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その平凡かつ奇怪な訪問者 - 3

「それにしても」


クアンが運んできてくれた甘い花の茶を啜るうちに少し落ちついてきたのか、はじめは椅子の上でがちがちに固まっていたシエルにも、改めてホール内を見回す余裕が生まれていた。

ヴァイスとクアンがいるのは建物内でも最も広いスペースで、逆を言えばこのホールが神殿のほとんどを占めている。天井も高く、閉じられた空間である割に閉塞感はない。しかし何よりこの空間を開放感あるものとしているのは、まるで昼の野外にいるかのような明るさだろう。採光用の窓や蝋燭程度でこの明るさが保てる筈がなく、まず間違いなく何らかの魔法による効果だと思われた。

おかげで、ホール内は奥まで見通しが良い。ヴァイスのずっと後ろ側の壁には、扉が二つ確認できた。どこででも見かけるような大きさの、木製の扉である。片方にはクアンが茶を取りに行く時に入っていったから、何かしら調理のできる場所に繋がっているのかもしれない。

ざっと目につくのはそれだけだ。広さはあるが、至って簡素なものである。

しかし今のシエルの頭を占めているのは、ホールの構造ではなく、この神殿が建っている場所についてだった。


「意外と町から近いんですね、ここ」


転生を司る古き竜の住まう神殿となれば、険しい山頂や深い森の奥、あるいは極寒の雪原を踏破した者だけが、ようやく辿り着ける選ばれた地にあるような印象を受ける。

そこまで厳しくはなくとも、町を見下ろす山の上に建てられた竜の神殿、などと聞けば、少なからずそれらに類する神秘的なロケーションを思い浮かべる。

実際に見たら、これは山ではなくせいぜい丘である。見下ろすには見下ろしているが、思い切り隣接している。ついでに道まで整備されており、一日に二回、朝と夕方に町から定期便の馬車が寄っていく。

傾斜はあるがきつくはなく、往復すれば程良い運動量が得られる。事実、体を鍛える為に走り込みをする若者や、犬を連れてのんびり歩く老夫婦などは町の日常風景だった。当然ながら、そこに神秘性など欠片もない。

町外れにある規模の大きな博物館とでも言った方が、余程相応しい。

伝わる過程で勝手に話が大きくなっていくのは世の常とはいえ、本物の竜がいるのにそれでいいのかとシエルは思う。


「町から遠いと仕事で通う者達が不便だろう。来る途中に職員とすれ違わなかったか?」

「……言われてみれば、皆さん普通に働いてましたし案内板もありましたね。

封印されし朽ちた神殿みたいなのを想像してたんで、むしろ期待してたんで、無意識に見ないふりしてたのかも……。案内板も、神殿内を進む手掛かりを記した古代文字の石版に頭の中で変換してました」

「それだとここまで辿り着けてないだろお前。私だってわざわざそんな汚い場所に住みたくないよ。

いつでも助けてやれるように、なるべく人間の近くで暮らせというのは神々の意向でもあるからな。私が危害を加えないと分かってからは人も集まってきたし、この龍園も建ててくれた」

「神……」


ヴァイスが何気なく口にした単語に、シエルの注意が向く。

神と竜の力関係には、はっきりしない点が多い。

一般に、竜は神々のしもべだと考えられている。神の言葉を告げる為に竜が降臨した、神に助けを求めたら竜が現れた、という伝説や、実際の記録が各地に見られるからだ。

しかし、そんな伝説や記録の中には神と竜が争うものもある。各地の遺跡から壁画が見付かっている為、近年になって付け足された物語という訳でもない。

果たして、どちらが正解なのか。

気になって聞いてしまったシエルに、ヴァイスは親切に教えてくれた。


「部下寄りの同業者かな。ほとんどの場合において神の力は竜より上だが、無条件で従属している訳でもないよ」


そう言われても、やはり曖昧さは抜け切らない上に、スケールが大きすぎて掴めない。

シエルは話を戻した。


「ヴァイス様は嫌じゃないんですか?

ほら、人里近くだと空気が汚されてるとか、喧騒が耳障りだとか……」

「野の獣ならともかく、知性を持ちながら交流の途絶えた山篭りなど拷問だぞ。賑やかなくらいでいい。風も昔よりは煙臭くなったが、もう慣れた。神と並べて語られる竜が、何が悲しくて公害に怯えて逃げねばならんのだ。

極端な例え、この瞬間に地下から猛毒が溢れ出して町一帯を飲み込んだとしても私は死なないぞ」

「町の人達の一部との間に、密かに軋轢が生じてるなんて事は……。

今はおとなしいけどいつか襲ってくるに違いない、みたいに討伐を企む一団がいたり」

「そうならないよう、日頃から交流には気を配っている。龍園内の見学は自由で、しかも無料だ。龍園の維持費は私がやった仕事と一緒に全て公開されていて、誰でも閲覧できる。

年二回の町祭りの日にはここの庭にも出店が立ち並び、子供達や家族連れで大盛況だ。この時だけの龍園限定商品が販売できるからな、出店権はそれなりの争奪戦になっているようだぞ。いい事だ、経済競争は人々を活性化させる」

「じゃ、じゃあ、神殿から出られない事に不満抱えてたりは?

これじゃ実質封印されてるようなもんですよね? ヴァイス様が出入りできそうな通路なんて見当たりませんし」

「出られるよ」

「ど、どうやって? その体じゃ扉も階段も無理だし、まさか壊して?」

「壊さない壊さない。出たい時だけ人間にでも猫にでも鳥にでも姿を変えれば済む話だ」


いちいち住民との仲を悪化させようとするシエルに、ヴァイスは怒りもせずひとつひとつ律儀に答えてくれる。

自らの能力を事もなげに語る姿を見て、シエルは改めて、自分が神に近い存在の前に立っているのを自覚した。

偉大であるが恐ろしい。しかし、転生への期待がこれで強まったのも事実だった。

竜の力の高さは、それだけ転生の噂が嘘ではないという安心材料となる。


「ところでヴァイス様、そろそろ……」

「そうだな、では本題に移ろうか。お前が希望している転生だが……」

「――はっ、はい! その通りです! 希望しています!」

「そう緊張するな。いくつか話す必要はあるが、受け答えの内容で却下する訳ではないから。私の意見を言わせてもらうなら、転生なんてやめて今の人生を頑張れ、となるんだがな」

「いやーヴァイス様、死ぬって分かって来てるんだから何の話をしようと緊張はすると思いますよー」

「それもそうだな」


いやに呑気な会話をクアンとヴァイスがしている。

シエルの緊張が解けた訳ではなかったが、上がった肩を僅かに下ろす事はできた。

転生はやめろとヴァイスは言うが、勿論ここまで来たシエルにそのつもりはない。


「動機は……世界を救うような大活躍をして伝説の勇者になりたい、だったか」

「はい、そうです! こう、魔物に襲われてる村を助けたり、勇者にしか扱えないという大魔法を放ったり。『ケッ、どこから来たかも言えねぇ怪しい余所者なんざ信用できるかよ!』と突っかかってきたライバルの前で、額の紋章が強く輝き出し『そ、その光は……!?』となったり、あとは旅の過程で増えていく仲間の女の子達と」

「……そうか……」


ヴァイスはそれだけ言った。他に何が言えただろう。


「……さて転生の手順だが、前提としてお前は死なねばならん。自分で言っていたくらいだから、ここまでは分かっているね?」

「は……はい、分かってます。転生っていうくらいですから、それはもう死にます」

「転生すると、現在の記憶を持ったまま過去の時代に生まれ変わる。知識も技術もそのままだ。また転生した先によっては、新たな能力を得る場合もある。例として種族固有の身体機能などだな」

「よっし! これで勝ったも同然!

僕、この日に備えて昔の大きな戦争でどっちがどう勝ったかを頑張って暗記してきたんですよ! あ、もちろん神話もたくさん読み込んできました! 僕にいつどんな役割が振られてもいいように!」

「勝ったも同然かなあ、それ……」

「まあ、意気込みがあるのは結構だよ。志は高いに越した事はない」

「高いかなあ、志……」


いちいち尤もな呟きを漏らすクアンと、高揚感に拳を握り締め瞳を輝かせているシエルを交互に見て、ヴァイスは話を続ける。


「ひとつだけ、お前が転生する前に教えられない事がある」

「え、なんです。教えてくださいよ。気になるじゃないですか」

「言えないし、言っても意味がないんだ。むしろ、言わない方がお前の利益になる。転生してみれば分かるよ。分からないかもしれないが。転生が嘘な訳ではないから、そこは安心してくれ」

「……ふわっとしすぎててますます気になるんですけど……教えられないなら隠しててくれればいいのに」

「言えない事があるのだけは伝えておかないと、嘘になってしまうからね。詳細を伏せておくのと、存在ごと隠蔽するのとでは違う」


ヴァイスの口調は柔らかいが、纏う気配には硬さがある。

どうやら、この件に関してはこれ以上追求しても無駄らしいとシエルは悟った。不信感を抱かせたくないなら黙っていればいいのだから、これはヴァイスなりの誠意なのだろう。

転生自体に嘘はない、お前にとっての利益になるという言葉を信じるしかない。


「では、次はお前について教えておくれ。知らなくても転生に支障はないが、あまり作業的であるのもな。

名前と出身と年齢と動機、はもう聞いたか……そうだ、ラジールでは何をしていたんだ?」

「ええと、最近は家の掃除をしたり、本を読んだり、あと公園に行ってみたり」

「それって無職……」

「……まあ、生まれ変わって勇者になりたいと真顔で言い出すくらいだからな。

ああ、やたら私を人間と敵対させたがっていたのもその嗜好のせいか」

「ええ、竜退治は物語の華なので!」

「勝手に殺すな」

「シエルさん、ご家族は? 転生するって死ぬ事なんですよ?

黙っていなくなっちゃったら大騒ぎになりません? まさか今から転生しに行きますなんて書き置き残せないし」

「その点は大丈夫です!

両親は僕が小さい頃に強盗に襲われて殺されましたし、祖母もそれから暫くして亡くなり、本人達曰く不運にも隣の区に住んでたせいで嫌々僕を引き取る羽目になった叔父さん夫婦の家には居場所がなく、働けるようになったら即刻追い出されて、返してもらった遺産は僕の生活費だとかでほとんど消えてて、なんとか仕事は見付けたんですけど激務だとか薄給だとかより、まともに人付き合いをしてこれなかったせいで、同僚と今更どう交流していいのか分からないのがキツかったですね。そんな事が続いて結局」

「ごめんなさい思ってたより事態がずっと深刻でした。ほんとごめんなさい」


青くなった顔で謝るクアンに、シエルが却って申し訳なさそうに言った。


「気にしないでください。

自分の境遇について話す事くらい、たまに同僚達から酒場に誘われてもついていける話題が全然なくて、いつの間にか自然に固まったグループに一人挟まれたまま時間が経過していくのに比べたら大した辛さじゃありませんから」

「ごめんなさいってば」

「お前に必要なのは転生ではなく転職に思えてならんぞ私は。

しかしこうして話していても、そこまで会話ができないようには感じないのだが」

「うーん……僕もこのままじゃいけないと思って、自分を変えようセミナーに出てなんとか話せるようにはなりましたけど、とりあえず口が回るようになっただけで頭の中はずっと上擦りっぱなしなんですよね白状すると」

「なんかすまん」


今度はヴァイスが詫びた。

ひとまず、シエルが急に失踪しても騒ぎになる心配はないようだ。それが良い事なのか悲しい事なのかはともかく。


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