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その平凡かつ奇怪な訪問者 - 7

町に月一度の定例市が立つその日、龍園はシエルの11度目の訪問を迎えた。

初めて龍園を訪れた日から単純な日数にしてみれば数十日程度しか経過していないとはいえ、ほぼ通い詰めとなっているシエルは、この頃ではヴァイスとクアンの心に強い印象を残しつつあった。

龍園への訪問客は毎日のようにある。大人に引率されて、近隣の町から社会見学に訪れる子供達の集団もいる。シエルと同じく転生を希望して相談に訪れる者も、ぐっと数は減るがいる。

しかし、数日置きに必ず転生を実行しては戻ってくる客というのは、前代未聞とまではいかないものの極めて稀であった。

市で朝買ってきたばかりの、まだ湯気のあがっているフレッシュ・チーズに塩胡椒を振りかけながら、感心と呆れが半々に混ざった目をクアンがシエルに向ける。


「すごいですねー、10回超えて粘った人なんて私の知ってる限りいませんよ。

ミルトおばちゃんもびっくりです」

「ここまで酷いのは久々だからな」

「酷いだなんて、そんな酷い! 僕は一生懸命なんですよ!」

「ううむ、懸命さはこの上なく伝わってくるのだが……」


言葉を濁すヴァイスは、人間だったなら困惑した表情を浮かべているのだろう。

シエルが一生懸命である事は、今日までの過程でヴァイスもクアンも心から認めている。むしろ、この青年を除外したら一体何を懸命と呼んでいいのか分からない程だ。命懸けでやりますと軽々しく口にする者は後を絶たないが、シエルは実際に毎回命を捨てているのである。それも、大いに苦痛に満ちた方法で。

握り潰すという乱暴な手段は、二度目以降の転生を躊躇わせる抑止効果も伴っていたが、シエルにとっては何の障害にもなっていないようだった。


ここにきて、ヴァイスはひとつの確信を得ていた。

シエルが苦労して育ってきたのはその通りだが、勇者になりたい、世界を救う大活躍をしたいという思いは、厳しい現実から逃れたいという思いとはまったく別のところに根差していると。

シエル自身果たして気付いているのか定かではないが、これは単なる逃避行動などではない。自分の運命に不満がある、人生をやり直したい、今度こそ成功したいというだけで、ここまで続く筈がない。

やり直したいだけなら、成功したいだけなら、既に彼は何度か出来ている。

だから、たとえ今とは正反対の、生まれた時から何ひとつ不自由ない生活を送れていたとしても、シエルはいつか転生を望んで、勇者になる夢を胸に龍園へ来ただろう。

その事を、10回の生と死が証明している。

それを思うと、ヴァイスは運命というものの皮肉さについて考えずにいられなかった。もしもシエルという人間が恵まれた環境にいたなら、転生をしに、即ち死にに行こうとする彼の存在は、龍園を巻き込んでちょっとした騒ぎを起こしていたに違いない。基本的に孤独で、誰も悲しまないからこそ、彼はここまで静かに何度でも死んでいけるのである。


「そもそも……これだけやっても思い通りにいかないのは、ヴァイス様にも責任があるんですよ」

「なに、私に?」

「ええ。人の世が発展するにつれて、やっぱり古き竜は歴史から姿を消すべきだと思うんです。そういう神秘的な土壌があってこそ、胸躍る冒険向きの世界が作られるんじゃないでしょうか。積み重ねですよ、雰囲気の積み重ね。なに普通に仲良くご近所付き合いしてるんです」

「仲良くできるなら仲良くした方がいいだろうが。理不尽な難癖をつけるのはやめてもらおう」

「シエルさんのそういう価値観というか観念って、どこで培われたんですか?」


スプーンで掬った温かい出来たてチーズをのんびり口に運びつつ、クアンが尋ねる。

現状では他に何の役にも立っていないが、10度続けて死んでも挫けない一点特化の精神力は驚嘆に値する。生まれ持った異常性であるには違いないとしても、影響を与え補強した何某かは存在している筈だった。

クアンの問いに、シエルがぱっと瞳を輝かせる。すぐに視線をヴァイスから食事中のクアンに移すと、よくぞ聞いてくれたというように鞄から一冊の本を取り出して、表紙が見えるようにクアンの前に掲げた。


「本?」

「50年に一度の冒険小説の鬼才と讃えられた、ベストセラー作家ドジスン・マクレイの処女作、『信じられない世界』です! 僕の人生を変えた大傑作ですよ!」

「確かに人生変えちゃってますけど」

「変えすぎだな。この作家も本望だろうて」


何度も読み返したのだろう、分厚い表紙の所々が擦り切れて、手垢で艶々と光っていた。この入れ込みようからすると、あるいは傷むたびに買い直して、これで数冊目なのかもしれない。

読んだ事はありますか、と、シエルは本を手に熱のこもった口調でクアンに迫っている。あると言えば作中の名場面を語り合おうとし、ないと言えば即座に本を押し付けて布教に取り掛かりそうだった。

勝手に盛り上がる一人を横目に、こみ上げてきた溜息をヴァイスは飲み込む。

生来の穏やかな気性と強者としての余裕から、駄々をこねる人間の幼児相手だろうと常に崩れない気楽な内面が、いつになく深刻さを帯びていた。

彼が挫けないのは充分に伝わった。だが、このままではいけない。

見下ろしてくる真紅の眼にシエルもクアンも気が付き、押し黙る。

二人が静かになるのを待って、ヴァイスは口を開いた。


「いい加減妥協しなよ、シエル。この世界ではどうあがいてもお前の望む冒険は味わえそうにないと。

可能性があると言ったのは私だが、それがどれだけ低いか、さすがに身に沁みて分かってきたんじゃないか? しかも仮に戦の絶えない時代に生まれつく事ができたとして、そこで生き抜くのがどれだけ困難な事か。

世界を救った勇者にはなれず、頑張ってせいぜい紛争地帯平定の立役者どまり。

その時お前はどうする。また死んでやり直すのか? また、海辺で一粒の砂を探り当てるような作業に戻ると?」

「それでも凄い功績ではあるんですけどね、伝説の勇者かっていうとちょっと物足りないかも」

「払わねばならない努力が大きすぎ、やり遂げても見返りはお前の求めるものに足りない可能性が高すぎるんだ。

やはりここは、裕福な一市民の座を射止めて満足するのが最善の選択だと思うぞ。皆もそうしているし、私もお前にそうしてほしい。お前には普通に幸福になってほしいんだよ」


ヴァイスの忠告は、反論しようがない程の正論だった。

ヴァイスが、あるいはクアンがこうした忠告を行うのは、当然ながらこれが初めてではない。

ここまで親身になりはしなかったものの、ちょうどシエルが四回目の死を迎えたあたりから、そろそろ大冒険は諦めて、もっと平穏で幸福で豊かな人生に落ち着くよう、やんわりと説得を続けてきた。

本来ならこんなもの、説得の必要すら無い筈だったのだ。最強の勇者などという胡散臭い称号と、単純に金と地位と家族に恵まれた人生とのどちらが良いかなど、説得するまでもなく明らかだからである。

だからこそ、ほとんどの転生を希望する者達は、多くて数回で消えていき、二度と龍園には戻ってこない。普通に人生をやり直して、普通にそこそこ以上の成功をして、よかったよかったと死んでいく。


子供でも理解できる理屈を懇々と説かれて、シエルは俯いてしまった。

忠告を無視してきたシエルといえど、10回という大台に乗った数が突き付けてくる現実は、それなりに堪えていた。また、何を言われても聞かないだけで、決して二人の説いた現実が理解できていない訳ではない。

気まずい沈黙が流れる。

テーブルに置かれた本をクアンが拾って差し出すが、項垂れたシエルは受け取ろうとしなかった。


「それでも、それでも僕は……」

「シエルさん……」


きつく唇を噛むシエルに、クアンは何と言っていいか分からず、手にした本を胸に抱いた。

ヴァイスは暫しそんなシエルを見下ろし、考え込むような素振りを見せていたが、やがて。


「わかった」


既に成功と呼べる人生を何度か達成しているにも関わらず、いまだ満たされずにいるシエル。何が彼をここまで駆り立てるのか分からないながらも、ヴァイスはひとつの決断を口にする。

猫のような瞳孔が一層細まり、眼球をぬるりと半透明の膜が一度覆った。

それは人や獣で言うならば、一呼吸入れる為の瞬きに当たる動作だった。


「お前の望むような動乱が、今まさに起きている世界へ飛ばしてやろう」


え、とシエルが言った。

え、とクアンも言った。

平然としているのは、さらりととんでもない提案をしてみせたヴァイスだけだ。


「異世界の竜と交渉する」


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