プロローグ
―飲み込まれてしまいそうなほどに、どこまでも透明な空間。
男は宇宙を漂っていた。
否、正確には宇宙の狭間である。
青白く輝きを放つゆったりとした衣装、淡くミントグリーンに煌めくオールバックの長い白髪。
その柔らかく慈悲深い面には、それなりの年月を感じさせる深みがある。
その左手には、金文字の装飾が丁寧に施された分厚く濃い臙脂色の本が握られている。
「アルクトゥルス…」
聞き覚えのある単語に、ハッと彼は振り向いた。
大きな光が彼に語りかけている。
「御還りなさい、我が子よ。」
「おか…えり…?」
状況をよく呑み込めない。といった表情で、ただ佇む。
「おかえりとは…。私は先ほどまでプレアデス星団に居た筈だ。
過激派一派の紛争に巻き込まれた皇子と兵団長を助けに、戦場に向かった筈だが…。」
「貴方の肉体は滅びました。」
「えっ」
「聡い貴方なら、もうお分かりですね?」
「あっ―」
彼の中で、全ての出来事がフラッシュバックした。
「光よ、私は何故 死んだのですか。」
「現地へ移動中、プレアデス過激派の狙撃手に背後から心臓を射抜かれました。」
「…一度のみならず、二度までも。」
全てを思い出した男は、悔しさのあまりに全身を震わせた。
――――――――――
平凡な家庭、幸せな夫婦
それを当たり前の幸せとし、モットーとするアルクトゥルス星人
彼らは、王と王女を愛し、全ての隣人を愛していた。
「おとーしゃーん!」
「ルシエル!元気にしていたか?」
「マーシャ、御帰りなさい。」
「ラナルー、愛してるよ。」
仕事を終えた男が、家路に着く。
その両手には、隣人たちからの贈り物が溢れんばかりに抱えられている。
「これは、いつも図書館を利用してくださっているマルルーシから。こっちは、遊んでくれたルシエルにお礼をと、ミリニーから。開けてごらん。」
「うわぁ、やったー!僕もミリニーに何かあげる!」
「ははは、じゃあルシエルお得意の工作で何か作ってあげよう。きっと喜ぶぞ。」
「お父さんも手伝ってね。」
「もちろんさ。明日はお休みだから、一緒にミリニーが喜びそうなものを作ろう。」
妻のラナルーシが扉を開ける。ありがとうのキスをしながらマーシャは家に入る。
これが、彼らの日常だった。
―アルクトゥルス星人
多くの異星人が、彼らに対して憧れを抱いている。
平和で、悩みなど何処にも無い。悲しみや苦しみも無い。
…様に見えるだけであって、実際には彼らの中にも喜怒哀楽すべての感情が存在している。
彼らは全てを民たちと分かち合うので、悲しみは半分に、歓びは何倍にも増えるのだ。
大きな翼を持つ彼らを、後に宇宙の民たちは「天使」と称えた。
ある日のこと、見知らぬ民がマーシャの勤務する図書館にやって来た。
「ようこそ、第13図書館へ。ご用件をどうぞ。
おや、顔認証が起動しておりませんね。どうやら貴方様はデータ登録が御済みでないご様子ですので、先ずは移住地とお名前を教えてください。」
「いや、図書館に用事があって訪ねた訳じゃあないんだ。ここに人が訪ねて来なかったかと思ってね。」
「人…ですか?」
「ええ、丁度アンタの様な眼鏡をしていて、人当たりの良い顔にスッキリとしたデコの」
「?」
(言葉使いに違和感を感じます…、アルクトゥルスの者ではない?)
その刹那、マーシャの額には銃器が当てられた。
「ここがアカシックレコードか。」
「なっ!?」
「大人しくしろ、そうすれば何もしない。」
抵抗する間もなく、大勢の武装集団に囲まれた。
「…貴方たちは一体、何者なのです。」
「ケッ、平和ボケの愚図鳥が!おい、コイツを拘束しろ!」
マーシャの両手足に太い錠が掛かった。内側には無数の棘が生えている。
「お辞めなさい!何をするのです!」
抵抗するマーシャを御するかの様に
手錠が、足枷が、彼に容赦なく食い込んだ。