禍根
「レイス君。私の後を継いで、頭首にならないか」
その日の夜、オレは聞き覚えのある台詞を、リリード氏に言われた。その瞬間に、ティアがリリード氏の耳を摘んでソファから引きずり落とすと、部屋の隅に連れて行かれる。
「貴方は、本当にキスフレア家の頭首としての、自覚がおありなのですか。どこの馬の骨とも分からぬ者に、民を任せ、勤まるとでも?」
「い、いや、レイス君には頭首にはなってもらうけど、それを私は支えていこうかと……」
「バカが。本当に殺しますよ、リリード様?」
そこから始まる、ティアの罵詈雑言。オレは、聞いていられなくなって、耳を塞いだ。
オレなら立ち直れないくらいの罵詈雑言が始まってから、数分後。ようやく開放されたリリード氏は、少しやつれた様子でこう言った。
「娘を助けてくれて、本当にありがとう。せめて、怪我が治るまでゆっくりとしていってくれ。ティアを、専属のメイドとして君につける。彼女に、世話をしてもらってくれ」
「私ですか。まぁいいですけど」
今思うと、怖いメイドさんをオレに擦り付けられただけのような気がする。オレとしては、全然いいんだけどな。ティアは表面上はこうだが、実は言うと優しい。思わず、顔がにやけてしまう。
すると、ティアはいつもの、ゴミを見るような目をオレに向けてきた。
「気持ちの悪いご主人様。私に何か、いやらしい事でも期待しているのですか?だとすれば、怪我が増えて、一生治らない事になりますので、お覚悟を」
「考えてねぇよ」
だけど、顔のにやつきは収まらなかった。
「本当に、気をつけてね。彼女、本気だよ」
「忠告、感謝します」
「……」
オレは、リリード氏に対しての接し方がよく分からず、他人行儀になってしまった。実際、初対面だからあんまり馴れ馴れしくはすべきではないと思うが、それでもあまりによそよそしい。自分で、そう思う。
どうしても、リリード氏から、研究所の地下の光景が繋がってしまうのだ。
そして、この能天気そうなおっさんが、あの光景を作った。信じたくはない。しかし、そうなのだ。
「じゃあ、もう遅いから、今日はこの辺で。最後に、しつこいようだけど、本当に娘を助けてくれて、ありがとう。君には、感謝をしても、しきれない」
「もう、十分です」
オレは、目を背けながら、やはりどこかよそよそしく、頭を下げるリリード氏に返した。
次の日の朝──
「おはよう、お兄ちゃん!きゃはっ」
オレのベッドに潜り込み、起こしに来たのはテレスだった。テレスは、素ではなくぶりっこモードのほう。正直言うと、本当に可愛い。太陽のような笑顔。もう、天使。
「お前、オレに正体バラしても、それすんの?」
「嬉しいじゃろ?わしのような美少女に、起こしてもらえて」
どうだろう。オレには分からない。素に戻ったテレスの顔は、可愛さと掛け離れたチンピラ的な顔だし。ここは、戦略的なノーコメントを貫こう。
「ははは」
「くっ。笑ってごまかされると、癪にさわるのう。そんなお兄ちゃんは、こうじゃ!」
「ひゃめろー、ひゃめろっへ」
テレスに両頬を摘まれて、引っ張りまわされる。痛くはないので、されるがままでいる事にする。
「失礼します」
そこへ、部屋に入ってきたのは、ティアだった。オレの腹の上に膝立ちになり、頬を引っ張られるという光景が、ティアの目に入る事になる。
「ご主人様は、幼女に苛められて喜ぶという癖の、持ち主でしたか。参考になります」
「お兄ちゃんを、起こしに来てあげたの!」
「おへはほんはへひはな──おい、もういいだろ、降りろ。学校行け」
ティアに反論しようとするオレの声も遮ってくるので、オレはテレスの腕を掴んでやめさせた。
「学校へは、いかないわ。今日からしばらくお休みして、お兄ちゃんの面倒を見ることにしたの」
「今日からしばらくって……いいのか?」
「構わないかと。テレス様の学力は、それくらいで落ちるような場所にありません。姉妹揃って、天才とか、この家の血筋はどうなってるんだか……反吐が出ます」
それを、テレスの前で言うお前のほうが、遥かにすげぇと思うよオレは。
オレは、テレスを折れていない方の手でどかせて、上半身を起こさせる。怪我が治るまでは、まだ等分はかかるだろうが、その時に動く体力がないのが、一番困る。なので、なるべく動くようにはしていこうと思っている。
「あまり、無理はしないように」
立ち上がろうとすると、ティアが身体を支えてくれた。腕が胸に当たってしまったのは、不可抗力である。なので、テレス。ニヤニヤしてこちらを見るな。
その後、朝食を済ますと、テレスに、部屋に誘われた。あの、ぬいぐるみだらけの部屋である。
「楽にしてくれ」
そう言われ、オレはテレスのベッドの上に置かれている、クマさん人形に背中を預ける。コの字型なので、丁度イイ具合に包み込んでくれて、座りやすい。こりゃいいや。変形しようがお構いないなしに、体重を預けてやる。
「一応、その子はわしのお気に入りじゃから、あまり苛めんでやってくれよ?」
「……お前、人形好きなの?」
「好きじゃよ。人形は、良いぞ。裏切らんし、一緒におると、一人ではない気がしてくる」
何か、悲しくなるような事を言われた。
でも、気持ちはなんとなく分かる。人形ってのは、寂しさを紛らわすには持って来いだ。いざという時には、枕にもクッションにもなる。
「それで、またルトメトか?」
「勘が良いのう。そう。占ってやる。わしらの、今後の運命をな」
ルトメトで、全てが詳しく分かる訳ではない。占いという枠からは外れない、不確定な未来を、少しだけ覗く魔法だ。それが、すげぇ抽象的な表現な時もあって、イラっとする事もあった。
そんな魔法が、この世界じゃおいそれと使えない高位魔法なのだから、お笑いもんだよ。
「ゆくぞ」
テレスが、魔法を詠唱しながら、カードをきる。グリムの流れは、詠唱隠蔽のスキルによって隠されていて、周りにバレる事もない。
しばらくしてカードを切り終わると、オレの前にカードを広げて置く。
「一枚、選んで表にせよ」
指示されて、オレは適当に選んだカードを、表にする。
「……ほう」
そのカードを見て、テレスはニヤリと笑った。
ルトメトの占い方は、人それぞれで違う。何を媒体にするかは、その人次第である。カードを使う人が多いが、しかし絵柄はそれぞれで違うので、オリジナル性の強い魔法ともいえる。なので、絵柄が出たところで本人以外には何がなんだか分からない。
ちなみにオレが引いたカードは、リルラの実が書かれたカード。リルラの実とは、赤く丸い果実の事で、甘酸っぱく瑞々しい、オレの好物の果物である。この世界では、中々の高級品で、少し前に、リータに貰って食って以来、口にしていない。
「結果は?」
「んー……時が来たら、教えるとしようかの」
「すげぇ気になるんですけど……」
「かっはっは。占いごとき、気にしていたら、何も始まらんぞ」
「占った本人がそれ言っちゃうと、壊滅的にお終いな気がするんですけどね?」
「気にするな!」
テレスはそう言い切った。
結局、テレスは結果を頑なに教えてくれなかった。別にいいけど。占いなんてオレ、気にしないから。
ちなみに前回は、オレの選択次第で多くの血が流れるとかっていう結果だったな。……けっこう血、流れちまった。オレの選択肢が悪かったのだろうか。と、そんな感じで、曖昧なのだ。占いを聞いていたところで、何をどうすればそれを回避できるのかなんて、全く分からない。結局は、自分次第なのだ。
「お前って、そうやってみると、本当にただの幼女だな」
目の前で、人形を抱きしめるて座るテレスを見て、そんな事を言ってみた。
「可愛いじゃろ?惚れたか?」
「惚れはしねぇよ。そういう事は、もっと大きくなってから言いましょうね」
自分の年齢を考えてから、言ってもらいたいものである。オレは、そんなテレスの頭を、やや乱暴に、撫でてやった。
「よ、よさぬか。あ、あ!分かったぞ。子ども扱いされる子供の気持ちとは、こういう物なんじゃな!?150年以上生きて、ようやく理解したぞこの気持ち!お兄ちゃんといると、わし、どんどん賢くなっていく!」
「そりゃ、よかったな」
「うむ!真に、知識とは、底が知れぬのう。これだから、生きることはやめられぬのだ」
テレスはそう言うと、抱いていた人形を放り投げて、ベッドに大の字に寝転がった。
大切な人形、床に落下。いいのな、それで。
「テレス。お前は、確かに賢い。その賢いお前から見て、リリード氏はどう見える?」
「いい、父上じゃよ。たまに阿呆のような事は言うが、少なくともわしには、いい父上に見える」
「……気になってたんだが、お前らのかーちゃんは、どうしてるんだ?」
「死んだよ。わしが生まれて、すぐにな。もっとも、わしは赤ん坊の時から記憶がはっきりとしておるから、母上の顔も、声も、覚えているがな」
そこは、オレとまるっきり同じだ。オレも、赤ん坊としてこの世に生まれた瞬間から、記憶が始まっている。最初は、何がなんだか分かんなくて、怖かったなぁと、思い出す。
「何で、死んだんだ?」
「何故、気になった?」
「別に……いないから、どうしたのかと思って?」
「……偶然、か。わしの母上は、逃げ出した奴隷に、殺された。その奴隷というのは、見世物のトンキ族のオスじゃ」
「トンキ族……!?」
「うむ」
「妻を殺されて、恨んでいるから、あんな事を……?」
「それはないと思うが、どうだかのう。よっと」
テレスは、足で勢いをつけて、上半身を起き上がらせた。その際に、スカートがめくれてパンツが見える。ふりふりのたくさんついた、白のパンツである。
「えっちじゃのう」
自分から見せといて、そりゃないだろう。
「父上は、泣いておった。毎晩毎晩、泣いて泣いて、泣き明かした。父上は、深く母上を愛していた。それだけに、悲しみは大きい。しかし、心は折れなかった。母上が死んで、悲しみの只中にあっても、わしら家族を、何よりも大切に扱い、育てた。わしは、全てを克明に覚えているからこそ、父上の悲しみも、葛藤も、全てを理解しておるつもりじゃ。だから、父上が獣人どもを恨んでいるという事は、ないと思う。いや、思いたい、なのかもしれぬな」
「……そうだな」
リリード氏は、仲良くなるために、獣人との交流を図ろうとしていた。そこに、恨みを持っていたのだとしたら、真の目的は別にあったとしか考えられなくなる。
「そう深刻な顔をするでない。お兄ちゃんは、すぐに顔に出るのう」
そうだろうか。……そうかもしれない。
「それから、今話した母上の死については、口外するな。特に、お姉ちゃんには、絶対に話すでない」
「理由を聞いても?」
「お姉ちゃんは、何も知らぬのだ。父上が、獣人への禍根を残さぬため、口を封じておる。これは、一部の人間にしか伝わっておらぬ、極秘情報じゃ。わしは、赤ん坊だと思われて、目の前で聞いておったから、知っておるがな。かっはっは」
「……オレに話しちゃったじゃん」
「お兄ちゃんなら、禍根は残るまい!」
「うん、まぁ……話してくれてありがとよ」
「うむ」
思いがけず、秘密を共有させられてしまった。顔に出ないように、気をつけよう。




