活路
森の中を、駆け抜ける。辺りからはネコの鳴き声が聞こえてきて、それが追っ手が追従してきている事を意味する。共に逃げ出したメイドさんたちも数人いたが、全員、彼女達の餌食になった。今、一緒に逃げているのは、オレと、オレが腕に抱くテレスと、並走するセレスの3人だけ。他は分からない。
「レイス、伏せろ!」
並走するセレスの指示に、オレは頭を低くした。そのオレの頭上を、セレスの剣が通り抜ける。一瞬でもオレの判断が遅れれば、その剣はオレの首を斬っていたんじゃないかと思うくらいの、ギリギリの一撃だった。
しかしおかげで、その剣は、横から襲い掛かってきたトンキ族の少女を斬りつける事になった。
彼女達の足は、馬並みに速い。そんな彼女達から逃げ切る事は、不可能に近かった。こうやって追いつかれては、セレスが対応しているが、限界がいずれくる。
頼みの綱は、魔法を詠唱中の、テレスだ。
「無理だ、レイス!このままでは、もうもたない!今度こそ、本当に──」
セレスは、詠唱隠蔽のスキルによって、テレスのグリムを感じていない。なので、まだ望みがある事を知らないのだ。
「いいから、諦めるな!もう少しだけ、耐えろ!」
「一体、何を考えている……!」
「もう、良いぞ」
テレスが、そう言った。
「ラングールエンドゲージ」
テレスの魔法が、発動した。目の前に、巨大な白く光り輝く壁が、出現する。そして、それが円形に広がって行き、オレ達を中心として、巨大なドームを形成した。トンキ族の少女達も、黒い影の取り付いた獣人も、それに押しのけられ、遠く離れていく。
それは、古代魔法に属する、最高峰の防御魔法である。
「かっはっは!久々の上級魔法は、また格別の味じゃのう!」
オレの手から離れ、地面に降り立つテレスに、いつもの可愛らしい様子はない。その目つきはキツくなり、眉間にシワを寄せ、口元は歪んでいる。
「さて。あまり時間がない。魔法が解ける前に、作戦をたてるとしようぞ。お兄ちゃん。お姉ちゃん」
「お前は、何者だ」
そのテレスに、セレスは剣を向けた。彼女は、どこからどうみても、テレスだ。しかしオレも、あまりにもその性格の変化が激しく、警戒感を抱く。
「見れば分かるだろう。テレスだよ、お姉ちゃん」
「……」
セレスは、剣を下げない。
「まぁ、こんな状況となってしまっては、隠していても仕方ない。簡潔に言えば、わしは異世界から転生し、この世界でテレス・レヴィ・キスフレアとして生を授かった、異世界人じゃ」
「転生……では、本物の、テレスは、どうしたというのだ!」
「んー?本物もなにも、わしが、テレスじゃ。生まれてこの方、ずっとな」
「う、ウソを言うな。あの可愛らしいテレスを、貴様が演じていたというのか……?」
「そうだよ、お姉ちゃん!てへっ!」
うん、可愛い。いや、そうじゃない。それは、紛れもなく、いつものテレスだ。本性を現したテレスとは、似ても似つかない。だが、テレスだ。頭が混乱してきた。
「そんな、バカな……」
「今は、深く考えるな」
「しかし……!」
オレは、そっとセレスの剣に手を添えて、剣を下げさせた。気持ちは分かるが、今はあまり、そちらに時間を割きたくない。
今は、テレスが転生者だという情報だけで、十分だ。
「それで、テレス。オレ達は、どうすればいい」
「かっはっは。お兄ちゃん、わしにそれを期待するな。わしは、アレに対抗する手段も手法も思いつかん」
「アレっていうのは、あの影みたいなヤツの事か?」
「そうじゃ。アレは、侵食者。わしの元いた世界は、ヤツに食い尽くされ、終わった。あの白くなった獣人どもは、侵食者にグリムを破壊さる事によって殺され、操られておる。全ての元凶は、あの侵食者だ。わしはアレから逃れてこの世界にやってきたのじゃが、まさかこの世界にも、アレを呼んでしまう阿呆がいたとはのう」
「じゃあ、どうすりゃいい。オレ達は、この世界も、テレスが元いた世界のように、食い尽くされて終わるのか?」
「そうなる」
テレスの答えは、残酷ではあったが、そうなのだ。未来で、それを見てきた。人は、ヤツらには対抗できない。いくら兵士を揃えた所で、アレが出てきたら終わる。あの影の力は、圧倒的だ。
「何故、顔を下げる、お兄ちゃん。お兄ちゃん達は、まだ、この状況をどうにかする手を知っているはずだ」
オレはテレスの言葉に思いつく事があり、顔をあげた。
「お前、使えるのか!リバイズドアレータを!」
「かっはっはっはっは!!使えんよ、そんもん」
上下の落差が激しい。オレは期待に胸を躍らせて言ったのに、バカにされた気分である。
「あれは、人の使える類ではないからのう。だが、ここの所のお姉ちゃんの変化といい、お兄ちゃんの言動といい、ひっかかる節がある。お兄ちゃん。お主はもしや、リバイズドアレータが使えるのではないか?」
「……ご名答。オレは、リバイズドアレータが使える。オレとセレスはそれによって、未来からやってきた」
「では、問題はない。とっとと使え」
「使えねぇんだよ……。オレのグリムは、あまりにも小さすぎる」
「では、どうやって、リバイズドアレータを使ったのじゃ」
「分からない。変な水晶をセレスと触って、それで、気づいたらリバイズドアレータが発動してた」
「ふむ……その水晶が、トリガーとなったか。興味深いな。それは、どこで手に入れた」
「ナーヤが、持っていた……」
そこで、気がついた。何故、思いつかなかった。ナーヤがそれを持っていたという事は、ここでも持っている可能性が高い。それを使えば、もう一度リバイズドアレータを発動させて、過去へ飛ぶことができる。
「無駄だ、レイス。もしもの時のためにと思い、ナーヤに聞いた。その水晶を、知らないか、と。答えは、持っていないし、存在すら知らない。恐らくは、ナーヤの身に何かがおこってから、手に入れたのだろう」
「……」
結局は、打つ手なしだ。オレとセレスは、項垂れる。
諦めると、死んでいった友達の顔が、浮かんでくる。オレのために、命を落としたティア。ナーヤ達トンキ族や、屋敷のメイドさん。皆、死んじまった。もう、こんな世界で、抗って生き延びて、何になるというのだ。
「だから、いちいち顔を下げるな。お主らが生き延びさえすれば、またどこかでその石を手に入れて、リバイズドアレータを発動させるチャンスが訪れるかもしれぬぞ」
「生き延びられるのか……?」
「難しいのう。しかし、そうするしかない。死んでいった者達を、見捨てる気がないのなら、顔を上げたらどうじゃ」
オレは、顔を上げた。
セレスは、こんな気持ちの中で生き延びて、リバイズドアレータを発動させるに至ったんだ。オレが、ここで諦めてどうする。それに、まだセレスもテレスもいて、諦めるには早すぎる。何度も折れかかった心を、今一度奮い立たせる。
オレは、セレスのように強くありたい。
「お兄ちゃんは、覚悟が決まったようだのう」
隣を見ると、セレスは顔を上げていなかった。その顔は、何もかもを諦めた、気迫のない顔だ。
「セレス……」
セレスは、これで家族が死ぬのは、二度目だ。その心のダメージは計り知れない。
「良いか。まだ、リバイズドアレータを発動させる手法は、ある」
「本当か!?」
「ある。あの研究所の、グリム炉を利用するのじゃ。わしがグリムをぶち込み、それを利用してお兄ちゃんがリバイズドアレータを使用すればよい」
「……悪いが、そんなもんじゃ足りない」
「分かっておる。あそこには、他にもグリムの燃料になる、グリム石が大量に保管されておる。それを全て使えば、どうにかなるじゃろう」
「だけどあそこには、暴走した獣人どもが、溢れかえってるんだぞ?第一、それでグリムが足りるかも微妙だ……」
「やろう、レイス」
セレスが、顔を上げ、立ち上がった。
テレスの話を聞いて、復活しやがったのだ。
「……やるしか、ねぇか」
オレも、そんなセレスを見て、立ち上がる。無理かもしれないが、ぐちぐち言って何もやらないよりは、やる。
「覚悟が決まったところで悪いが、ラングールエンドゲージの効果が切れそうじゃ。あまり、時間がない。今すぐ行動に移す必要がある」
「ああ、行こう。研究所に」
「邪魔する者は、私が斬り捨てる。行くぞ、レイス、テレス!」
先導するセレスに続いて、オレとテレスも駆け出す。
それと同時に、魔法の壁が光を失って、消えていく。
暗闇を駆け出したオレ達だが、すぐに足を止める事になる。正面から、何かが来る。耳をすますと、それは馬の足音だ。それも、一つや二つではない。
「兄上!」
セレスが、声を上げた。すると、馬が1頭暗闇から駆け寄り、セレスの正面で前足を浮かせ、止まる。
「ウェルス……!」
姿を現したのは、ウェルスだった。輝く甲冑を身に纏った、勇ましい姿である。更には、兵士を何人も引き連れており、その兵士たちも重武装を施している。
「兄上、敵襲です!辺りに、トンキ族のメス達が潜んでいます!」
「総員、戦闘体勢!陣形を整え、対処しろ!」
兵隊達は、直ちに剣を抜いて、過ぎ去っていく。その数は、百はくだらない。
「もう、大丈夫だ、セレス」
馬から下りて、自然にセレスに抱きつこうとするウェルスだったが、セレスはそれを華麗にかわした。
「助かりました、兄上。馬を、お借りします。レイス、テレス」
セレスはそう言うと、ウェルスの乗ってきた馬に乗る。更にはオレ達にまで、乗るようにと指示をして来た。
ちょっと寂しそうなウェルスを横目に、オレとテレスもその馬に乗り込む。
「待て、セレス。どこへ行くつもりだ」
「父上の、研究所です」
「そこへは行くな。父上は、危険だ」
「全て、分かっています。しかし、行かねばならない事情があるのです」
セレスはそう言いながら、馬に乗せられている鎧を外し、馬を身軽にする。さすがに3人乗せた上で鎧はキツイだろうから、仕方ない。オレも手伝って、軽量化を図る。
「セレスは、何が起こっているのか知っているのか」
「はい、兄上。私とレイスが行かねば、皆死にます」
「……私には、何が起きているのか、よく分からない。しかし、私はここで、あちらから来る化物を相手にすればいいのだな、セレス」
ウェルスが向いた方向は、オレ達が逃げてきた方向だ。ウェルスが指し示しているのは、あの、黒い影に取り付かれた、トンキ族のオスの事だろう。
「お願いします」
「色々と問いたい事はあるが、時間がないようだ。アレは、引き受けよう。しかし……少し、待て」
馬を反転させ、出発しようとしたところ、ウェルスが引き止めた。
そして、オレのほうへと視線を向けてくる。思わず、睨み返すが、別に喧嘩を売っている訳ではなさそうだ。
「オーフェンの娘から、伝言だ」
「オーフェン……ティアが、生きてたのか!?」
思わず馬から落ちそうになるが、テレスが抑えてくれて、どうにか落ちずに済んだ。ありがとよ、テレス。心の中で礼を言っておく。
「駐屯地に、頭に耳の生えた白い少女達を引き連れて、やってきた。そして、セレスを助けるため、軍をこの森の中の屋敷に向けろと、指示をされた」
「ティアが、ウェルスを送り込んでくれたのか……!」
嬉しすぎて、涙が溢れそうだ。
「それで、ティアの伝言は?」
と、セレスが尋ねる。
「レイスとの約束を破って、申し訳ないと。それだけ言い残して、死んだ」
頭を、ハンマーで殴られたかのような、衝撃的な言葉だった。ティアは、死んだ。命を張ってオレを助けた上に、今またここで、ウェルスをここに送り込ませることで、助けてくれたのに。どれだけお前は、優秀なメイドなんだ。何度もオレを助けてくれて、どれだけオレに恩を着せる気だ。感謝を通り越して、怒りまでわいてくるよ。
「駐屯地に来たときは、既に瀕死だった。追っ手は排除したが、あの状態で辿り付けた事自体が、奇跡に等しい。一応手は施したが……」
「……分かった。確かに、聞いた」
歯を食いしばり、この何にもぶつけようのない怒りを、どうにか押さえ込む。
「ありがとうございます、兄上」
「兄上、気をつけてね!」
今度こそ、オレ達はリリード氏の研究所に向かい、走り出す。
おまけに、ウェルスは兵士を1個中隊程、つけてくれた。ただのイヤなヤツだと思っていたが、評価は一転する。
「セレス!」
「ああ!これは、ティアが作ってくれた道だ!」
ティアのおかげで、オレ達は、進んでいける。