平和な一日
「お、お兄ちゃん、朝だよ。こう?」
「そう!それで、ベッドに潜り込んで、こう!」
「そ、それはできない!」
「えー。多分、お兄ちゃん喜ぶよ?」
「私は別に、レイスを喜ばせにきた訳ではなく……」
「まま、いいですから、人思いに、ぐいっと」
「てぃ、ティア!押すな!」
「……何してんの、お前ら」
騒がしくて目が覚めると、枕元に、ナーヤが立っていた。そして、布団の中にはテレスが潜り込んでいる。更には、そのナーヤの背中をぐいぐいと押す、ティアの姿がみえる。
察するに、朝だ。
「おはよう、お兄ちゃん!」
「お、おはよう、レイス……ティア、もう押さなくていい!」
「おはようございます、ご主人様」
「うん……おはよう」
テレスが、布団に潜り込んで起こしてくるのは、いつもの事である。しかし、それに加えて、ナーヤまでもが寝覚めにいるのは、初めての事だ。しかも、顔が近い。ティアが、相変わらずナーヤの背中を押しているから。
「も、もういい!押すな、ティア!ティア!ティーアー!」
眼前にまでナーヤの顔が迫ってきたので、オレは起き上がって、それを回避した。
オレに避けられる形で、ナーヤがベッドに前のめりに倒れ込み、ベッドに寝そべる形となる。
「何してんだよ、ティア」
「ご主人様が起きたとき、ナーヤ様が隣にいたら喜ぶかと思いまして」
だからと言って、強制する事じゃないだろうし、もう起きてる。
「ふにゅ……あったかい……」
しかし、オレが直前まで眠っていたベッドに突っ込んだナーヤは、幸せそうだった。布団に潜って、その温もりを堪能しているようである。しかも、布団のシーツに顔をうずめて、匂いをかぎ出す。布団に入るのはいいけど、匂いをかがれるのは、恥ずかしくなるので、それはやめてほしい。
「……あの、ナーヤ」
「はっ!」
声をかけると、慌てて布団から起き上がり、乱れた衣服と髪の毛を直す。
「お前、ネコみたいだな」
「……忘れて」
顔を赤くし、その顔を両手で覆うナーヤ。
「大丈夫よ、ナーヤ!可愛かったわ!」
「うぅ」
テレスの言葉は、フォローになっていない。だが、その言葉の通り、可愛かったのは事実である。昔飼っていた、ネコを思い出した。あんな風に、人の布団に入ってくるのが好きなヤツだったなぁ。
「で、何だこの状況は」
「起こしに来ました」
まるで、いつも通りでしょ?聞かなくても分かるだろ?というような態度で、ティアが答える。
「……何で、ナーヤがいるのか、て意味だ」
「今朝方遊びに来ましたので、せっかくなのでご主人様を起こす体験をしていただきました。どうでしたか、ナーヤ様」
「どうもこうもない」
ナーヤは未だに立ち直れて居ない。そんなナーヤの頭を、テレスが優しく撫でている。しばらくは、放っておいてやろう。それが、優しさっていうもんだ。
「わざわざ、こんな朝っぱらに遊びに来たのか?」
オレは、窓の外へ向かい、体を伸ばしながら尋ねた。
「本日は元々遊びに来る予定でしたが、楽しみすぎて我慢できず、早朝に訪れて来たようです」
「それは……そうか……」
更に、恥ずかしがる要素を加えてしまった。ナーヤはもう、手で顔を隠したまま見せようとしない。
……そっとしておいてやろう。
「失礼する!」
そこへ、いつものノックしないセレス様のご登場だ。本当に、失礼だよ。別にいいけどね。
「レイス宛に、手紙が届いている」
「オレに?誰がそんなもんを」
謎だ。オレの知り合いと言える知り合いは、ここにいる連中でほぼ集約されている。わざわざ手紙を出す意味がない。一瞬、傭兵部隊の顔が浮かぶが、それは却下だ。彼らは、オレがここにいる事も知らないし、今のオレと知り合いである可能性は低い。しかし、セレスから渡された手紙には、確かにオレの名前が刻まれていて、封には蝋を溶かした刻印が押されている。
「読もうかと思ったが、やめておいた」
「いや、読もうと思うなよ……」
「レイス宛てに、この屋敷に手紙が届くこと自体が、おかしい。考えられるのは、身内の悪戯か何かだ」
ハッキリとそう言われると、ちょっと癇に障る。でも、たぶんそうなんだろうなぁと思いながら、オレは手紙の封を切った。
手紙の中身は、薄っぺらい紙が一枚入っているだけ。二つ折りにして、入っていた。それを開く。
内容は、リリードに気をつけろ。字は、キレイな達筆だった。
他には何も書いていないし、何も入っていない。
「……兄上の字だ」
横から覗き込んでいたセレスが、そう言った。
「え」
なんで、わざわざオレにそんな事を。リリードに気をつけろとは、なんだ。リリード氏よりも、お前の方が遥かに危険な匂いぷんぷんなんだが。
「コレも、父上に対する嫌がらせの一環だな。兄上は、内部から壊すつもりだ。まずは、関係の薄そうなレイスから崩す寸法だろう」
「でもオレ、ウェルスに名乗ってないんだけど」
手紙は、レイス宛てになっている。ジャック宛なら分かるが、何故か本名を知られている。
「兄上は、頭だけはキレる。あの場で私は確か、レイスの名を呼んだはずだ。それを覚えていて、偽名だとバレたのかもしれない」
まぁ別にいいけど、名前がバレたくらい。
手紙の内容は……どうでもいいか。セレスの言った通り、ただの嫌がらせだろう。オレは、手紙をビリビリに破いて、ゴミ箱へ捨てる。
その様子を、ティアがじっと見ていた事に気がつく。
「ティア。何か、気になる事でもあるのか?」
「……内容が、少し気になりまして。いくらウェルス様が、どうしようもないクソだとしても、意味もなくリリード様に嫌がらせをしたり、ましてやこのような内容のお手紙を書く方とも思えません」
「ウェルスなりに、なにかそうしないといけない理由があって、コレをオレに送ったと」
「そう考えます」
「しかしそれでは、父上を疑うようではないか。それこそ、兄上の狙い通りになってしまうのではないか」
「だな。なんてったって、あのリリード氏だ。こんなの、気にする必要もない」
怪訝そうにするセレスの頭に手をのせて、オレもセレスの考えに賛同した。
リリード氏は、信頼に足る人物だ。何も、警戒すべき要素がない。
「では、発想の転換をして。リリード様の身が危ないので、気をつけろという意味だと考えてはいかがでしょうか」
「確かに、そういう考えも出来るな」
「兄上が、父上の身を案じるだろうか。兄上は、父上を嫌っている。父上の身に危険が迫っているとしても、動くとは考えられない」
「隠密で、リリード様の、護衛を増やす。監視しつつ、その身が危なくなれば、助けられる。バレたら、護衛のためと言えば、すむ」
復活したナーヤの提案だった。
まだ恥ずかしいのか、胸にテレスを抱いて、テレスの頭で顔を半分隠してはいるが、復活は復活だ。
そのナーヤの提案は、実にスマートで、実に良かった。
「それ採用!ティア頼む」
「簡単に言わないでください、ご主人様。それに、元々リリード様には隠密の護衛がついています。その点にぬかりはありません」
「じゃ、解決じゃん」
「……念のために、警戒はしておきます」
リリード氏の話は、コレで終わった。ウェルスの真意は分からないが、オレ達には他に、気にすべきことがある。あまり、かく乱するような事はやめてほしい物である。
「ナーヤ達のほうは、様子はどうだ?」
「今のところ、特に、何も。平和」
何もない、というのも、時としては不安になる。
オレ達は、ナーヤを初めとしたトンキ族と仲良くなり、平和な毎日を送っている。このまま行くと、もしかしたら獣人の進行のない、平和な世の中が待っているのではないかと、思ってしまう。それならそれで、本当にいい事なのだが、オレとセレスは、そうならない未来を見てきた。油断の中にも、どこか警戒心を持ってはいる。しかし、あまりにも平和すぎて、警戒心が薄れてきているのも、事実だ。敵と思っていた獣人がいいヤツで、どこにも敵の姿が見えてこない。そんな中で、いつまでも気を張っている訳にもいかず、力だけが抜けていく。
「お兄ちゃん、難しい顔してる」
「ん。そうか?」
そんなつもりはなかったが、テレスに指摘されたらそうなのだろう。
慌てて笑顔を取り繕り、テレスの頭を撫でた。
「さーて、朝飯だぁ。腹減ったー」
「レイス。朝食が終わったらで、いい。ルゥラが、また魔法について聞きたいと、言っていた。見て、あげてくれる?」
「おー。ルゥラも来てるのか。分かった。後で行く」
「私も、お兄ちゃんの魔法見たい!」
テレスが魔法に食いついてきて思い出したが、テレスはルトメトを使っていたんだよな。それは、占い魔法の、上級魔法だ。その事で、オレは時々、テレスに警戒感を抱く。
「おねがーい!きゃは」
「いいぜ!ついてきな!」
しかし、その度にテレスのこの笑顔に誤魔化されて、うやむやになる。
そんな、平和な一日が、この日も始まった。




