その平凡かつ奇怪な訪問者 - 2
「だめですよーヴァイス様、そんな。もっと愛想よく、口数多めで答えてあげないと。ほら、完全に怖がっちゃってるじゃないですか」
「そりゃ普通に挨拶してきたならそうするが、出会い頭に一人で演劇始める相手にどうしろというんだ。いくら私でも反応の仕方に悩むぞ」
唐突に聞こえた緊張感のない声が、ヴァイスの対応をやんわり咎めた。
ぎょっとした青年が声のした方を向いた時には、もう、声の主は席を立ってひょこひょこと歩いてきている。
女性だった。背が高く、それに合わせた丈の長い、薄い緑色に染めた衣服が目につく。
「転生希望者ですかー。
ここ最近は減ってきてましたもんね。これは久々の転生者出ちゃうかなー?」
「……えーと、あの……」
「はい? なんでしょう」
「あなたは……?」
初めて存在に気が付いたように言ってくる青年に、ずっとそこにいたじゃないですか、と女性が形の良い眉を下げた。
困り顔をされて、青年は慌てて女性が歩いてきた方を見る。別に探す必要もなく、顔をやや横に向けるだけで済んだ。
言われてみれば確かに、座る竜の手前、やや離れた右横に、場違いな机と椅子が置かれている。
女性が困惑するのも無理はなかった、この位置で今まで気付かない方がおかしい。
竜を見れば、自動的に女性のいる机も見えるくらいの近さである。というか、ホールに入った時点で嫌でも目に入る。
どうやら極度の緊張のあまり、そして場違いすぎるあまり、無意識に青年の視界から追い出されていたらしい。普通、竜のすぐ近くに机と椅子を置いて座っている人はいないからである。「見物料」の看板がないのが救いだった。
青年は気まずいまま視線を女性に戻し、ここで初めて女性の耳が大きく尖っている事に気付いた。この種族の目立つ特徴なのだが、竜を見た衝撃の前にすっかり霞んでいたのだ。
エルフだ、と青年は内心で呟く。濃いオレンジ色の瞳とエルフの中で唯一の褐色の髪は、グラスエルフ特有のものである。
エルフにも幾つかの亜種が存在し、グラスエルフは町中でも見掛ける、最も人間と距離が近いエルフとして知られていた。かつての草原の覇者は、今ではほぼ人と区別なく扱われている。完全に町に順化してしまっている所も多い。
個体差こそあれ、エルフという種族が持つ優れた魔法の力は、いまや人々の生活を支える大切な基盤となっている。特に季節を問わず氷が自由に手に入るようになった事は、流通や保存面で大きな役割を果たした。
「龍園付きのエルフ、クアンです。よろしくお願いします」
「は、はい、よろしくお願いします……じゃなくて、どうしてエルフがここに?
ここは白竜ヴァイス様の居室なんじゃ」
「だって、部屋に入ってこんな大きなドラゴンだけがでーんと座ってたら怖くて話しかけられない人もいるでしょ? その点、近くに人間なりエルフなりがいればちょっと安心できません? あっ大丈夫そう、って。
ここが私の勤務場所なんです。一日座ってるだけだと暇だから他にもいろいろやってますけど、お仕事ですよお仕事」
クアンの顔に浮かんだ愛想の良い笑みに、思わず青年は見惚れそうになる。人間と共通した容姿と美醜感覚はエルフの特徴であり、長年の選択交配の結果か整った顔立ちの者が多い。際立って美しいが造り物めいたある種の怖さを伴うハイエルフとは異なり、グラスエルフのそれは親しみやすい美だった。
クアンに目を奪われていた青年の耳には、パズルとかな、と呟いたヴァイスの声は耳に入らなかった。どうも、見た目ほど頭の固い竜ではないらしい。
「いきなりヴァイス様に向かって叫ぶなんて、度胸ありますね。
すぐ近くにエルフが机構えて座ってるんだから、竜よりまずそっちに話しかけません? 普通は」
「す、すみません、緊張しすぎててここまで一気に突っ切ってきたので、ヴァイス様しか目に入らなくなってしまってて。それっぽい言葉を用意しとかないと相手にしてもらえないかとも思ってましたし、緊張に負けずにまずは勢いだ!と」
「ないですよぉ、そんな決まり。おおっぴらに公表はしてなくても、転生は一応ここで公的に引き受けてる仕事ですもん」
巨大な竜だけが鎮座していたら、いくら事前に覚悟していても帰ってしまう者が出てくる。クアンの話は、理屈としては納得のいくものだった。
立ちっぱなしでいた青年に、クアンが来客用にあらかじめ用意してある椅子を持ってきてくれた。礼を言って青年は座る。エルフが好む木製の椅子には背や腰に合わせて丸みや窪みが付けられており、固いが座り心地は良い。
座って正面を向くと、ちょうど、ヴァイスとクアンに対して向き合う位置関係になる。仕事上がりの食堂にでもいるかのような力の抜けた雰囲気のクアンはともかく、そこにいるだけのヴァイスの威圧感が凄い。
自然、青年の膝と肩はぐっと引き締まり、背筋は伸びる。座っているのに首が痛くなりそうだった。
再び自分の机に戻ったクアンが、指を絡ませながら気軽な調子で青年に尋ねる。
「えっとー、転生ご希望?」
「はいっ」
「お名前は? あ、どちらから来ました?」
「シエル・コルト。ラジールからです」
「ラジール……ラジール……ああ、お芋とお魚のピリッと焼き各種で有名なラジール! ね、お土産とか持ってきてません? 最近は日持ちするように作ったのがあるって聞きましたよ!」
「す、すみません気が利かなくて! お土産はないんです……」
「こら、せびるんじゃない。別に土産物の有無で心象は変わらん、お前も気にしなくていいからな」
「はーい」
「すみません本当に……」
恐縮するシエルをもう一度宥めてから、今度はヴァイスが聞いた。
「年齢は」
「19です」
「若いな。その年齢で現世を捨てて生まれ変わりを望むからには、余程の強い決意があると見たが……」
「はい! 僕、転生して冒険して大活躍して熱い友情を築いて女の子達からモテて世界を救って伝説に残る勇者になりたいんです!」
すげえのが来た。
威厳ある白竜もお気楽な草原エルフも、この瞬間ばかりは揃って全く同じ感想を抱いていた。