アールヴァラン大海祭 - 7
がつがつ、むしゃむしゃ、がつがつ。
健康的な音楽を奏でて、並べられた皿が小気味良く空になっていく。
時に微笑ましいと人の頬を緩ませ、時に品がないと人に眉を顰めさせるその食べっぷりは、今に限っては誰の目にも等しく痛々しい光景として映った。健康に育った子供が旺盛な食欲を発揮しているのと違い、これは飢えていた子供が久々のまともな食料を貪り食っているだけだ。空腹状態が長く続いた胃にあまり一気にものを詰め込むのは良くないのだが、誰にもそれを言い出せない雰囲気がこの場にある。
ただ、見た目の印象ほど全く何も食べさせてもらえていなかった訳ではないらしい。クアンが簡単に行った聞き取りから、それが判明した。元々痩身の種族ではあるのだという。だとしてもこれは痩せすぎだが。
「子供が飯を食えねぇってのは、俺はダメなんだよ」
苦々しい表情で次から次へと新しい皿を運んでくるのは、この食堂の店主であり、同時にリリエンタールの叔父でもある鷹のような男だった。即ちここは、シエルの新しい住まいからも目と鼻の先にある、リリエンタール工房裏の大衆食堂「スープボウル」である。無論、食堂側から見れば、甥の家具工房がうちの店の裏にあるのだ、となるだろう。
契約前にリリエンタールから説明を受けていたこの店には、引越し前からシエルも何度か通っていた。契約が成立してから顔見せを兼ねてリリエンタールやクアンと行った事もあれば、一人で食べに行った事もある。良いものしか勧めないと断言したリリエンタールの言葉に嘘はなく、身内の贔屓目など一切無しで評判通りの味と豊富なメニューは、シエルとクアンを大いに満足させてくれた。値段も立地の良さの割には手頃であり、もっと割安になるその日のお任せセットもある。
日常的に利用する食堂としては、あらゆる面で申し分ない。
最初の訪問で甥と一緒に顔を出したからか、店主もシエルの顔を覚えてくれていて、長年馴染みの客とまでは言わないものの、店に入れば知り合いに会った時のような目を向けられるくらいにはなっていた。
しかし、いくら何でもこれは量が多すぎる。どんなに空腹でも相手は小さな子供だ、そこまで大量に詰め込めるものではない。だというのに注文してもいない料理を途切れず運んできては、余ったら持って帰ればいいだろうと事も無げに言う。住所不定の上に正体も不明な子供が、一体どこへ山のような料理を持って帰ればいいというのか。
おそらく今、代金の請求も含めて店主の頭からそうした実質的な問題はすっぽり抜け落ちている。腹を空かせた痩せぎすの子供を前にして、とにかく飯を供給しなければという使命感のみに突き動かされているのだろう。
ひとまず、いい人である事には違いない。
舐め取ったように綺麗になっている皿を見て、店主がほっくりと顔を綻ばせた。次の皿もこれで拭えとばかりに、バスケットに新しくパンまで放り込み始める。
「おう全部食ったな、よぉしよし。こいつもどうだい? 干した貝柱を一旦水で戻してから、その戻し汁ごと煮てとろみを付けたソースに仕立てたやつで……」
「むぐう、むがぐぐ、ぐみゅ」
「あの……さすがにもう無理かと。ペースが急激に落ちつつありますし」
「あーこれまだイケると思ってたら一気に限界迎えるやつですね。私も身に覚えがあります」
「なんだよ、もうかよ? 俺っちが素晴らしく気を利かせてお子様向きの皿に盛ってきてやってるってのによ」
「子供用の皿でも三皿食べれば大人分を超えるんですよ、叔父さん。しかもそれ何セット目ですか」
静観していたリリエンタールもさすがに窘める。
この辺りで止めておかないと、余り物を平らげる役目が全て自分達に回ってくるのを危惧したのかもしれない。そうでなくても、テーブルを占拠するに当たりマナーとしてシエル、クアン、リリエンタールで各自一品ずつ注文しているのに、これ以上食べさせられようものなら胃袋がパンクしてしまう。
ついでにヴァイスまで食べもしない料理を出される羽目になっていたが、こちらは館の竜が来店するなど初めてだと大喜びした店主の奢りだった。牛と豚と鳥と魚を山盛りにして煮込んだインゲンを添えた、スープボウル特製山脈肉セットを前にヴァイスが沈黙している。
保護というか捕獲といおうか、捕まえたスリの子供をひとまず運び込める場所として、この店を選んだのはクアンだった。あのまま通りにいたのでは目立ちすぎるし、ここならしっかりした食事も落ち着いて取らせてやれる。しかも、こうして奥に一室だけある個室も貸してもらえた。口添えしてくれたのはリリエンタールである。幸い今日も店に篭っていた彼は、クアンの頼みを快く引き受けてくれた。
とはいえ、このままでは汚すぎて家にも店にもあげられないので、シエルの新しい家の庭でクアンが体を洗った。魔法によって、桶に汲んだただの水がみるみる適温の湯に変わる。石鹸やタオルはシエルのものを借りた。服も着替えた。おかげで外見はだいぶ見られるものになっている。少なくとも悪臭は消えた。こうして飲食店にいても不都合はないくらいに。
だが考えてみれば、そもそも体を綺麗にしてやって食事を与えているこの状況はおかしい。貧しい子供でも、犯罪者は犯罪者だ。警備兵を呼ぶか、祭りに対応して各所に設けられた臨時の詰め所まで連れて行くか、どんなに甘い処遇だったとしても財布を取り返して逃がす止まりだろう。犯人の健康状態は引き渡された側が対処すべき問題であって、被害者が解決してやる事ではない。
当然、シエルもクアンの提案に戸惑った。一般常識として、こういう事は専門の組織に任せるべきではと思ったのである。
繰り返すが、アールヴァランの治安は高い水準を保っている。
ここまで酷い状態で運び込まれた子供を着の身着のまま往来に放り出すような真似はしないだろうし、食事や寝床、その後の身の振り方も最低限考慮してくれる筈だ。
しかし、クアンは難しげな顔を崩さないまま。
「引き渡すのはまた後で考えるとしても、ひとまず保護しておいた方がいいと思うんですよね」
と言い、ヴァイスもこの判断に異を唱えなかった。
不可解さは増すばかりだが、両名から揃ってこう言われてしまっては、強固に反対する根拠がシエルにはない。
従属種、とクアンは言った。密輸品、とその次に言った。どちらも聞いた事はあっても、日常での馴染みは限りなく薄い言葉だ。
薄切りにしてクリームを乗せた桃をぱくつく子供を、斜め前の席のリリエンタールが興味深そうに見ている。
子供の頭に生えた獣そのものの大きな耳は、エルフが感情表現をする時よりも頻繁にぱたぱたと動いていた。うまい食事にありつけた喜びが伝わってくる。全体に犬のような印象の子供だが、もし尻尾があれば全力で振っていた事だろう。
「これが従属種ですか……本物を初めて見ました。滅多に国から出ないのでは?」
「出ないというか出してもらえないというか、どちらにせよ自分の意志でここにいる訳じゃなさそうですよ。うーん言っちゃっていいのかなーこれ。でも自分の意志でここにいないって言っちゃった時点でもう幾つかに絞れますよねその先」
「複雑な事情がおありみたいですねえ。ふうむ……滅多に自国から出ない幻の種族……ああっ、閃きました! 今回の銘は『開け放たれた揺り籠』と」
「やめましょうよ」
「相変わらずだなぁアン。こんなに腹減らしてる子供まで商売道具にするなんて悪趣味だと思わないのかい」
「趣味人ぶりでは私といい勝負の叔父さんに言われたくはないですねえ。ふふふ……よしよし盛り上がる感じに構想が来ましたよ! 少女は……少女ですよね? 少女は生まれながらに鎖に繋がれていた。ん。いやここは『見えない鎖に』の方がより情感が……」
黒いレンズの奥からでも分かる、ぎらつく視線を送るリリエンタール。
普通なら怯えるか気味悪がりそうなものだが、視線に気付いた子供ははっとしたように丸い目を更に丸くし、食べるのをやめた。その両目はリリエンタールの顔へと向けられている。よくよく観察すれば顔の中心ではなく上下左右――髪に、だろうか。
僅かな乱れもなく整えられた、混じりけのない見事な銀色の髪に。
「とうと、き、ちの、おかた」
「あ、なんか見てると思ったらやっぱり。最初にお会いした時から気にはなってたんですよ。ハーフエルフですよね? リリエンタールさんって」
子供がリリエンタールに向ける視線にクアンも気付いたようだった。その上、こちらは視線の持つ意味にも気付いている。ヴァイスには反応がなく、そうですよとリリエンタールが肯定する中、シエル一人がまたしても驚かされる結果となった。
こいつの母親がグラスエルフなんだよ、と店主が勝手に話を引き継ぐ。
叔父が人間であり、リリエンタールがハーフエルフ……人間とエルフの混血だというのなら、当然、母方がエルフという事になる。となると以前に聞いた、不動産を扱っている叔母というのもエルフなのだろう。グラスエルフを筆頭に人間社会に溶け込んだエルフは珍しくないが、ハーフエルフとなるとまた些か事情が異なってくる。
「……人間にしか見えませんよね、耳も尖ってませんし……」
「そりゃそうですよ、ハーフエルフの身体的特徴なんてどのエルフと混ざっても絶対に銀髪になる事くらいですもん。しかも人間の銀髪もいますから、プラチナなら確実にハーフエルフって訳でもありません」
「それだけでしたっけ?」
「それだけですよ」
「耳が尖らなくても、優れた暗視能力や魔法の才能を受け継いだりは? 勇者の仲間にも一人は混血の能力者がいたりしますし」
「ならないみたいですねー。私の知ってる限りだとハーフエルフに銀髪以外の特徴は無いです。寿命も人間と変わらないですから、ほとんど髪が銀色なだけの人間ですね、生まれてくるのは。ちょっとエルフ要素ないがしろにされすぎだと思いません?」
クアンが良く分からない同意を求めてくる。
しかしないがしろはともかく、両者の血が混ざり合って生まれてくるにしては、確かにエルフ側から受け継がれるものが少なすぎるとはシエルも感じた。
肉山が築かれた皿をクアンの方へ押しやりつつ、ヴァイスが話を継いでくれる。
「人間は短命だが繁殖力が高い。エルフは長命だが繁殖力が低い。両者の間に産まれた子がそれぞれの特徴を最良の形で受け継いでしまえば、長命かつ旺盛な繁殖力を備え、おまけに獣並みの身体機能と高い魔力を宿した新世代が世に溢れ返る。それこそ現勢力図がひっくり返りかねない上に、世界全土が食い尽くされて生体バランスが滅茶苦茶になってしまう恐れがある」
「うまい事管理してるみたいになってるもんですよねー、実際管理してるんでしょうけど」
「そのあたりは神々の思惑だからなあ、一介のドラゴン如きにはこうして話して聞かせるのが精々だよ。いずれはそういった種族が台頭する世代交代の時期が訪れるのかもしれん。だが今はその時ではないという事なのだろう、多分」
ヴァイスの話はスケールが大きすぎて、今ひとつ実感がわかない。
失礼だとは思いながらも、シエルはついまじまじとリリエンタールを見てしまう。
やはり、彼の知っているエルフの特徴は体のどこにも見て取れなかった。
人間社会に溶け込んだエルフが多い反面、ハーフエルフを見掛ける機会は非常に少ない。存在は知られていても、ほとんど幻のような扱いさえ受けている。シエルが驚いたのもその為だった。最初からハーフエルフである事を想定していなかったのだ。
では何故こんなギャップが生じているのか、まさしくその理由がヴァイスの話にあった。
エルフと人でも結ばれるし子は為せる。しかしそうしたとて、伴侶も子供も自分よりずっと先に老いて死んでいくのだ、目の前で。異なる種族間の恋愛が綺麗事だけでは済まされない事を、残される側のエルフは知っている。だから自然と、そうなるのを避ける。リリエンタールの両親がこの問題を乗り越えたのか先送りしたのかはシエル達には与り知らぬ事情だが、目の前の風変わりで胡散臭い家具屋はそこそこ稀有な存在なのだ。




