↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/87

死の神ミルト - 12

宿や酒場が、こうした地下室を備えている事はそこまで珍しくない。温度や湿度を安定させてしまえば地下は貯蔵庫として極めて有用で、かつ限られた敷地を有効利用できる。

しかし、これは違った。扉を開けて、階段を下りるか下りないかという段階でもう違和感がある。地面の下に溜まった静かな空気に、明らかに異質な匂いが混ざっていた。

地上のものより急な階段を、クアンは慎重に下りていった。

真っ暗な空間に踏み込むにつれて、自然とクアンの虹彩が形状を変えていく。人間と共通する姿の中で、そこだけがヴァイスの眼に良く似ていた。

最も高度な暗視能力を持つエルフはダークエルフだと言われているが、グラスエルフのそれも人とは比較にならず優れている。生まれつき持つこの能力によって、エルフは月のない夜だからといって活動に困る事はなく、ほぼ昼と同じように動き回れる。

だがこの場合、見えている事は果たして良かったのか悪かったのか。

魔法による光源を作る前に、クアンの目は全てを見てしまっていた。

がらんとした地下室にあったのは、芳醇な液体を湛えた酒樽でも積み上げられた穀物袋でもなく、壁沿いに並んだ幾つかの棚と、大きめの箱。そして、中央に設置された長方形の作業台。

台の基礎は木製で、その上に薄い石の板が敷かれている。石は良く磨かれており、表面が鏡のようにつるりとしていた。

そうでなくては、大量の血液が染み込んでしまってすぐに使い物にならなくなる。


思い切り眉を顰めたまま、クアンは作業台まで歩いていった。

台の上にある幾つかのまとまった山の中から、見覚えのある指がはみ出していた。

すっかり血の気を失い硬直したそれに、そっとクアンが手を伸ばす。


「この爪の形は……シエルさん……。こんな変わり果てた無残な姿に……いえ、いつもよりだいぶ原型が残ってるマシな姿ですけど……。あれ……ひょっとして龍園の方がよっぽどひどい事してるんじゃ……?」


価値観に混乱を覚えながら、シエルだったものに触れようとしていた指を慌てて引っ込める。

放置された死体に特有の臭気を、接近したせいで真下から浴びたせいだ。

しかも死体は、滅多切りといっていいくらいに分解されているのである。


「くっさ! 生臭い! 腐り始めてる!

もー、なんなんですかここ最悪! 服も髪も死臭が染み付いちゃう……」


盛大に文句を言いながら、クアンは一旦作業台から離れて室内を見回した。

四隅に薪のように積まれているのは、ロベラウッドの香木だ。香木といってもそれ自体に強い芳香はなく、逆に匂いを吸収する特性で知られている。

よくよく見れば、惨憺たる有様の作業台に対して、周囲の床は全くといっていい程汚れていない。その作業台にしても、内臓はともかく流れ落ちそうな血液はあらかた拭き取られていた。

果たしてこれを綺麗好きと呼んでいいのか、クアンは悩む。


次に目に付いたのは、壁沿いの棚だった。

ここでようやくクアンは明かりの事を思い出し、掌を上に向けると一言呟く。

掌から赤みがかった光球が飛び立ち、熱を持たないそれが棚の上に留まった。

地下室に灯った明かりが、棚の全貌を映し出す。

棚はラックのような数段構成になっており、各段がそれぞれ一定間隔で横に仕切られている。同じ大きさの木枠を、並べて置いてあるのだ。この棚自体が宿の客室のような、鳥小屋のような、あるいは集合住宅のような印象をクアンは受けた。

各部屋の中身も、ほとんど変わらない。几帳面にたたまれた衣服の上に、一冊ずつ帳面が置かれている。

クアンは適当な一冊を抜き取って、ぱらぱらと捲った。

予想に反して、文字が書かれているのは最初のページだけだった。

が、それを見ただけでも、このような形で収納がされていた意図は理解できすぎるくらいに理解できる。


「これって、泊まる時に書くやつ……うわー最低な趣味!」


それは、死体の名簿だった。

宿屋に泊まる際に、客が名前などを記入する帳面。棚の各部屋に差し込まれていたのは、全てそれだった。となれば一緒にしまわれている服の持ち主は誰なのかなど、考えるまでもない。きっと仕切りのどこかに、シエルの「部屋」もあるのだろう。

地下室の様子からして、犠牲者がシエルだけでないのは最初から明らかだったが、まさか几帳面に服を保管しているとは。

しかも犠牲者自身に記帳させた名簿を、墓標として添えて。

コレクションの対象は人それぞれといえど、これはその中でも飛び切り最悪の部類に含まれる。


室内に、他の死体は見当たらなかった。

おそらく、シエルの死体も一日か二日中には完全に処分するつもりだった筈である。

というのも、仕切りの数からして相当数が殺されている割には、非常に部屋の掃除が行き届いているからだ。死体が無い状態なら、相当敏感な人間でない限り、室内に入っても臭気に気付かない可能性もある。

それが、この地下室の正常な状態なのだろう。

それはそうだ。周囲に住宅が密集しているのだから、管理に下手を打てば匂いですぐに勘付かれる。犯人の元々の性格もあるのかもしれないが、清掃に敏感になる事は、安全に趣味を遂行する為に必要不可欠だったのだろう。

この人達も記帳している時にはまさか遺品の名札に使われるとは思っていなかっただろうなと、棚を眺めてクアンは思った。

自分の名前以外真っ白なページを見て、本当に流行っていない宿なんだなと笑っていた客。それを見て、接客用の愛想笑いの下で本物の笑顔を浮かべていた主人。

光景が目に浮かぶようだ。


考えているうちにうんざりしてきて、クアンは帳面を元の場所に戻した。

棚の横には蓋のされた大きな箱もあったが、開けてみる気にもなれない。ピカピカに光る手入れの行き届いた作業道具のような、ろくでもない物が出てくるのは明白だからである。

さっさと仕事を済ませてここを出ようとクアンは思い、そこではたと問題に行き当たった。

シエルを見付けたのはいいものの、この有様だと掻き集めても全身揃わない可能性が高い。

所々足りなくても、ミルトは一人分の死体だと認めてくれるのだろうか。

それ以前にまず、ここからどうやって龍園までバラバラ死体を持ち帰ればいいのか。死体探しに向かいはしたものの、まさか細切れにされているとは予想していなかったので、回収用の袋など持参していない。


「となると一旦龍園に引き返して、いつもの袋を持ってきて……匂い消しも要るかな……」


クアンは具体的な方法の検討に移る。

今はそんな事より最優先で考えて行動しなければならない事があったのを思い出したのは、暗い室内に、唐突にほんわかした声が響いた時だった。


「人の家に不法侵入するなら、お喋りは厳禁だと思うんですけど~」


話しかけられるまで、足音は無かった。

クアンは黙って振り向いた。階段を下りた位置に、温和そうな笑顔の女性が佇んでいる。

動きやすく纏められた髪。染みひとつない無地の白エプロン。おっとりというより、意識しているかのように間延びした口調。右手にぶら下げた曲刀さえなければ、宿屋を切り盛りする若女将の肩書きに疑問を感じる者はいない。

幅広の刀身が、女性の位置からちょうど向かい側にある光源を反射して、夕焼けのように光っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。