影
気づけば、オレは馬の上で、前のめりになって眠っていた。怪我の痛みが、凄い。見ると、右腕が大きく腫れ上がっていて、凄い事になっていた。
「ぐっ。ティア……ティア?」
ティアを呼んでも、返事がない。痛みに耐えながら、後ろを振り返る。そこに、ティアの姿はなかった。
頭が、真っ白になる。いつから、ティアはいない。どこへ行った?
眠る前の、記憶が蘇る。確かに、ティアは、オレの後ろにいた。しかし、オレ達を追ってくる者がいた。トンキ族のメスだ。追いつかれそうになって、それで……それで、ティアは、馬から下りた?
「ティア!ティアー!」
暗がりに向かって叫ぶが、返事はない。戻ろうと思い、手綱を操って馬の方向を変えようとする。しかし、馬は言う事をきかない。何をしても、止まらないし、方向転換もしない。
「いう事を、きけよ!」
訴えても、ダメだった。馬は、オレのコントロールを、全く無視する。だったら、飛び降りてやるよ。歩いてでも、オレはティアを探しに行く。
しかし、突然、馬が止まった。そこは、リリード氏の屋敷の目の前。帰ってきたのだ。
「……レイスか?」
「セレス……」
出迎えてくれたのは、セレスだった。駆け寄ってきて、その姿を見せてくれる。
「れい、す……怪我を、しているのか?ボロボロではないか!誰か、来てくれ!」
オレの怪我を確認したセレスが、騒ぎ立てる。と、屋敷からメイドやらが出てきて、賑やかになってくる。オレは、馬から落ちるように降りると、地面に倒れ込んでしまう。すぐにセレスが駆け寄ってきて身体を支えてくるが、そのセレスの肩を掴み、距離をとらせてその顔を見据える。
「今すぐ、ティアを助けに──」
行って、どうする。あの、トンキ族の群れに、誰かを行かせるとでも言うのか。
「ティアが、どうしたんだ、レイス?」
「リリード氏が、死んだ。ティアも、分からないが、たぶん……」
「……冗談だと、言ってくれ」
「……」
沈黙は、何よりの答えだ。セレスは、その場に崩れ落ちた。
「そんな……早すぎる。まだ、先のはずなのに、何故、こんなに早く……」
セレスの言った、タイムリミットである3ヶ月は、まだ当分先のはずだった。しかし、この世界は全てが、セレスの覚えていた予定よりも、早巻きになっている。オレとセレスが過去へ戻った事により、そうなる要素が生まれてしまったのだ。その事も考慮して、もっと慎重に行動すべきだった。
「……オレの、せいだ!」
涙が、溢れた。ティアを、守りきれなかった自分が不甲斐なさ過ぎて、情けない。そして、セレスにも申し訳ない。オレのせいで、何もかもが崩れ去り、未来を変えて皆を助けるという計画は、失敗した。
「違う」
そう言ったのは、ナーヤだった。騒ぎに駆けつけて、話を聞いていたようだ。
「今は、何があったのかを、しっかりと話して。それが、ここへ戻ってきた、貴方の責務。まだ、終わっていない。前を、見る」
「……ああ」
ナーヤに励まされて、顔を歪ませるセレスを見る。
オレは、涙を拭った。まだ、全てを失った訳ではない。気を、もう一度奮い立たせる。
そして、オレは皆に、見たことを全て、話した。何があったのかも含め、全てをだ。信じられないという者も、中にはいた。しかし、とりあえずはオレの話を信じるべきだとして、話は進む。
特に、ナーヤ達トンキ族は、複雑そうな心境であった。信じていたリリード氏が、施設であんな事をしていたのだから、無理もない。一方で、彼らが凶暴化し、オレ達を襲ったのも事実。
「私は、ティアを助けに戻る」
「危険。それは、させない。私達の戦力は、非常に少ない事を、セレスも分かっているはず」
「ティアを、見捨てることはできない!」
「ティアは、レイスの命を助けるために、命を張った。それを、無駄にするような事は、絶対にさせない。我慢、して。ここで、セレスまで失ったら、私達は、おしまい」
この状況下で、一番冷静なのはナーヤだった。ナーヤの的確な指示のおかげで、オレたちはすぐに、逃げる態勢を整える事ができた。
セレスの説得まで任せっきりで悪いが、オレはオレで、自分の事で精一杯だ。というのも、メイド流治療術とかいうやつで、メイドさんから治療を受けているからだ。治療といっても、今は簡単にしかできない。とりあえず腕には添え木と包帯。外れて全く動かなくなっていた右肩は、メイドさんがグイッと勢いよく持ち上げると、はまった。その代わり、激痛にのたうちまわる事になる。
「お兄ちゃん!痛いけど、あんまり暴れちゃダメ!我慢、して!」
のたうち回るオレの頭を抱きしめてくれたのは、テレスだ。おかげで、痛みが和らいだ気がするが、痛い。涙出るくらい、痛い。
テレスも、オレの話を聞いていたから、状況は分かっているはずだ。リリード氏の事は、耳を塞いだくなるような事かもしれないが、事実として受け止めてもらわないといけない。
そうして、各々の葛藤が続く中、オレ達は屋敷を後にした。それは、家を出て行くような寂しさを感じた。我が家でもないというのに、すっかり馴れてしまったものである。
オレ達が向かったのは、トンキ族が滞在する、屋敷だ。あそこならば、味方が多く、戦いやすい。
だが、その考えは甘かった。
「ナーヤ様!」
先行して、トンキ族の屋敷に向かっていたタニャが、顔を真っ青にして戻ってきた。その身体には、いくつも切り傷があり、戦闘のような跡を見る事ができる。
嫌な予感が、脳裏をよぎる。
「仲間が、全員、おかしくなって……戦闘になり、二人殺されました……!」
「どういう、事……?」
「屋敷の味方が、襲ってきたのです!何故か、全員真っ白になっていて、それで、私は逃げてきました……!」
「白く……そんな……」
あの、屋敷の連中まで?信じたくはないが、タニャの様子を見る限り、ウソを言っているようには見えない。
「全員、戦闘体勢をとれ」
セレスが、呟くように言った。
直後に、タニャの背後から、タニャに襲いかかる者がいた。それは、トンキ族の少女だった。毛が、半分ほど白く染まっており、目には理性が宿っていない。
その攻撃を、セレスが庇って防いだ。
「セレス様……!」
「敵は多い!戦える者は、戦えない者を庇い、陣形を整えよ!」
セレスの言うとおり、続々と現れる、白いトンキ族の少女達。タニャが、付けられたのか……。
「もうし、訳ございません……私の、せいで……」
誰も、何も、タニャを責めようと思った者いない。それなのに、タニャは突然、自分の胸を、手に持った剣で刺し貫いた。
いきなりの出来事で、誰もそれを止められなかった。
「タニャ……タニャ!!」
セレスが駆け寄るが、遅い。タニャの口からは血があふれ出し、死んでいる。あの勢いじゃ、即死かもしれない。
「なんて、バカな事を……!」
「セレス!後ろだ!」
「……」
セレスは、言われるまでもないといった様子で、背後から襲いかかってきたトンキ族の少女を、両断した。
白く染まったトンキ族の少女は、鮮血を噴き出し、倒れる。せっかく仲良くなれたのに、その少女を、セレスは躊躇いもなく殺した。
「何故、こんな事に……」
ナーヤは、仲間の変わり果てた姿に、絶望を隠せない。そんな、変わり果てた仲間たちは、セレスの手によって殺されていく。しかし、その一方では、戦闘能力を持たないメイドさん達が襲われて、殺されていく。オレとテレスも、襲われている真っ最中。テレスは、オレが守る担当だ。絶対に、傷つけさせない。
「……トンキ族の誇りにかけて、お前達を止める」
ナーヤの短剣が、空に放たれた。短剣は、自由自在に動き回る。白いトンキ族の少女達は、その短剣によって切り刻まれ、一気に数名が絶命した。
「かかって、こい。お前達の主である、ナーヤ・メルセルが、相手になる!」
本気になったナーヤが、短剣で白いトンキ族を切り刻んでいく。いくら四方八方から襲い掛かっても、彼女にとっては無駄な事である。自由自在に飛び回る短剣が、それらの攻撃を防ぎ、逆に刺し殺す。攻撃と、防御を兼ね備えた彼女の、敵ではなかった。セレスも、奮闘する。その卓越した剣技は、相手を寄せ付けない。正直に言って、二人が揃えば最強だ。何もすることがない。
これは、勝てるんじゃないか。そう思ってしまうくらい、二人は強かった。
しかし、突如として、そいつは現れた──
異様な気配に、注意が向く。それを察知してか、トンキ族の少女達の攻撃は、止んだ。
暗闇から姿を現したのは、トンキ族のオスだった。ただし、その姿は異様。白く染まってはいるが、それにくっつくように、黒い影が蠢いている。影にはいくつもの目が、ぎょろぎょろと辺りを見て回り、気持ちが悪い。手に持つのは、黒い影が、剣の形を模している物。
突如として、そいつが、剣を振るった。すると、辺りに黒い霧が巻き起こり、飛び散る事になる。
「あ、う……レイス、セレス。逃げ──」
ナーヤが、倒れた。ルゥラも、他のトンキ族の少女達もだ。
何が起こったのか、分からない。しかし、トンキ族の少女達は、まるで、死んだかのように動かない。
「はぁ!」
「セレス、下がれ!」
その化物に、果敢にも斬りかかったセレスだが、オレは止めに入った。しかし、遅い。セレスは化物に、突貫する。
『ギョギョ。ゴ、ガ』
化物が、何かを喋った。その声は、獣人の部分ではなく、影の部分から聞こえた声だった。すると、黒い霧をまとった強風が巻き起こり、辺りを襲った。物凄い、風だ。セレスはたまらず吹き飛ばされて、丁度オレに向かって飛ばされてくる。
「ぐほっ!」
セレスの頭が、オレの腹に直撃した。右手は折れていて動かなくて、左手にはテレスを抱えているので、ガードのしようがなかったのだ。そして、そのままオレも風に飛ばされて木にひっかかり、どうにか止まる事ができた。
一緒に逃げてきたメイドさん達は、散り散りになってしまう。そして、どこからか聞こえてくる、悲鳴。恐らく、トンキ族の少女に襲われたのだと思われる。助けてやりたいが……散ってしまっては、どうしようもなく、心が痛む。
「逃げるぞ、お兄ちゃん。アレは、戦ってはダメなやつだ」
「テレス?」
いつもと様子の違うテレスに、オレは戸惑った。
「いいから、逃げろ!走り回って、距離をとるのじゃ!お姉ちゃんも、絶対にヤツに斬りかかるな!今は逃げるのじゃ!」
「だが、ナーヤ達が……!」
「もう、死んでいる。原理は分からんが、グリムが、一瞬にして崩壊した。……助けてやれん」
「そんな……ナーヤ達まで……」
何故、テレスはグリムが崩壊したと分かるんだ?それに、テレスはヤツの、何かを知っているかのような口ぶりだ。
「逃げるぞ、セレス。今は、逃げるんだ」
「くっ……!」
悔しげなセレスをよそに、オレ達は走り出した。それと同時に、腕に抱えたテレスが、魔法の詠唱を始める。その魔法が、信じられない魔法だった。テレスに対する疑問点が、次々と増えていく。
しかし今は、そんな事を気にしている余裕も、友達の死に悲しんでいる暇すらない。オレは、生きるために、必死に走り出した。