脱出
鉄の扉が並ぶ廊下の先は、また大きな穴が空けられ、壁が壊されていた。辺りには石が無造作に飛び散っており、足場が悪い。慎重に歩いて、その奥へと向かう。
すると、大きな広場へと辿りついた。その広場は、少しだけ明るい。辺りに散らばる、緑色や青色に光る石が、わずかに辺りを照らしているようだ。広場の中央には、階段で上がった先に、祭壇のような場所が設けられていて、まるで何かの儀式に使われそうな場所だった。具体的に言えば、生贄とか。
とりあえず、祭壇の上を目指してみる。ここで、何が行われていたのか、確かめるためだ。
「……」
そこに、リリード氏はいた。
祭壇の上で、静かに、天井を見上げ、目を見開き、死んでいる。オレは、その場に膝をついた。リリード氏の死に、愕然とする。あの、娘バカの父親の姿は、もう二度と見ることができない。セレスと、テレスに、なんと報告すればいいんだよ。
「リリード、様……」
そのリリード氏の死体に、ティアもショックを受けている。メイドとして仕えていたのだから、オレよりもティアの方が、リリード氏と付き合いが遥かに長い。オレよりも、ショックは大きいはずだ。
「……ご主人様」
ティアも、オレと一緒に膝をつきながら、リリード氏の先の、祭壇の真ん中の方を指差した。
そこには、大きな黒い跡が出来ていた。焦げたのとは、少し違う。まるで、ペンキを適当にぶちまけたかのようなその跡は、あまりにも純粋に黒すぎて、不気味だった。
「この施設は、一体何のための施設だ。リリード氏は、ここで何をしていたんだ」
「……」
ティアは、そっとオレの腕に抱きより、顔を伏せた。その身体の震えは、強くなっている。
「リリード様は、ここで、獣人達を使って、魔法の実験をしていたのではないでしょうか……」
「リリード氏は、獣人と仲良くなろうとしていたんじゃないのか。仲良くしたい奴らを、こんな目にあわせて何を考えている。ナーヤ達も、ここにあった死体のような目にあわせるために、呼んだのか!」
「……」
リリード氏に向かって叫ぶも、答えるはずもない。
代わりに、オレ達が歩いてきた方向から、何かを引きずるような音が聞こえてきた。ここへ来て、初めての生き物の気配に、期待が生まれる。しかし、その姿を見て、甘い期待は裏切られた。
『オォ……オ……』
それは、トンキ族のオスだった。ひきずるような音は、足に繋げられた鉄球だった。それのせいで、足取りは非常に重く、ノロノロとした動きだ。その体毛は、半分ほどが白く染まっており、立派な金色のたてがみを、白が侵食している。
その光景に、蘇る、未来の獣人の姿。唐突に、克明に迫る、未来。
敵は、ここにいた。始まりは、ここだったんだ。セレスの顔が、頭に浮かぶ。セレスに、この事を知らせなければいけない。
しかし、現れたトンキ族のオスは、一匹だけではない。ぞろぞろと、ノロノロと、何匹も現れる。ヤツらは多分、檻の中で死んでいた、トンキ族達だ。どういう訳か、蘇り、動き出している。出入り口は、今来た道しかない。あの、獣人の群れの中を、突っ切る必要がある。
「あれが、獣人……セレス様と、ご主人様が言っていた、未来のトンキ族の姿……」
「嘘じゃ、なかっただろ?」
「はい」
「誰か、言葉を話せるヤツはいるか!」
『オォォォ』
『オオオオオオオォォォ!』
『ガアアアァァァァァ!!』
うん、いないみたい。連中、オレ達に向かって敵意むき出しで、突っ込んでくる。
「ルーンシングルアロー!」
一斉に階段を上ってこようとする獣人に対して、オレは先頭の獣人に向かい、魔法の矢を放った。輝く紋章が空中に現れて、その中心から矢の形の光が飛び出していき、獣人の足を貫く。
しかし、それくらいじゃ勢いは止まらない。そんな事くらい、分かっていた。
「リーチファイア!」
オレは、自分の刀に、炎の属性を宿し、勢い止まらぬ獣人達を、祭壇のてっぺんで迎え撃つ。
祭壇への階段は、獣人が一人ずつ、ギリギリで通れるほどの幅しかない。オレが相手にするのは、先頭の一匹だけで済むので、迎え撃つには丁度いい場所である。
目の前まで来て、振り上げられる、獣人の拳。
「プロシィウォール!」
オレの身体に向かってくる拳には、魔法のバリアを張った。拳と魔法の壁がぶつかり合い、魔法の壁は砕け散った。しかしその間オレは、てっぺんに踏み入れた獣人の足に向かい、刀を全力で振りぬいた。炎が足を蝕み、獣人がバランスを崩す。
バランスを崩した獣人は、足を踏み外した。もう片方の足には、先ほど魔法の矢を放っているので、踏ん張りがややきかない。バランスを崩した獣人は、階段を転げ落ちていく事になる。見事な、ドミノ倒しだ。先頭の獣人が巻き込んで、階段を上がってきていた獣人達は、全て落ちていった。
「行くぞ、ティア!」
オレの掛け声に、ティアがオレについて駆け出す。まだ、本調子ではないだろうが、頑張ってもらわないと、待つのは死だ。
オレとティアは、階段を下りていき、起き上がってくる前に獣人達を踏み台にして、駆け抜ける。
その先に待ち受けていた獣人どもは、正面突破しかない。しかも、勢いを止めれば後ろから襲われる恐れがあるので、時間もかけられない。
「ぬおおぉぉぉらあああぁぁぁ!」
叫びながら、オレは獣人の股を、スライディングで潜り抜けた。獣人に踏み潰されそうになったが、ギリギリだ。若干かすったからね。助かったよ、マジで。
そんなオレに気を取られているうちに、ティアは余裕で横を通過。
「アイスバインド!」
通り抜けに、アイスバインドでその獣人の足を、動けなくしておく。
更に、すぐに起き上がり、次の獣人への対処のため、刀を構える。しかし、それに対してオレが対処をする必要は、なかった。
風が通ったと思ったら、獣人の足から一斉に血が吹き出して、倒れこんだ。やったのは、ティアだ。目にも止まらぬ速さで、獣人の足を、切り刻んだ。その手には、どこに隠して持っていたのか、短刀が握られている。
その動きには、見覚えがあった。思わずその人物と、ティアが重なる。背丈も、声も違う。しかし、ティアの中に、確かにリータを感じた。
「ご主人様。私の美しさに見とれるのは分かりますが、ボケっとしていては危険です」
「ああ。本当に、お前は最高のメイドだ」
ここは、褒めざるを得ない。素直にそう言うと、ティアは若干顔を赤くした。
「ここからは、私が先頭に。ご主人様は、援護をお願いします」
「任せた」
ティアは駆け出して、広場からの出口から出てきた獣人に、突進を仕掛ける。
ティアの狙いは、足に絞られている。足に攻撃を加えれば、元々動きの悪い、拘束具をつけた状態の獣人たちは、オレたちを追えない。その上、戦闘の時間も、短くできる。それだけを徹底し、オレ達はどうにか、祭壇の広場を脱出した。
鉄の扉が左右にある廊下にも、獣人はいた。
こちらは、広場と違い、暗い。先を走っていたティアが、直前にいた獣人に気づかずに突っ込んでしまい、眼前に獣人の爪が迫った。
「プロシィウォール!」
その攻撃は、オレの魔法の壁が防いだ。すぐに砕け散ってしまったが、ティアがその攻撃を避けるだけの時間は、稼げた。
ティアが、反撃に転じる。通り抜けに、獣人の足を斬って進み、その反対側の足を、オレが斬って通り抜けた。
「すみません、ご主人様。油断しました」
「ヤツらは、暗闇でも目がきく。オレの魔法で、辺りを明るくして一気に通り抜けるぞ。あんまり、長くはもたないから、気をつけてくれ」
「十分です」
「シャイン!」
魔法によって、光が暗闇を照らす。幸いにも、この廊下には、他に獣人は見当たらない。オレたちは、明かりが切れる前に駆け抜ける。
しかし、通りがかりに、左右の鉄の扉を、内側から叩く音が鳴り響く。何かが、中にいるのだ。が、オレ達は関わらないという選択をした。来る途中は、何もなかったのに、このタイミングでなり始めるのはおかしいと判断したのだ。
その中で、視界の隅に、来る途中に見た、拷問されて死んでいる、トンキ族のメスが目に入った。
「ちょっと待ってくれ!」
オレは、先を行くティアに声をかけて、その場で待機するように声をかけた。すぐに用事を済ませるために、迷わずにその、拷問された死体に寄る。このトンキ族の少女は、確かに死んでいる。他のトンキ族のオスのように、動き出しはしない。
「ん。……レーニャ?」
そのトンキ族の少女の腕に、そう文字が彫られているのに気がついた。恐らくは、この子の名前だと思われる。ただ、それはタトゥーとかではなく、ナイフで刻まれた、傷の文字だ。誰かが、この子の顔を潰しても誰なのか分かるように、名前をいれたのだろうと予測できる。本気で反吐が出る。
「……ご主人様」
ティアが、部屋の入り口に来た。目を背けて、トンキ族の少女の死体を、見ないようにしている。オレが遅いので、戻ってきてくれたのだ。
「悪い。すぐに行く」
オレは、その死体を、後にした。
トンキ族のオス達が閉じ込められていた檻は、入り口が破られており、そこからトンキ族のオス達が出てきたことは、予想できる。しかし、中には死んだままの、トンキ族のオスもいた。
その死体は、見ると、胸に剣が刺さっていたり、酷い切り傷があったりと、傷が目立つ。
動く者と、動かぬ者の違い。それは、肉体が死んでいるからと仮定する。動き出したトンキ族のオス達は、身体に傷はあるものの、死ぬような傷があるようには見えない。しかし、拷問された死体のように、肉体が死んでいる者は、動かないとすれば、どうだ。
身体的ではない死を遂げた獣人だけが、起き上がって凶暴化する。身体的ではない死とは、グリムの崩壊だ。グリムの崩壊により死んだ獣人が、何らかの方法によって蘇り、白くなり、動き出す。
ナーヤの言っていた、大昔の白い獣人の話と、一致する。
一方で、人間は動き出さない。肉体的な損傷がある者はいないのに、人間だけは、グリムが崩壊して死んでも、動くことのない、ただの死体のままとなっている。
それに、どうしてこんなに大勢が、グリムの崩壊を起こして死んでいるのかが、分からない。
しかし今は、詳しく調べる余裕もない。オレとティアは、どうにか地下から脱出するが、そこからがまだ長い。
「ティア!オレ、そろそろグリムが尽きそうなんだけど!」
「もうですか?情けないご主人様ですね」
走りながら、先導するティアに、そう報告した。
地上に上がってからも、何体かを相手に、獣人に魔法を放っている。地下からの分と合わせて、オレにとっては相当な消費をしている。ぶっちゃけ、もう倒れそう。
「しかし……」
ティアが、立ち止まった。かと思えば、その短刀を静かに構え、腰を深く下ろす。
「漆黒・風塵」
無数の、黒い光が、風のように舞った。ティアの、スキルの発動により、暗闇に紛れていた獣人が、その黒い光によって、めったぎりにされる。
漆黒は、リータもよく使っていた、スキル群の一つだ。やはり、ティアとリータが、どうしても被って見える。ここまでの連携も、まるでリータと組んでいるかのようだった。
「私の方も、もうあまり余裕がありません。そこで提案ですが、ご主人様は、私を置いて、先に行くべきかと。私は、一人の方が戦いやすいので」
「そいつは、ありがたい提案なんだが……」
暗闇に、蠢く者達がいる。不気味に光る、金色の目が、こちらを捉える。
「シャイン!」
辺りを、魔法によって明るく照らす。そこは、研究所の出入り口だった。ようやく、ここまで来たのだ。しかし、そこには多くの獣人が蠢いており、人間の死体を、貪っていた。