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その平凡かつ奇怪な訪問者 - 5

風変わりな青年の記憶は、日を追うごとに二人から薄れていった。

わざわざ死んで生まれ変わろうという者は昔も今も少ないが、全くいないという訳ではないのだ。

過去に何度も起きている出来事のひとつとして、繰り返される日常に紛れていく。


「おや」

「あら」


ヴァイスとクアンが見覚えのある青年と再会したのは、別れてから10日後の事だった。

龍園を訪ねてきたシエルを見て、クアンは朝から苦戦していたパズルの手を止める。シエルは初めにそんなクアンを見、次にヴァイスを見上げた。浮かない顔をしている。


「おひさしぶりです」

「久し振り? ああ、お前からすればそう言えるくらいになるのか。

しかし、その姿で再びここに来たという事は……」

「ええ、まずはご報告をと思いまして」


あの日のようにクアンが持ってきてくれた椅子に礼を言って座ると、シエルは自分の人生を語り始めた。

彼が送った、もう一人の男の人生を。


時代を遡る事、ざっと400年。

その赤子は、小さな産院にて両親からの祝福を受けて生まれた。

親から貰った名はイリエン。父親は、陶器と織物の行商を生業とする商人だった。

長屋を間借りしての、飢える程ではないが、お世辞にも裕福とは呼べない暮らし。

彼が生まれるまで平凡な一商人に過ぎなかったイリエンの父は、だが嗅覚は人並み外れて優れていたらしい。あるいはその一度に限り、天啓が降りたのだ、とも。

切っ掛けは穀倉地帯に発生した新種の病だった。小麦に大麦、病気に強い雑穀までもが次々と倒れていく中、彼の父は逸早く穀物高騰の兆しを見るや、商人仲間のつてを辿って全くの専門外の分野に迷わず手を伸ばし、これらを片端から買い占めた。やがて狙い通りに価格は天井知らずの高騰を続け、多くの餓死者を出すのと同時に莫大な利益を生んだ。いわゆる売り抜けに成功したのである。

僅かでも読みを誤れば全財産を失っていただろう。しかし彼の父は賭けに勝った。

大きく余裕のできた元手で隊商を組んだ頃には、彼の家族は古い長屋を出て新しい町へ引っ越していた。

町は治安が良く、商売の基盤を築くのに成功した彼の家は周りと比べても裕福だった。

彼が学校へ通える年齢になると、両親は迷わず入学手続きを取った。商取引の場において基礎的な学のあるなしが予想外に大きく響く事を、彼の父は痛いほど味わっていたのである。

彼は勉強が得意な訳ではなかったが、一応はこれまでの19年間生きてきた経験がある。ここで非常に重要なのは、生まれ付きの頭の出来や転生した際に有している知識の量などよりも、凡人だからこそ子供の頃から真面目に地道に学ぶ事が、後々どれだけ人生に重要な影響を及ぼすかという現実を、彼が実体験を通して既に知っているという事だった。

結果、飛び抜けた秀才にはなれなくとも、成績は中堅から上を保ち続けた。

学業に励む傍ら、父親の元で商売の基礎を学ぶ。無事に学校を卒業した後は、本格的に商売の道に入っていった。

彼が32歳の時、父親が死んだ。病だった。前前年に結婚し孫の顔を見せられていたのは幸運だった。事業は順調であり、後を継ぐのに支障はなかった。長年父と共に働いてきた者達が、引き続き彼を支えてくれた。

やがて彼にも、後続に道を譲る日が訪れる。跡取りの息子は些か人が良すぎるのが欠点だが、目利きの確かさと誠実な人柄がそれを補ってくれるだろう。隠居に後悔はない。

徐々に鈍くなっていく手足の感覚。昔に比べてすぐに痛み始める腰。

ひ孫を膝に抱きながら、これが老いかと苦笑する。だがこれは人が生きている限り必ず通る道であり、その道をこうして家族に囲まれて歩める事こそ、人が人である本懐なのだ。

遠のいていく意識の中、彼は自分の乾いた手に重なる幾つもの手の温もりを思い、そっと目を閉じた。


完璧だったとは呼べない、しかし完遂したと誇れる、人間の一生であった。


「良いではないか!」


聞き入っていたヴァイスの賞賛に、シエルはなぜか不満そうな顔をした。


「そうでもありません」

「いやいや、そうでもあるだろう。

大富豪ではなかったとしても余裕ある暮らしぶりの家。偉業を残す程の知性の閃きはなくとも、恥ずかしくない学歴。仕事もなかなか。結婚もできた、子宝にも恵まれた。何度か病気はしたが大病で苦しみ抜く訳でもなく、最期は家族に看取られて。うむ、これこそ多くの人間が望んでやまない最善の人生というやつよ。お前もよく頑張ったな、偉いぞ」

「そうですけどそうじゃないんですってば! せっかくの機会だから僕なりに精一杯頑張りましたけど! 今とは比べ物にならない飛躍ですけど! でも飛んでいく方向がとうとう違うままだったら、それは……」

「そうですよねー、心の底から満足できる人生だったら、シエルさんは今日ここに来てませんものね」


たとえ多くの人間が望むものであろうと、大勢から外れた極一部を望む者にとっては外れともなり得る。人の意志が千差万別である以上、そうした例外が生じるのは避けられない。

転生したシエルが送ったのは、誰もが認める一般人の模範のような堅実な人生であった。だが彼が命を捨ててまで望んだのは、一般人から逸脱した、それこそ伝説の中にだけあるような生涯だったのだ。地方在住の恵まれた部類の一商人では、魔王は倒せない。


「そもそも、お前が転生したのはもう魔王だの外界からの侵略者で全人口半減だのという時代じゃないからなあ。ああ、だがなお前の生家のあった辺り、地層を深く掘り返せば大昔の巨人族との古戦場に当たるぞ確か」

「そこは掘り返さなくていい地表だった時代に転生させてくださいよ! あともう一歩の努力でしょう!」

「私に言うなよ、そういう事はミルトに言え」

「ミルトって誰ですか」

「死の神だ。転生の根幹には奴の協賛がある」

「ご近所さんに挨拶しろみたいに言われても」


多くを求めすぎのような、わざわざ転生までするからには尤もなようなシエルの抗議。

遠い時代から転生してきた人間の持つ特殊能力がまさに問題を解決する為に求められています、という状況には、そうそう都合良く出くわさないという事である。現実は厳しい。


「転生前に説明できない事があると言われた理由も分かりましたよ……」


今となっては深く納得した顔で、シエルが頷いた。

そも、何故シエルは再び龍園に現れたのか。ヴァイスの手によって確かに転生を果たし、無事に生涯を終えたシエルが、どうして死から10日後の今日、逆に言えば10日しか経っていない今日、あの日と何ら変わらない姿で戻ってきたのか。

自宅のベッドで永遠に閉じた筈の目が再び開いた時、シエルはひどく混乱した。

暗闇へ向かって落ちていった意識もはっきりしており、年老いてあちこち傷んでいた体は若さを取り戻している。慌てて日付を確かめて、龍園を訪れた日から3日しか過ぎていなかった事にまた混乱した。

これは一体どういう事だ、まさか全て夢だったのかと、数日間はまともに部屋から出る気も起こらないくらい悩んだが、寝込んでいるうちに気持ちも徐々に落ち着いてきたので、意を決して再びこうして二人の元を訪ねたのである。

あの日教えてもらえなかった秘密に、なんとなく見当を付けながら。

その通り、とヴァイスが大きく頷き返す。


「転生後の人生が心から満たされるものであった場合は、そのまま生を終える。残念ながら転生後も思うようにいかなかった場合には、元の時代に元の姿で復活して戻ってくる。今こそ明かそう。これこそ死と時の神ミルト全面協力による、龍園が誇る魂循環システム、まんぞく保証だ」

「すごい神様が全面的に協力してくれてるんだから、名前もう少し何とかならなかったんですか」

「制度の名前は誰にでも内容が伝わる事が肝心なんだよ」


やり直した人生に満足したならそれで良し、満足できなければほぼ振り出しへ戻してくれる。神が関わっているとはいえ信じ難い奇跡であり、同時にこれが転生を望む者に事前説明ができない理由であった。

駄目ならやり直せると知っていたら、二度目の生を歩む者の精神に少なからず影響を及ぼす。また、転生先で成功している者にも「これは真の意味で満ち足りた人生と呼べるのだろうか」と疑問を生じさせ、それが心残りになりかねない。

ヴァイスの言葉に嘘はなかった。隠し事が生む若干の不信感や不安よりも、説明する危険の方が大きいのである。


「これに引っ掛かった奴は、多少のばらつきはあるが遅くても死後5日以内には戻ってくる。早めか遅めかは、ミルトの手が空くタイミング次第だ。人が行方不明になっても無理なく復帰可能な日数がそのくらいだから、死ぬほど忙しいけど頑張ると言っていた。これが一年二年空けてしまうと、戻ってきたら既に死亡認定されている可能性が高いからな」

「少し仕事を分担してあげた方がいいんじゃないですかね。死と……時?

というか神様も、なんだってわざわざそんな回りくどくて中途半端な方法で保証を」

「中途半端でもそのくらいの世話はしてあげないと、神や竜なんてやっぱり無責任なんだなってなっちゃう……」

「なっちゃう……じゃありませんよ。そこだけかわいらしく言ってみても騙されませんからね」

「傷付くじゃないか。これでも竜の中では器量良しで通っているというのに」

「僕からだとその辺の区別全然つかないので……すいません。

クアンさんは美人だと思いますけれど」

「きゃ」


頬を染めるクアンに、ヴァイスは意外そうな目を向けた。


「照れるのか」

「照れますよー。うちに遊びにきた親戚のちっちゃな男の子に、『おねーちゃんすごいびじん! おれ将来ぜったいおねーちゃんと結婚するから!』って言われた時みたいな感じ? やーだもーボクー!ってなるじゃないですか」

「こ、子供扱い……」


むしろ幼児扱いに近い。

男として相手にされているとは思っていなかったシエルも、この認識には項垂れる。外見年齢でいえば、自分とほぼ変わらなく見えるというのに。

グラスエルフは人間より長命な種族だが、彼らの基準での年代区分がどうなっているのかをシエルは知らない。


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