神の祝福があらん事を
正面突破は、無理だと判断した。一斉に、こちらに襲い掛かってくる獣人達に対して、オレとティアは背を向けて逃げ出す。
しかし、この施設、窓という窓がない。外に繋がる扉という扉も、正面玄関くらいだ。戻っても、足止めしただけの獣人達と挟み撃ちにあい、殺されるだけだ。
「トリルボンバ!」
オレの手が触れていた壁が、魔法によって爆発した。小さな穴が開き、そこから外が見えるようになる。
トリルボンバは、手に触れた物を爆破できる魔法だ。威力は小さく、しかも対象に触れていないといけない。しかも、地味。その上普通に使ったら、詠唱が異様に長いんだよな。その点はオレには関係ないけどね。
「トリル、ボンバ!」
もう一発、少しずらして穴を開ける。もう一発。もう一発だ。
ようやく、人一人分通れる穴ができあがり、そこから脱出できるようになる。
「ティア!穴があいた!」
ティアは、群がる獣人達を、一人で足止めしている。そう声をかけるが、ティアには戦線を離脱する余裕がない。
仕方なく、援軍に行こうとするが、足が崩れた。魔法の、使いすぎだ。グリムが尽きて、ガタが来ている。手が震えだし、刀を抜くこともままならない。
「どうぞ、お先に!」
獣人の進行を、必死に食い止めるティアが、そう叫んだ。叫んでから、ティアは更に、敵の奥深くにまで突っ込んでいく。その姿が、敵に埋もれて見えなくなる。
バカか、アイツは。何を考えてやがる。まるで、来る気がないみたいじゃないか。
「ぬん!」
オレは、気合を入れて立ち上がった。刀を杖代わりに、ふらつくその足でティアの元へ向かう。
そういえば、あの日もこんなだった。ふらつく足で、セレスを運び、トンキ族に囲まれたんだったかな。傭兵時代は、洞窟の奥深くで、リータと一緒に隊とはぐれて、襲い来るゴブリンの群れにむかって、必死に魔法を打ち込んでグリムが尽きたっけ。
縁起でもないが、これじゃまるで、走馬灯だ。ふざけんな。オレも、ティアも、絶対に死なない。ティアだけでも、絶対に死なせない。
しかし、その行く手を、獣人が阻む。
「邪魔、するな。どけぇ!ティアに手出したら、てめぇら全員ぶっ殺す!!」
『……』
心の底から、オレは叫んだ。実際、こんなふらふらの人間に、何ができるのかという感じではあるが、意気だけは健在だ。さて。では、どうやって相手をしようかと、叫んでから考える事になる。
内心めちゃくちゃ慌てているオレだが、道を阻んだ獣人に、変化が見えた。襲って、こない。そして、自分の顔面を殴りつけ、鼻から、口からも、血があふれ出す。
『オォ。オオオオォォォ』
その獣人の咆哮は、どこか悲しげだった。
そして、何故か回れ右をすると、驚く事に、他の獣人に対して殴りかかったのである。その行動には、驚かされた。何が起きているのか、分からない。
だが、何でもいい。その隙にオレも突撃し、ティアの元へと急いだ。
ティアは、圧倒的な動きで、獣人達を返り討ちにしていた。獣人を容赦なく切り刻み、その素早い動きは、獣人達の手に、まったくかからない。しかし、様子は段々と、おかしくなってくる。
「はー、はー、はー」
ティアの息が、荒い。動きもそれにともなって、鈍くなってきている。あれではいずれ、掴まる。
そう思ったときだった。ティアに向かって振り下ろされた獣人の足が、ティアのメイド服のスカートを踏みつけ、動きを止めた。
動きの止まったティアに向かって、獣人が腕を振り上げ、拳を放つ。
「ぬおぉぉぉらああぁぁ!!」
振り下ろされた拳を、ティアを庇うように立ったオレは、受け止めた。刀でガードはしたものの、結局は全身で受け止める事になる。足を踏ん張り、吹っ飛ばされないように、全力で踏みとどまった。何かが、折れる音が聞こえたが、構わない。重要なのは、ティアを守る事である。
「漆黒・災禍」
オレが受け止めている隙に、ティアは自分のスカートを切り、自由の身となると、オレが抑えている獣人の顔面に、スキルを放った。黒い光が通ると、獣人の顔面は真っ二つに割れ、崩れ落ちる。
それは、リータも使っていたスキルだ。強力な斬撃は、切れ味抜群である。その代わり、かなり消耗の激しい技だ。
「バカですか、貴方は」
「はぁ……はぁ……」
膝をつき、息の上がるオレに対して、この台詞である。その上で、ゴミを見るような目である。オレのデリケートなメンタルは、傷ついたよ。
「私は、行けといったはずです。何故、戻ってきたのですか。何を、考えているのですか」
ティアに、胸倉を掴まれて迫られた。痛いよ。特に、肩から右腕にかけてが。たぶん、ここら辺が折れている。いう事をきかないから。
「行ける訳、ねぇだろ!」
「……私は、ただのメイドですよ。見捨てれば、いいじゃないですか」
「ただの、メイドじゃない!ティアだ!いっとくけどな、こんな事をするたびに、オレは戻ってくるぞ!覚悟しとけよ!」
「バカな、事を……」
「バカは、お前だ!二度と、するな!分かったら、返事だ!」
「……はい」
ティアは、目を丸くして答えた。何も、驚かれるような事は言っていないんだけど。
そして、ようやく胸倉から手を離してくれた。苦しいし、痛いし、離してくれて助かったよ。
せっかく助けてやったのに。まったく、冗談じゃない。でも、無事で良かった。
「それで、ご主人様。この状況で、どうするおつもりですか」
この状況とは、この状況だ。息の上がっているティアに、右半身がいう事を聞かない、満身創痍のオレ。おまけに魔法も、仕えない。歩くのも、ままならない。はっきり言って、お荷物。そして、そんなオレ達を囲む、トンキ族のオス達。あと、ティアのスカートが短くなって、ちょっと色っぽい。そんな状況だ。
「ぐっ……!」
ただ立ち上がるだけで、右半身の痛みを激しく感じ、意識が飛びそうになる。思わず倒れてしまいそうなくらいだ。
「状況は、絶望的ですね」
ティアは、そっとオレの左側に立ち、オレの肩を支えてきた。おかげで、倒れずに済む。しかしコレでは、戦うことができない。
「どうにかして、オレが時間を稼ぐ……」
「私を、逃がすおつもりですか?残念ながら、そのようなバカな発想は、お控えください。ご主人様は、私がお守り致しますので、どうかご安心を」
そのバカな発想を、最初に実行したのはティアである。何にも言われる筋合いはないと思うんだけど、もう反論して言い争うほどの元気がない。
「……ところで、先ほどから獣人達に攻撃を仕掛けているトンキ族のオスは、ご主人様のお知り合いですか?」
「違うが……チャンスだ」
彼が、何故突然、同種を攻撃し始めたのは分からない。しかし、おかげで道が開けている。
既に、多くの獣人に囲まれ、傷だらけではあるが、ひるむ様子もなく暴れている。そんな彼に、一体何体の獣人が殺されたのだろう。辺りには、トンキ族の死体がいくつも転がっていて、尚も増えていく。
「全速力で、参ります」
ティアに肩を支えられ、オレ達は走り出す。何体かの獣人が後から追ってくるが、例に漏れず、彼らは拘束具をつけたままだ。鉄球が足かせとなり、それほど速くはない。獣人に構わずに、オレが空けた穴まで、真っ直ぐ目指す。
穴には、獣人に追いつかれるギリギリで、届いた。穴は、人間一人がやっと通れるくらいの大きさだ。獣人達は、そこから外へは出て来れない。
オレとティアは、建物からの脱出に成功した。
しかし、うかうかとはしていられない。穴に獣人が群がって、今にも崩れそう。
ティアが、突然口笛をふいた。キレイな、淀みない音が、暗闇に響き渡る。
すると、どうだろう。暗闇の向こうから、蹄の音を響かせて、1頭の馬が走ってきたではないか。その光景に、オレは感動したね。口笛で呼ばれて馬が駆けつけてくれるとか、映画みたいじゃないか。しかも今は、その姿がまるで、ペガサスのような神々しさにすら見えてくる。本当は、ただの馬だけど。
「いい子です。さぁ、ご主人様」
「ああ……」
オレとティアは、その馬に乗り込んだ。オレを前側にのせて、その後ろからティアが乗り込み、手綱を握る。ティアの胸を背中に感じながら、オレ達は研究所を後にした。
脱出に成功した油断からか、オレは急に力が抜けて、眠気に襲われた。今にも意識が飛びそうな中で、頭を優しく撫でられている気がした。
「貴方は、バカな、ご主人様です。しかし、誇らしく、勇敢なご主人様。遅れましたが、助けていただいて、ありがとうございました。来てくれて、嬉しかったです」
コレは、ティアの声だ。
どこからか聞こえてくる、ネコの鳴き声で、よく聞こえない。もうちょっと、静かにしてくれると、嬉しいんだが。
「どうか、未来を変えてください。セレス様には、貴方が必要なのです。」
分かってる。そのために、オレ達はここにいる。
「この子は、とても頭の良い子です。ご主人様が眠っていても、屋敷までちゃんと帰ってくれますよ。だから今は、お休みください」
悪いが、そうさせてもらう。意識が、飛びそうだ。
「短い間でしたが、ご主人様にお仕えできた事を、誇りに思います。できれば、この時間が永遠に続けばよかったのですが……。ご主人様と、セレス様に、神の祝福があらん事を、祈っています」
それっきり、ティアの声は聞こえなくなった。ネコの鳴き声も、静かになる。
そして、オレは気絶するように、眠りについた。




