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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界物

勇者様は勇者様と呼ばれたくない

作者: コーチャー

「勇者様とは呼ばれたくないんだ。君だけには俺のことを名前で呼んでほしい」


 紅潮した顔で勇者様は私にささやきました。朱に染まったその表情がテレなのか。篝火かがりびの色なのか、私には判断がつきませんでした。ですが、一人の女性としてこの世界を救おうとしている勇者様に迫られるのは悪い気がしませんでした。


「おやめください。私は卑しい身にすぎません。多くの人びとの希望である勇者様のことを名で呼ぶことなどできません」


 私は勇者様の視線から避けるように顔を背けると、空を仰ぎました。闇に閉ざされた空には月がひとつ浮かんでいます。その黄金色が勇者様の瞳と同じ色で私は少し困りました。私たち二人がいる建物から少し離れた場所では歓声や祝杯をあげる声が響き渡っています。彼らは魔王軍最後の将軍と軍勢を破ったことを祝っているのです


 そして、明日には勇者様が魔王城へ攻撃を仕掛けます。これに勝利すれば私たちの旅は終わります。


「そんな自分を卑下しないでくれ! 君がいたから俺はここまでこれた」

「すべては勇者様のお力です。私に出来ることは勇者様や仲間の方にささやかな料理をお出しすることくらいです。私は影のようなものです。光は影など気にしてはいけないのです」


 勇者様付きの料理人として任命されたのは私の生まれが悪く、いつ死んでも構わないという理由が大きかったのです。魔王軍が勢力を拡げだしたころ、多くの街や村がこの世から消え去りました。その多くのなかに私の生まれた村はありました。


 命からがら生き延びた私は似たような境遇の人々と各地を彷徨さまよいました。それは飢えとの旅でした。いつもどこかで誰かが餓死していました。同じ年頃で若い少女のなかには、麦や肉の代わりに春を売るものもいました。幸か不幸か私の容貌はあまりよくなかったのでそういう商売には不適でした。


 赤く縮れた髪にひどく釣り上がった瞳。鶏がらのような薄い胸。そのくせやけに長い手足は、殿方の望む女性のものではなかったのです。そこで私が生業なりわいにしたのが屠殺とさつでした。


 人々が口にする鶏や牛、豚にしても生きているものを殺して、生き物を食べ物に変えなければなりません。その作業は必要なものだとは理解できても普通の人はすすんでしたいとは思いません。だから、私は行く先々でそれを行うことで糊口ここうをしのいだのです。


 そうしているうちにご禁に触れる生き物を捌いて欲しいという依頼が来るようになりました。依頼は貴族であることもあれば、どこにでもいる庶民もいました。彼らは言いました。


「どうしても捌いて欲しい。自分ではできない」


 私はどうしたものかと悩みました。ですが、背に腹はかえられず依頼を受けました。そのたびに私の手は血に汚れました。傷つくこともありました。それでも私は生きるため、と割り切って仕事をこなしました。仕事は私の暮らしを豊かにしてくれました。石畳の上で震えて眠ることはなくなり、擦り切れていたボロをまとうこともなくなりました。


 物質が満たされたとき、私は自分の心になにかとてつもない欠けがあることに気づきました。無感動になっているといえばよいのか。感情というものが消え失せたようでした。詩人が歌う美しい言葉も道化師が見せる滑稽な芸も私はなんの感想も持てなかったのです。


 そんなときでした。


 何気なく口にした料理に私は涙を流しました。それはどこにでもある牛乳に味をつけて野菜やクズ肉を煮込んだ簡単な料理でした。でも、私はこの粗末なシチューを食べて泣いたのです。それから私は見まねで調理を覚えました。殺すだけの私でも何かを作ることが出来る。そう自分に自信を持ち始めたとき、家に多くの兵士たちがやってきました。


 彼らは言いました。


「貴様の犯した罪はすべて知っている」


 私はとくに抵抗はしませんでした。いつかはそうなるだろう。そう思っていたからです。私が捌いたものを考えれば当たり前のことです。絞首刑か流刑か。そんなことを思って牢に繋がれていていると偉そうな貴族がやってきました。彼は自分のことをこの国の大臣だと語りました。


 彼は私を一瞥すると「魔王討伐に勇者が旅立つ。その料理人として随行せよ」と感情を示さずに言いました。私は意外な話に少し沈黙しましたが、ここにいるよりよほど良いと思いそれを受けました。牢から出された私は口をへの字に曲げた中年の女中に乱暴に髪を整えられ、女中と同じ服装に着替えさせられました。


 こうして私は勇者一行付きの料理人となりました。


「セシリア。俺は耐えられないんだ。皆は俺のことを勇者と呼ぶ。だが、俺はそんなに強くない」


 勇者様が私の名前を呼びました。彼は陣頭に立つときと打って変わったような情けない顔をしていました。罪人でなければ私は彼を抱きしめて励ましたかもしれません。ですが、それをするには私の手は汚れています。明日には魔王城に突入する勇者様は、明後日には世界を救った救世主になられるのです。だから、私は突き放すしかないのです。


「いえ、あなたは勇者様です。国王陛下に選ばれ、多くの魔物を倒し、数多の賊将を討ち果たしてきた勇者。それがあなたです。それに対して私はただの料理人です。釣り合うものではありません」


 私の言葉を聞いて彼は、何か言いたげにされましたが、いくつかの言葉を飲み込み「明日は絶対に街で待っていて欲しい。魔王を倒して帰ってくる」と消え入るような声で言いました。私は「はい。お約束します」と答えた。


 これでいいのだ。彼は勇者様なのです。魔王を倒せば彼は、国王陛下から姫君を与えられて王族となることもできるだろうし、死ぬまで人々から尊敬されて生きることができるに違いありません。私のようなもののことを気に止める必要はないのです。


 翌日、私は魔王を討つために出陣する勇者様や戦士、魔法使いといった人々を見送りました。勇者様は昨日と打って変わって勇ましい表情で仲間や兵士たちを鼓舞していました。さすがは勇者様です。

 魔王城へと彼らが消えていくのを見守って私は歩き出しました。





 どれほどの時間が経ったでしょうか。きっとまだ半日程度なのでしょう。しかし、待つ時間というのは、どうにも長く感じてしまいます。


 私は目の前にある肉の塊とナイフを見て、何か料理でも作ろうかと思いましたが自分の手をやめました。私の手は震えていました。不安だったのです。勇者様が来ないのではないか。なにか不測の事態が起きているのではないか。


 自分にもこんな可愛らしい一面があったなんて、いままで気づきませんでした。町娘が愛しい殿方を恋焦がれるように待つ。そんないじらしさがこんな罪人にあったなんておかしくて私は小さな声で笑いました。それは自嘲ではありません。心底、不思議でおかしかったのです。


 そんなことをしているとにわかに部屋の外が騒がしくなりました。甲冑が揺れ擦れる金属音に肩で息をする激しい息遣い。私はそれが勇者様のものだと分かりました。


 良かった。来てくれた。私は心の中で安堵しました。


 激しい足音が部屋の前で止まりました。そして、勇者様が荒々しく扉から入って来ました。白銀の甲冑は魔物の血に汚れ、大小の傷が見えました。剣は何度も返り血を拭ったのか掠れた朱が所々に残っています。鋭い目をしていた勇者様の表情が、驚きに変わりそのあと親とはぐれた子どものような顔をされました。


「なぜだ。なぜ君が」


 勇者様はふらふらとした足取りで、魔王と呼ばれていた肉塊の避けると床に伏している私の手をとってくれました。このとき、私の手は冷たく汚れていた。お腹には大きな風穴が開き、ナイフを握ることもできないほどに血が流れていました。私は勇者様の暖かい手の感触を心地よく思いました。


「これが私の仕事ですので」


 私は出来るだけ冷たく言いました。彼は優しすぎるのです。だから、私は彼に憎まれなければいけません。そうでなければきっと彼にとって良くない事が起きるのです。私は勇者様のことが嫌いではなかったのだと思います。


「君はそれでいいのか。すべては君の功績だというのに!」


 勇者様は吠えるように叫びました。きっと彼は私がしてきな悪行を言っているのです。


「汚らしい暗殺者に功績などありましょうか。いつも勇者様たちが戦っている裏で賊将を暗殺しているような私に日向ひなたを歩けと?」


 そう、私の仕事は敵の首領を暗殺することでした。

 勇者様がいくら強い、といってもそれだけでは勝てません。汚い手段を使うことも必要でした。大臣はとても政治家らしい合理的判断では私を旅の一行に加えたのです。正攻法で常に勝てるならそれでいい。だがそうでないときは、勇者を囮にして敵を暗殺してしまえ。彼はそう考えたのです。


 そして、私にはそれを可能にするだけの技量があった。

 できてしまった。

 魔王さえも殺せるほど、私には暗殺者としての適性があった。


 私が屠殺を生業にして一年がたったころでした。ある金持ちが私の解体を見ていていったのです。


「見事な腕だ。牛も豚も死を理解してないようだ。全く暴れない。それは人に対してもできるものなのか?」

「できぬことはないでしょう。しかし、人など食べても美味しくはないでしょう」


 金持ちは、そうじゃないと苦笑いをしたあと私にどうしても復讐したい相手が居ることを語りました。それはときに怒気を含み、悲哀に溢れるものでした。ですが私は情によって心動かされたわけではありません。ただ、お金が必要だったから引き受けたのです。


 彼は法で裁けぬから、どうしても捌いて欲しいといい。私は金を欲していました。利害は一致していたのです。人を捌くのは家畜を捌くよりも簡単でした。そっと後ろから忍びよりナイフを突き刺すだけで良いのです。食肉を作るように血を抜くことも、内蔵を傷つけてしまう可能性を考えることもありません。首や心臓といった急所をつけばいいのです。それだけで人は動かなくなるのです。


 そのあとは、どこで聞きつけたか分からない人々が私に暗殺を依頼するようになりました。私は殺しました。殺される人の理由も依頼する人の理由も私は聞きませんでした。聞いても私にはできなかったのです。だから、ただひたすらに肉を作り続けたのです。


 だから、私に与えられた役目は料理人であることではありませんでした。

 魔王を暗殺する。大臣は私にそれを望んだのです。それは今日、果たされました。勇者様の猛攻に気取られていた魔王はこっそりと忍び込んだ私に気づきませんでした。首を斬りました。気道と神経を一緒に切断できればまず間違いがないからです。私のナイフは魔王の首に滑り込むように入りました。


 私は、柄にもなく「やった」と思いました。ですが、それが悪かったのです。


 ナイフは魔王の気道を傷つけただけで神経には届いていませんでした。魔王は腕を振るって私を弾き飛ばしました。飛ばされた私は咄嗟とっさに左腕で防ごうとしましたが、人間の細腕では抑えようもありませんでした。


 私の左腕は砕けていました。だらりとさがった腕は私の意志など知らぬようにピクリとも動きません。

 魔王は私の姿を見るとひどく驚いた顔をしていました。そうでしょう。勇者様が来るとばかり思っていたところに来た襲撃者は、私のようなチンケな小娘だったのです。彼は何か言おうと口を開きましたが気道をから漏れる空気の音が虚ろに響くだけでした。


 彼は最後まで威厳を崩しませんでした。鋭い眼光はいまにも身に刺さるようでした。私は残った右手にナイフをもう一度握り締めました。きっと魔王は私がトドメを刺さなくても死んだと思います。呼吸ができなくなった生き物は死ぬのですから。でも、そのときの私は一秒でも魔王が生きていることが怖かったのです。だから、もう一度、襲いかかったのです。


 結果は悲惨なものでした。魔王の手のひらから吹き出した魔力の奔流は私の腹部を貫きました。見れば反対側が覗けるような風穴が空いた。血が吹き出ていました。それでも私の右手は。握り締めたナイフは彼の首を捉えていました。


 鈍く水気をはらんだ音とともに魔王の首は床に落ちました。


「俺の名声は本来であれば君のものだった。君はこれまでも多くの敵をたった一人で殺してきた。それはとても勇気のあることだ。勇者と呼ばれるべきは君なんだ。セシリア」


 勇気がある? それは違います。


 私には勇気などありません。だから、暗殺をしているのです。暗所から決して光に触れないように、私は光を恐れたのです。だから、勇者様がいることに平穏を感じていたのです。光を代わりに浴びてくれる人がいる。それだけで、私は幸福でした。


「勇者様。あなたの勝利です。勇者様が魔王を倒したのです」

「違う! いま治療する。そして、君が勇者になるんだ!」


 やめてください。そんなことしないでください。

 勇者様の名誉は地に落ちてしまう。


「……勇者様」


 私はもうまともに動かない上半身を必死におこすと勇者様に小さな声でいいました。勇者様は私の言葉を聞き漏らさぬよう私の口元に耳を寄せて聞いてくれました。私はその横顔に少し見蕩れてから右手を少しだけ動かしました。


 鈍くなっている手でもナイフの感触は分かりました。長付き合いです。自分の一部といっていいそれを私は握り締めました。そして、右手をゆっくりと私を抱き寄せてくれている勇者様の首に回すと、手首の反動だけで彼に突き立てました。


「セシリア……。どうして?」


 勇者様は蒼白な顔で私を見ました。それは絶望ということがよく似合う表情でした。このとき、私はどんな表情をしていたのか。見えないので分かりません。しかし、きっとひどく悪い顔をしていたに違いありません。


「勇者様、私は大臣から三つの命令を受けていました。一つは勇者様たちに美味しいお食事を提供すること。二つ、勇者様の手に余る敵を暗殺すること。そして、最後が魔王を討ち果たした勇者様を暗殺することです。きっと凱旋された勇者様が邪魔になると大臣や国王陛下は考えておられるのでしょう。

 勇者様は魔王と相打ちになった。これで名誉だけは守られます」


 私は最後まで隠してきた秘密を勇者様に打ち明けました。

 そう、私は最初から最後までそうするように決められていたのです。右手に暖かい液体が絡みついてきます。勇者様の血でした。私の血はこれよりも冷たいに違いありません。


「そうか。俺も告白しよう」


 そう言うと勇者様は掴んでいたナイフと強引に私から奪い取ると遠くへ投げ捨てた。ナイフを素手で掴んでいた彼の手は真っ赤に染まっている。私の最後の仕事は失敗した。いや、成功したというべきでしょうか。


「俺は、魔王を倒したあかつきには薄汚い暗殺者を殺せと大臣から命令されていた。汚い手で敵を葬ってきた君が死ねばその功績はすべて勇者である俺のものだ。セシリア、俺は君のことをずっと不憫だと思っていた。だが、それも今日で終わりだ」


 勇者様は私の腹部にあいた傷口を力いっぱいに押さえつけました。ひどい痛みで私は悲鳴を上げました。ですが、彼が殺してくれるのなら良いと思いました。ですが、最後はいつまでたっても訪れませんでした。反対にお腹に空いた傷が治されていました。


「回復魔法? どういうおつもりですか」

「セシリア。俺か君か片方が死ねば大臣や陛下が何もしない、と本気で思っているのか? そんな訳無いだろう。彼らはどちらが残っても俺たちを殺すだろう。理由はなんでもいい。権力があればでっちあげることなんて簡単だ。魔王を倒した勇者、魔王を殺した暗殺者。どちらも彼らにとっては脅威でしかない」


 私は何も言えませんでした。

 確かにそう考えることもできます。


「ならどうしろ、というのです」

「俺と逃げよう。セシリア。勇者でも暗殺者でもなく何もでもない二人として」


 困りました。本当に困りました。

 勇者様が勇者様でなくなれば私は彼をどう呼べばいいかわかりません。でもわかることがひとつだけあります。勇者様はきっと勇者様と呼ばれたくはない、ということです。

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[良い点]    もぺたんです。  自分で決めたルールとして、他作品の感想には顔文字や【☆】等を使わないと決めているので、簡素に見えたら申し訳ないです。 ■■■■■  勇者の一途な思いが全てを分…
2017/11/06 05:19 退会済み
管理
[一言] 何だか切ない物語でしたね(-_-;) 暗殺者の女主人公と勇者、この二人のやり取りがどうも切ないって感じです。短編とはいえ、すごく深みがある作品で良かったです。 あと、文章などがしっかりして…
2017/10/22 13:12 退会済み
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