お前のお家はどこにある - 6
中に入ってみれば、店には横幅だけでなく奥行きもあった。
このくらい広くないと大きな物が多い家具を並べられないのだろうが、それでも商品と商品の間はかなり詰まっている。ごちゃごちゃした印象を受けないのは、隣り合う家具同士を用途の似通ったものにしたり、手前から奥にかけて家具の高さを上げていったりと、調和するように工夫を凝らしているからだ。
所々で、日常生活では嗅ぐ事のない強い木の匂いがした。不快なものではない。
クアンは興味深そうに鷲の彫刻を撫で回している。
「よろしければ、冷たいお茶などいかがですか?」
「あ、さっきジュースを飲んだばかりなので……」
「私飲みたい!」
「……クアンさん、こういう時はもうちょっと遠慮するとかそういう……」
「えー、心遣いは嬉しそうに受け取った方がお店の人も喜びますよ」
「ははは、仰る通りで」
そう言われてしまうと、人付き合い方面に難のあるシエルとしては反論ができなくなる。
亜種により差はあるにせよ、エルフには恵みを素直に受け入れる傾向が強い。グラスエルフが人の社会に溶け込めたのも、この特徴によるところが大きかった。
間もなく店主が、二人分の茶を丸盆に載せて戻ってきた。
片方のグラスには薄い青で波の模様が描かれており、もう片方のグラスには濃い赤で雲の浮かんだ空が表現されている。一揃いで作られた品に違いなく、真逆の色合いだというのに並べると互いを良く引き立てていた。
高そうなグラスだと思いながら、シエルは冷えたそれに口をつける。炒った豆の香りが口内に広がった。
ちびちびと啜りながら、肝心の本題に戻るタイミングを伺う。
いくら何でも、お茶をご馳走になったそばから「そんな事よりも家の話を」では失礼だ。ここは世間話のひとつふたつ挟んでから切り出すべきである。
「中は普通のお店なんですねー、首吊り死体でもぶら下がってるんじゃないかと思ったのに」
いきなり本題に戻るよりも失礼な人がここにいた。
もう飲んでしまったらしく、クアンは空っぽのグラスを両手で挟んで回している。床に落としそうで気が気ではない。
シエルが見ていると、エルフはこの豆食べるんですよと教えてくれた。そういう事を言いたかったのではないのだが。
「あそこに飾ってある盾、店長さんの?」
「ええ、あの年の競技会で最優秀賞を頂いた時のものです。隣のはデザインコンクールの時のもので、他にも幾つか」
「へー! 呪ってるばっかりじゃなくて腕もいいんですね!
お弟子さんとか取れるんじゃないですか?」
「ええ、家をご案内する時にその話も……。
ああ申し遅れました、私、当店の責任者であるアンテロープ・リリエンタールと申します」
「あ、よろしくお願いします。シエル・コルトです」
話を弾ませられないシエルは無難な挨拶をした。
アンテロープ・リリエンタール。それがこの室内でも黒眼鏡を外さない店主の名前であるようだ。リリエンタール家具店に店名を変えた方が、客足はずっと増えそうに思える。
仕入れと販売をしているだけではなく、自ら設計と製作を行う家具職人でもあった事にはシエルも驚かされた。
しかしそう意識して見てみれば、リリエンタールの手には幾層にも重なった胼胝でかなりの厚みができている。作業時間の長さが生み出す勲章だ。上下共にだぶついた服装と厚手の前掛けのせいで細身に感じる体も、よくよく線を追ってみればかっちりと引き締まっている事が分かる。この体格と長身で、怪しさや胡散臭さはともかく怖さや威圧感が滲み出ていないのは、ひとえに声音の甘さと物腰の柔らかさによるものだろう。
年齢は、若く見えるが三十は超えていそうだった。細めの銀髪は一筋の乱れもなく後ろに撫で付けられている。アールヴァランでは競争相手が多いと言っていた。ある程度は身嗜みも整えておかなければ、客も寄り付くまい。この店の場合、先に店名と商品を何とかした方がいいというのは誰しも思う事だとして。
「先程のお話ですと、シエルさんは安めの宿屋を探しておられたとか」
「はい、そうなんです。引っ越しは時間がかかりますし、手っ取り早く節約できるのが宿を替える事だったので」
「なるほど、それで貸家探しの方は後回しに」
納得した顔でリリエンタールが頷いた。
しかしこれだけ日数を取られるなら、どちらが先でもさほど変わらなかったかもしれない。重大すぎるトラブルに巻き込まれたせいもあるとはいえ、ややシエルの見通しが甘かった。
「さて、ではそろそろ行きましょう。グラスはその辺りに置いておいてください。こちらから店の裏手に出られます」
リリエンタールが奥の扉を開けた。
そう、貸家の情報を教えてもらえばそれで済む筈が、そもそも二人は何故店内にいたのか。それは、すぐに入れる安い貸家というのが、この家具店の裏庭から行けるからだった。
「おおー、結構広い」
クアンが声をあげる。
本当に、そこは裏庭という言葉からシエルが想像していたよりもずっと広かった。むしろ家具の陳列場となっている表側の一握りの土地よりも、正しく庭と呼べる。
店の裏手に出ると、まずこれだけでも庶民的な住居なら充分に庭と呼べるスペースがあり、その向こう側に、正面の大きく開けた工房が構えられていた。
さすがに店ほどの奥行きはないようだが、横幅はほぼ変わらない。
工房内には作りかけの各種家具や、シエルには使い道の分からない端材などが確認できる。職人というのは嘘ではなかったらしい。自分には手の届かない技術の持ち主なだけに、素直にシエルは尊敬する。
機嫌が良いのか、クアンの耳がぴこぴこと上下に細かく動いていた。
「立派な工房ですね。んー、細かい木屑の匂いがする!
これはグラスエルフとしてポイント高いですよ」
「家具の修理も受けていますから、商品の売上げと合わせて何とか食べていけています」
「失礼ですがあの店名で依頼が来るんですか? 預けた家具が呪い付与されて返ってきそうな……」
「そこは腕前でカバーですね」
「あ、店名がマイナスになってる自覚はあるんだ……」
そして、工房の隣。店から見てやや離れた右側に、庭木を挟んで確かに住宅らしき建物があった。どれも同じ外観をした、長方形の倉庫のような小ぢんまりとした家が三軒、並んで建てられている。
一階建てな為、通り側からでは頑張ってもせいぜい屋根の上端くらいしか確認できまい。加えて路地と呼べる小道さえ敷かれておらず、これでは貸家があるのに気付く訳がない。建物のどちらか片面だけでも道路に面していれば、まるで資産価値は異なってきた筈だ。
囲まれてますねぇ、とクアンが呟く。シエルも同じ感想だった。
ただし一応は家と呼べる建物が等間隔で三つ並んでいるので、全体として見れば開放感はそれなりにある。
リリエンタールが、周囲の建物をひとつひとつ手で指し示しながら説明を始めた。
「貸家はそちらの、右奥に向かって並んでいる三軒です。どれも今は空いています。当店の工房の裏には料理屋……というより大衆食堂がありまして、その向こうが隣の九番通りとなっています。食堂側から見たら、うちの店の裏には家具屋の工房がある、となるでしょうね」
「ええとつまり……」
空から見た光景を、シエルは想像しようとした。
要は、八番通り、家具屋、裏庭、工房、大衆食堂、九番通りの配置になっているという事である。シエル達が立っているここは、それぞれの通りに面した建物に挟まれた、ちょうど空きスポットの土地なのだ。そこを、この家具屋は裏庭兼工房として利用し、どこぞの土地主は小さな家を建てて貸し出した。
四方を囲まれた土地の利用法といっても、様々な種類がある。
「食堂ですってシエルさん、衣食住がいっぺんに解決するじゃないですか」
「衣は一体どこから……でも、便利ですね」
「食堂を経営しているのは私の叔父です。評判はいいですよ」
ん?と、シエルとクアンが一瞬首を傾げた。
「叔父さんが?」
「はい」
「叔父と甥のお店が、ほとんど隣同士に?」
「はい」
「……あの貸家も実は叔母さんあたりが経営してたりしません?」
「実はそうなのです!」
「ひとつの土地に親族の家具屋と料理屋と貸家が乗っかってるだけですよねこれ!?」
「わー、町の不動産情報に目敏いのと何の関係もない……いけませんよシエルさん、これは嵌められるパターンです」
「身内の物件も含めて不動産情報には違いありませんよ。
それに、家具と家とでは些か畑違いとはいえ、私も職人として商売人として悪いものを勧める気は絶対にありません。この場合の悪いというのは、その商品を欲している人の希望から完全に外れている事です」
呪いの家具の話をしていた時とは打って変わって落ち着いた口調で、リリエンタールは言った。どちらも商品に合わせて彼が身に付けた技術なのだとしても、その佇まいには真摯さが感じられる。
ひとまず、話を最後まで聞くくらいはしてみても良さそうだとシエルは思った。いざとなればクアンが助けてくれるだろうし、職人と商人の誇りを口にした彼の言葉に嘘はないように感じたのである。
「次は中をお見せします。造りは全部同じです」
「お見せしますと言っても、勝手に中には入れないでしょう」
「叔母から預かっているマスターキーがあります。入居の見込める方がいたら積極的に開けていけ、オープン!と常々言い聞かせられておりますので」
「やっぱり結託してますよね?」
「入居希望者をご案内する時か、火災などの非常時以外には決して使用しません。信用してください」
「そこを言いたいんじゃなくてですね」
やはり信用しない方がいいかもしれない。
どうぞとリリエンタールに促され、シエルとクアンは一番手前の家に入る。
中に入ってすぐに広がっていたのは――部屋だった。
ほぼ部屋しかない。
建物の大きさから予想はついていたが、部屋は複数なかった。
大雑把に言ってしまえば、ひとつの部屋に壁と屋根をつけて家と呼んだのがこれだ。
その代わりに、一部屋として見れば結構な広さがある。台所はないが水は使えるし、窓の配置が良いのか室内は明るい。ちまちまと区切るのではなく、思い切って開放する利点をとった設計だといえた。
そして、これは予想していなかった事に、室内に既に家具がある。ベッドやクローゼット、テーブルなど、今からでも住めるくらいに基本的な品は揃っているようだ。
ただ、どこかちぐはぐな印象を受ける。シエルの目から見ても、デザインに統一感がない。
「あれは、工房に修行に来た人達が作っていった家具です」
「あ、さっき言ってたお弟子さん?」
「ええ。遠くからの方には、修行期間中泊まり込むのにここの家を使ってもらっています。給金は安い代わりに寝る場所は格安で確保できるという……まあ寮ですね」
「あのう、まさか弟子入りが貸す条件じゃないですよね?」
「まさか。叔母に頼めばそういう用途にも便宜を図ってもらえるというだけで、普通の貸家ですよ」
昔を懐かしむように口元を綻ばせ、リリエンタールは無骨なデザインのテーブルをこつこつと指で叩いた。
私これ好き、とクアンが添えられてあった椅子に座ってみている。言われてみれば、龍園でシエルも使った椅子に似ていた。
寮代わりといっても室内に荒れたり傷んだりした様子はなく、壁も床も天井も綺麗なものだ。そして家具たちも。
今は全て空き家だとリリエンタールが言ったように、人が入る頻度はそれほど多くなさそうなのを含めても、酒盛りの乱痴気騒ぎで傷付けたりせず、丁寧に使われてきたのが分かる。おかしな匂いもしない。
考えてみれば、家具と家は切っても切れない間柄なのだ。
家具を扱う者は、自然とその入れ物の扱いも洗練されるのか。それともリリエンタールの教育方針がそうなのか。
「卒業作品は、こうしてそのまま残してあります。これらはご自由にお使いください。勿論、全て当店でクリーニング済みです。好みの家具を置きたいから不要というのでしたら、当店で引き取って片付けますので、遠慮なく言って頂ければ」
必要最低限の家具は揃っていて、新しく買う手間が省ける。
シエルが聞くタイミングを掴み損ねていた肝心の家賃を、ここでリリエンタールが教えてくれた。自信をもって勧めただけあり、確かに安い。しかも家具付きで、一部屋だけとはいえこの広さと考えると更にお得に感じる。
ここにある家具を全部取り除いたら倉庫に見えてきそうなのが難点だが、家具はどれも堅実なデザインをしており、日常での使用どころか置いておくのにも困るような奇抜な代物はひとつもない。
次に三人は、家の外を見に行く。
庭と呼べる程のものではないにせよ、隣の家とは密着していない程度に間隔が空けて建てられている。大掛かりな作業は無理でも、花や植木くらいなら余裕をもって置けそうだった。
ぐるっと一周回って、工房の前に戻ってくる。
さて、というように無言で待っているリリエンタールとクアンに挟まれて、シエルは考えた。気持ちは固まりつつある。だがその前に、いくつか聞いておきたい事があった。
「弟子入り志願の方は別として、どうしてこんなに家賃が安いんですか?」
「まずはご覧の通り場所ですね。当店の横を通るか叔父の店の横を通るか、いずれにしても広い道に面していません。日当たりは問題ないのですが、四方が全て建物に囲まれている閉塞感は否定できませんから」
といっても、先程確認したように窮屈すぎはしない。窓の外の景色が悪いのはその通りだが、これよりも建物間の間隔が詰まっていたり、湿気の篭もる安宿など幾らでもある。
「あとは、当店の工房の存在です。
音漏れしないよう建材から選んでおりますし、基本、作業をするのは日のある間だけですが、それでも気になる人は気になってしまうようで、契約の前に騒音の可能性は伝えなければなりません。となるとそれもまた、商品として見た場合に値を下げる理由になります」
「私は好きですけどね、木のトンカントンカン言う音」
「そう言って頂けると助かります。ご心配でしたら、工房から見て一番奥にある家を選べば大丈夫でしょう。他より少しだけ値は上がってしまいますけれど」
「よっぽどじゃなければ僕もそこまで音に神経質ではないです、たぶん」
「節約したいですもんねー」
リリエンタールがあげた欠点は、住み込みで修行をしたい者には何の問題にもなるまい。
遠方から来ている者にすれば安さこそ最重要で、おまけに仕事場から近い。となればその分余る時間を、腕を磨くのにも息抜きにも使えるのだ。寮に向いている筈である。
「食堂からの匂いや騒音はまず気にならないと思います。工房より更に距離が離れていますし、叔父の経営方針が『うちは酒場ではなく飯屋』ですから。
お酒は一人二杯までがあの店の法律です、泥酔した飲み客で迷惑する事はない筈ですよ。それに何といっても美味しい」
「気になりますねー。後で行ってみましょうか? シエルさん」
「そうですね」
「まあ叔父の店でなくても、アールヴァランで食に不自由する事はまず無いでしょう。浴場までは歩かなければいけませんが、湯冷めする程の距離ではありません」
どうやら、これで説明は終わりのようだ。
聞いた全ての利点と欠点を頭において、シエルは改めて費用を計算してみた。日割りにしてみれば現在の宿より安いのは勿論、移動先候補にしていた幾つかの安宿と比較しても最低三割は安くなる。
これなら定住する事で新しく掛かる費用を含めても、充分に元が取れる。
そして何といっても、引っ越しの最終段階に据えていた目標が達成できるのだ。
これ以上探し回らなくて済むというのが、あの時あの宿に決めた理由のそれなりに多くを占めていたのと同じく、この先の手間をまるごと失くせる。
リリエンタールが転生について理解しているのも地味に大きい。おまけに家主とは叔母と甥の関係となれば、転生時には数日間姿を消す事や、転生に成功して戻ってこなくなった時の対応などを前もって相談しておき、後始末を頼める。多少の欠点と引き換えに、頭を悩ませていた面倒がいっぺんに片付くのである。
逸る気持ちを抑えて、シエルは聞いた。
「今すぐに契約っていうのじゃなくて、何日か考えてからでも大丈夫ですか?」
「勿論ですよ。私が叔母と結託して、重大な問題点を隠して売り付けようとしている可能性もありますからね。最低でも数日間は、自分の目で周囲の環境を確認するのが大切です。私でもそうします。一度入居してしまったら、身軽に動ける宿屋と違ってすぐに出るのが少々難しくなるのが貸家の欠点ですから」
「……いやあの、その……」
「大丈夫ですよ、どうかお気になさらずに。
世の中にはそういう悪徳商人がいるのは事実ですし、シエルさんがなさろうとしているのは当然の予防策です。ご希望があればお試しで泊まって頂いても構いません。これもサービスです」
あえて直接触れずにいたところを直に切り込んでこられて、シエルは口籠る。
とはいえこれは直感なのだが、この男はそうした騙すようなやり方はしないという信用がシエルの中で既に固まっていた。何よりもアールヴァランでそんな商売をすれば、競争が激しいだけにたちまち悪評が広まって店が立ち行かなくなる。
契約を先延ばしにしたのが形式的な警戒である証拠として、数日後にはこの家にいる自分の姿をシエルは想像できていた。生活する光景が思い浮かんだ時点で、人はその土地に、家に、自分の魂を置いている。
本当に、今度こそ、やっと、という思いであった。
「よろしければ、仮の予約を入れておくよう叔母に伝えておきましょう。予約金は必要ありませんので、ご心配なく。お世辞にも人気物件ではないから、数日くらいで埋まりはしないでしょうが」
「ありがとうございます」
「とんでもない、当然の事です。
正式に入居が決まったら、お隣としてご挨拶に伺いますよ」
「シエルさんシエルさん、引越し祝いに家具が貰えるかもしれませんよ!」
「そうですね、ひとつだけなら格安でお引き受け致しましょう」
「ひとつだけタ――」
「格安で」
「格安で……」
「はい、格安で!」
何故か、クアンとリリエンタールの戦いが静かに始まっている。
どうして一見の冷やかし客にここまでしてくれるのか。その理由がシエルには分かった気がした。
親族の家を売り込みたい狙いも無論あるのだろうが、単純にこの変人は親切なのである。そして根っからの職人気質と商売人根性がそこに合わさると、良いものには全力でお節介を焼きたくなるという結果を生む。穏やかに振る舞っているように見えて、中身はなかなか熱い男であるらしかった。
過剰な干渉はちょっと困るが、ある程度の親切心はこれから繰り返す行為を考えると歓迎したい要素である。いよいよ本格的に動き始めた第二の転生道を前に、よき隣人を得られそうな事をシエルは喜んだ。
「まだ正式決定ではありませんけど、よろしくお願いします、リリエンタールさん」
「ははは、そうかしこまらずに。私はそんな大層な人間じゃありません。どうぞ気安くリリーとでも呼んでください」
「その渾名はやめませんか」
「その渾名はやめましょう」
見事に声の被ったシエルとクアンに、はい?とリリエンタールが色付き眼鏡の奥の目を瞬かせた。




