8 助けてっ
ぽくっぽくっと蹄の音が近づいてくる。
曲がり角の先から馬車があらわれ、広まった道へとたどり着いたーー今だ!
「きゃーああーあああー」
あたしは悲鳴をあげながら……っていうか、悲鳴っぽい声を出しながら、馬車の前へ飛び出した。
「うおっと!」
馬車を馭っていたおじさんが、あわてて手綱を引いた。えらく太った小型の馬が、短く嘶きながら止まる。
「きゃ、きゃーああーあー」
「おい、お嬢ちゃん、急に車の前に出てきちゃ危ねえぞ」
「きゃああ、きゃあー」
「お嬢ちゃんえらく薄着だな。山ん中でよ。もうちょっと着込んだほうがよくねえか」
「いやこれは、ああ、あの、きゃああー」
薄着を指摘されて、あたしは身を縮める。はっきりいって、恥ずかしい。見も知らぬおじさんの前で、キャミとパンツの下着姿だ。一応色素材合わせのワンセットとはいえ……ちなみにパンツも綿の杢グレー。二枚組税込ななひゃくきゅうじゅうきゅうえん。
それよりか、おじさんはあたしの悲鳴に気も留めず、フツーに話しかけてくる。なんなんだ。つまりあたしの演技力不足か。
「あんたどっから来た? ああ、あれだろ、アイデルザイの子だろ。山から下りてきちゃ危ねえぞ。早く帰んな」
「あのあの、きゃああ、あの、た、助けてっ」
「は? ああ、迷子んなったのか?」
「いえあの、助けてっ、助けてくださいっ」
「でもなあ……連れてったげれりゃいいんだけどよ、今日は下の村から廻るんで、山の上に着くのは二日後だ。上りの道行きゃ着くからよ、がんばって坂登んな若ぇんだから」
「いや、ちが、ちーがあー」
と、そこで。
ガサガサと草叢が鳴り、あやしいいでたちのふたりがーー沙弓と凛が飛び出した。
「おわっ! なんだおめえらは、賊かっ⁉︎」
「そうです! そうなんです山賊なんです。助けて! あたし実は山賊に捉われてるんですっ!」
かなり説明的なセリフを繰り出しながら、あたしは沙弓に駆け寄った。助けてっていいながらその行動はおかしい気がするけど、なんかもうどうしていいのかわからない。
「残念ながら、その女は我々の獲物でね。余計な手出しは御免被りたい」
沙弓が低い声を出す。山賊にしては言葉遣いが丁寧過ぎやしないかと。ってもあたしに人の演技力を云々する資格はないんだけども。
「おっさん、つまんねえ真似すんじゃねえぞ。出すもん出してとっとと消えろや」
凛も低音で凄む。こっちは完璧な演技力。いや、ナチュラルボーン賊の風格。
「なんだ、なにが要んだ。金目のもんならちょっとしかねえぞ」
「ちょっと? ちょっとでもあんだろうがよさっさと出し……」
「いや、それは結構」
凄む凛を、沙弓が制する。
「我々がいただきたいのは……」
「なにいってん! あんなら貰っときゃいいやろ!」
「無駄な欲は不要。目的が第一だ」
凛は小声で楯突くが、冷静な沙弓に押し切られる。
「じゃ、じゃあなにが要んだい」
謎の小競り合いに、おじさんが戸惑いながらたずねた。
「服だ」
「ふくぅ⁉︎」
「ああ。女物が望ましい」
「服ならたんとあるが……それでいいんか?」
「そうだ。この娘を連れて行くのに、服がなくてね。なにか着せてやりたいだろう?」
「なんだって? 連れて行くだって?」
急に、おじさんの顔色が変わる。
「おめえら、その子を放してやらんのか?」
「いっただろう。彼女は我々の獲物だ」
「駄目だ!」
おじさんは怒鳴り、身構えた。
「その子と交換だ!」
え。
「服なんぞくれてやる! 金だってなんだって持ってけ! だが、その子は今すぐ放しやがれ!」
ええっ……。
……この展開は、予想外だった。よりによってこの場面で、人から助けを差し伸べられてしまうなんて。いやおじさんに助けてっていったのはあたしなんだけども!
あああおじさん……おじさんの漢気は素晴らしいし感謝したいとこなんだけど、今日この時ばかりはありがた迷惑なんです……。
そんなあたしの内心の嘆きをよそに、おじさんはますますいきり立つ。
「賊に拐われたのを見捨てたなんて、山の上の衆に申し訳がたたねえ。なにがなんでも承知しねえぞ。そのお嬢ちゃんを置いてけ!」
「君ひとりにこっちはふたり。武器もある。考え直していただきたい。命が惜しくないのか?」
「命だぁ? こっちゃまがりなりにも、ウルデウの廟で霊水を頂いたルドゥザーイの端くれだ! 腑抜けてこの魂まで汚してたまるもんかよ。さあ、来るならきやがれってんだ!」
そういって、手綱を軽く繰る。すると太った馬が首をぐいっともたせかけた。
その時、気づいた。
この馬、って、馬じゃない……。
かたちこそ、あたしたちの知ってる馬に似ている。でもそれとは違う別のなにかだ。嘶きの声が低い呻きにかわる。ぐるる、と唸って、臨戦態勢に入ってる。
それにおじさんも。完全に、戦う気まんまんだ。
凛が舌打ちし、
「どうする? ヤるか?」
低くささやく。
凛は、本気だ。手斧を握った右手に、微妙に力がこもっている。
それに気づいて、あたしはぞくっと身震いをした。
ーー凛ちゃんをおねがい、あの子、血の気が多くて。
眞子の声を思い出す。
いったい、どうすれば……。