていたので、止めやすかった。
「何をする、貴様ぁ!」
止めた兵士に、胸倉を掴んで迫られる。唾が顔面に飛んできて、物凄く不快なんだけど。あと、オレ一応けが人な。包帯だらけだから、分かってるよな?なのに、こんなに乱暴にするってのは、いかがなものかと思う。トンキ族の彼女達にやられるならまだしも、この兵隊達にこうされるのは、とてつもなく気に入らない。
「やめてくれよ、オレは怪我人だ。乱暴はしないでくれ」
「関係あるか、ガキめっ!」
今度は、拳を振り上げる兵士。おとなしく殴られるのも、癪だ。反撃してやろう。そう思ったが、その必要はなかった。
振り上げられた拳を、ティアが後ろ手に捩じ上げて、止めさせる。
「ぐ、ぐあぁ!?」
痛みにもだえる兵士の手が、オレの胸倉から離された。と、ティアは兵士を180度回転させて、方向転換。それから、背中を押して解放してやる。
「怪我人に手をあげるのは、いかがなものかと。いくら、ウェルス様の私兵とはいえ、見過ごせません」
「この、メイド風情が……!」
「よせ。お前では、それに勝てん」
「ですが!」
「……」
口答えをしようとする兵士を、ウェルスが鋭く睨みつける。すると、兵士は怯んで、黙り込む。先ほどまでの勢いが、嘘のように萎縮した様子だ。どんだけウェルスが怖いんだよ。この兵士の方が遥かに年上だろうに、威厳も何もあったもんじゃない。
「オーフェンの娘か。まだ、ここに雇われていたとはな。とっくに、首になったと思っていたぞ」
「お久しぶりです、ウェルス坊ちゃん」
ティアは頭も下げず、そう言った。坊ちゃんと言われ、ウェルスはそれは気に入らないのか、馬を降りて、ティアに近寄ってきた。
オレは、そのウェルスを睨みつける。ティアに手をあげようものならば、噛み付かんばかりの心つもりだ。
その効果があったかどうかは分からないが、ティアが殴られる事はなかった。代わりに、口を開く。
「貴様ら、随分と仲が良いようだな」
「ご主人様は、お怪我が治るまでの間、私のご主人様です。ので、その身をお守りするのは当然です」
「ご主人様?ご主人様と来たか。やはり、血は争えんな。お前も、お前の母親のように、主人の鞍替えか。同じ男では満足できず、裏切り、主人を変え、生きていく。やがて訪れるのは、お前の母親のような、惨たらしい死だ。せいぜい、母親と同じような末路が訪れぬように、気をつけろ。アバズレの娘よ」
「……!」
ティアの目つきが、変わった。母親の悪口を言われ、キレたのだ。この後の行動は、兵士の武器を奪い、ウェルスに襲い掛かる。
オレは、そうなる前に、ティアの手を握った。
「何も知らないくせに、ティアのかーちゃんの悪口はよせ」
「知っている。コイツの母親は、国も男も裏切り、最後は裏切った男に、あらゆる苦しみを与えられ、そして死んだ」
「それだけか。たった、それだけの事しか知らないのに、知っているだと?ふざけるな」
「随分と、肩をもつな。まるで、お前は知っているようではないか」
「知らねぇよ。でも、かーちゃんの悪口を言われて、ティアがキレるってことは、いいかーちゃんだったって事は、分かる。何も知らないお前に、悪口を言われる筋合いなんか、ない」
ティアは、黙って目を伏せて、オレとウェルスの言い争いを聞いていた。
ふと、握ったティアの手が、強く握り返されてくる。
「……興が冷めた。こんな、くだらん話をしにきたのではない」
自分から始めておいて、よく言う。こっちだって、ウェルスのくだらない挑発で、ティアが傷つく姿は、見たくないんだよ。
「アレは、何だ?」
オレを睨んで、そう尋ねてくるウェルス。その意味は、なんとなく分かる。アレとは、リリード氏の施設の事だ。あそこの異常な雰囲気を、ウェルスは感じ取ったのだ。
これが、くだらなくないお話の方。最初から、その話をすれば無駄な争いはおきないのに、いちいち人の嫌がる事をしないと、気がすまないのかね、この男は。