9 ビビリとキョドりと口走り
交渉は決裂した。
おじさんは、命にかえてもあたしを救う気だ。
……交戦しかない?
「さあ、その子を放せ! さもねえと……」
おじさんは後ろ手で荷台を探り、柄付きの棒を取り上げた。上部には重りの金具が付いている。護身用の武器だ。
おじさんの殺気を感じてか、馬っぽい獣も荒く鼻を鳴らしている。
凛が一歩、前に出た。それを沙弓が手で制す。
凛は舌打ちをし、低くいう。
「ヤるしかねえわ」
「待て、まずは撤退だ」
「無理やろ、おっさんヤる気んなってる。後ろ見せたら即、あのデブ馬が追ってきて蹴り殺されんぞ」
「駄目だ。どうにか隙を見て」
「っせーよ。うち、ヤッからな」
「落ち着け!」
「ざっけんなや! ヤるかヤられっかやろうが!」
凛の怒鳴り声に、おじさんが右手の武器を構えた。獣が唸り、おじさんが手綱を繰り……そこで、
「ちっがあーーーーー‼︎」
大声がその場に響き渡った。
全員、驚いて動きが止まる。
唖然とした表情で、声のした方へと振り返る。
声のした方……って、あたしだ。
夢中で、思わず叫んでた。
「どっ……どしたお嬢ちゃん」
おじさんが目を丸くしてあたしを見る。
「ち、ちっちち違うんです実はっ」
沙弓が呆気にとられてあたしを見てる。凛は、なに言い出すんだこいつってかんじであたしを凝視してる。
「あ、あの、あたしはですね、この人たちに……その、この人たちについて行くって決めたんで!」
でかい声を張りあげて、あたしはいい切った。
「はあ?」
おじさんが両眉が、眉根を頂点にやたらとはっきりした逆V字をつくる。要するに、すんごい急傾斜の困り眉。
「どういうこった、お嬢ちゃんよ」
「どういうって、つまりあの、あたし、あたし」
盛大に挙動不審りつつ、とにかく言葉を繋いでいく。
「こ、この人たちに同行、っていうか、生き方に賛同、っていうか」
「なんだ? おめぇらグルなのか⁉︎」
「ちーがいますー違いますううう! あのあのあたしが拐われたってのは事実! ほんと! 嘘偽りなし! でも、こう、拐われていっしょに過ごすうちに、あのっ」
その時、目の端でキラリと光った。手斧の刃先だ。凛が手斧を持つ手に力を込めている。おじさんに隙が出たと見て、構えている。
「この人にっ」
あたしは素早く凛の傍に移動し、手斧を持った右手をとらえてすがりつく。
「恋しちゃったんです!」
「へ?」
「は?」
「んあァ⁉︎」
三人が同時に気の抜けた声をもらす。いや凛の声だけは気が抜けてなくてドスきいてる。完全に、なにいい出すんだこいつって声色。
「こ……このおっかねえ兄ちゃんにかい?」
おじさんの困り眉の頂点がますます鋭角になる。
「よりによってまあ……あのなお嬢ちゃん、そりゃやめといたほうがいいと思うぞ」
「やめられません! 好きなんです! この人、ほんっとかっこよくって強くって、それに実はすっごくいい人で」
「その通り」
沙弓もあたしの出まかせに乗ってきた。
「彼は非常に心根のいい青年で。つい仕事熱心が過ぎて、先程のように礼を欠きがちなのが玉に瑕なんだが」
「そおなんです! そおそおそお!」
あたしはぶんぶんぶんとうなずいた。
「でもよ、ほら、そんな惚れただなんだって簡単に……」
と、ここまでいったところで、おじさんは口ごもる。
おじさんは完全にこっちのペースに呑まれて、わけがわからないなりに納得しかけている。そこからは語りかけるのを諦めたのか、ぼそぼそ口の中で独りごちた。
「まあ、山の上の衆のノリってなそんなモンなんかね……若いしな……ルドゥザーイのおっさんにゃわかんねぇや」
「わ、わかってもらえないのは残念だけど、もう決めちゃったんです。あたし、この人と添い遂げるって!」
宣言するあたしに、おじさんが心底疲れきった、って声でいった。
「そうか……じゃあ、しょうがねえわな。で、なんつったっけ。なにが要んだっけか」
「服です。女物の」
沙弓がすかさず再交渉に入る。
「彼女、服を持っていなくて」
「そうなんですあたし、うっかり薄着で山道に出たとこで拐われちゃったから」
「なるほどな」
と、全然なるほどって思ってない、なんだか割り切れないって表情のままで、おじさんは荷台の袋から布地を引っ張り出す。
「一着でいいか?」
「非常に心苦しいのですが、五着ほどいただけませんか」
元から全く山賊っぽくなかった沙弓の言葉が、さらに丁寧になっている。
「五着ぅ?」
「ご、ごめんなさい! でも、でも着替えって……必要ですよね?」
あたしが吃りがちにいうと、おじさんは、まあまあ、そんなに恐縮せんでええ、といって
「んだな……餞別ってことにしとくか」
さらに布地を引っ張り出し、空の袋にまとめて放り込んだ。
「ほれ、持ってけ」
「ありがとうございます!」
あたしは袋をおじさんから受け取り、頭を下げる。この世界、頭を下げるってジェスチャーで感謝が伝わるのかは謎だけど。
「じゃあな、よくわかんねえけどよ、とにかく、達者でやれやお嬢ちゃんたち」
いい終えると、おじさんは手綱をふるう。困惑混じりの微妙な表情で、わけわからんからとにかくさっさとここから立ち去っちまおう、って雰囲気だ。
馬っぽい動物が、ひん、と鳴いて歩きはじめた。
「ありがとうございましたあ!」
去っていく背中にお礼をいう。おじさんは向こうを向いたままで手を降った。さよならの意味で手を振るのは、ここでも共通らしい。
馬車が角を曲がりきると、あたしたちは、
「はああああぁ〜っ」
と、揃って大きくため息を吐いた。
「しかし……勇敢な人だったな」
「正義感ってんかな、すげえわあのおっさん」
「たしかに。だがすごいといえば」
ふたりはひと仕事終えて、さっぱりした顔つきで話しあっている。
あたしはそんな余裕、ない。
疲れた……なんかもう、立ってるだけで精一杯だ。ふらふらと道の端へ向かい、木に寄りかかる。
「ん。マジすげえ」
凛が、ぽつりといった。
「ああ」
沙弓が同意する。
「まったく、すごい胆力と、それに機転」
なにが? まさか、また……。
「……かなめ」
ああ、やっぱりいぃ!
「かなめ、すげえ。ここまで根性キメてるとは思わんかったし」
「まったくかなめには感謝しかない。この機転がなければ今頃どうなっていたか」
ふたりはあたしのビビリと焦りから出た咄嗟の口走りを、競い合うように賞賛してくる。
……違います……あれは度胸でも計算でも機転でもないんです……。
ただの挙動不審りの産物なんです……口から出まかせなんです……。
さっきまでの状況にも疲れた。けど、身に覚えのない武勇への賛美の言葉に、あたしはさらに疲れ果てていた……。