死の神ミルト - 4
その日の昼を過ぎた頃になって、クアンは朝からかかり切りだった書類からようやく顔を上げる事ができた。
日々パズルで遊んでばかりいる彼女にも、こうしてたまには仕事が舞い込む。
今日の仕事というのは、明後日に迫ったアールヴァランの学生達による龍園見学の対応プラン作りであった。
学生といっても子供の集団で、引率の教師もつく要は学校行事の一環である。
龍園は娯楽施設ではなく、ただ見て回るだけでは子供にとって退屈な時間になってしまう。龍園に良い印象を持って帰ってもらおうと、クアンは張り切っていた。
集団見学の場合、内容は毎回変えており、最後を飾るヴァイスの歴史再現魔法ショーが今回の目玉である。
町民には親切に、が龍園の方針だ。あんな施設いらないと思う者が増えて、町との関係にひびが入るのは誰も望んでいない。
待ちかねたように、クアンがヴァイスの方を振り返る。
「ヴァイス様、そろそろお昼休憩にしていいですか?」
「いいよ」
昼の鐘が鳴った頃から頻りにクアンが窓の外を気にしていたのを見ていた為、ヴァイスは苦笑しつつ承諾した。
クアンは大きく上に伸びをして、すっかり固まってしまった体をほぐす。
「なーにをたーべようかなー。
黒パンと豚のハーブパテがまだ残ってるし、買い溜めておいた乾燥海鮮お粥もそろそろ消費しなくちゃだし。町まで食べに行ってもいいけど、天気がいいから混んでそうなんですよね」
「いつもいつも買ってきたものばかりだな。たまには作ってきたらどうだ?」
「せっかくおいしくて手軽で手頃なお店が競い合ってるアールヴァランなのに?
ここは買って済ませるのが地元経済への貢献ですよ!」
「食材を買っても地元経済への貢献は出来ると思うんだがね……」
とはいえクアンの主張も正解ではあるので、ヴァイスもそれ以上追求はしない。
年間通して活気のあるアールヴァランでは昼夜を問わず働く者が多く、特にこれから仕事という忙しい朝に、いちいち食事など作っていられないという家も多い。それよりも、朝から開いている店や屋台で買って食べた方がずっと早いし、おまけに安い。
この為、付近の町と比べると外で食事をする習慣が強いのもアールヴァランの特徴だった。貸家となると、ある程度広い所でも申し訳程度の台所しかついていない物件も珍しくない。作るよりは働いて稼いで、さっと買って食おうという訳だ。これはこれで一理あるが、自炊好きの人間には厳しい町である。
少し悩んで、クアンは傷む前にパンとパテを片付けてしまう事に決めた。パテと一緒に保存しておいた昨日の残りの野菜スープもあるから、それで立派な一食になる。朝から真面目に働いていたので、疲れて町まで出向きたくなかったというのも大きい。
しかし、机の上を大雑把に片付けたクアンが休憩室に引っ込もうとするより早く、思わぬ来客がホールの入口に現れる。
それはまさに、現れた、と表現するのが相応しかった。龍園の入口で受付を済ませてここまで歩いて来たというよりも、今の今まで何も無かった場所に忽然とその姿を浮かび上がらせたのである。
足音もなく、気配もなく。
まるで、空間そのものを飛び越えてきたかのように。
「いよ! 元気そうじゃなお前ら!」
気安く片手を上げて今度こそ歩いてきたのは、妙な口調の妙に偉そうな子供だった。10歳くらいの外見の、細身の女の子である。態度はともかく、まだ幼さの残る声は年相応のものだ。深い海のような群青色の髪を肩の上で切り揃え、フリルの付いた水色のリボンを頭の後ろに留めている。服は白のブラウスに黒のスカートと至ってシンプルだが、それが却ってこの子供の並外れた容姿を一層際立たせていた。
見学に訪れた良家の子女……というには何かが不自然である。
龍園は基本的に出入り自由なものの、小さな子供が一人で遊びに来ても楽しい場所ではない。博物館と違って展示品もなく、施設の性質としては役場に近い。だからこそクアンもわざわざ見学プランを練っていたのだ。
また、まっすぐにヴァイスとクアンに向けたライトパープルの瞳にも、まるで恐れや気後れというものがない。いくら傍若無人な子供といえど、自分より遥かに巨大な猛獣を前にすれば普通は泣き出すというのに。
表情に乏しい竜の眼が、今にも見開こうとするかのように揺れた。
だがヴァイスがその名を口にするより早く、クアンが歓声めいた派手な声をあげる。
「ミルトおばちゃん! お久しぶりです、今日はどうしたんですか珍しい」
「開口一番誰がおばちゃんか有害エルフ!
……まぁ、お前から見ればおばちゃん以上なのは否定できん事実じゃが!
だったらお前だって人間の若者から見りゃクアンおばちゃん以上じゃろうが! クアンおばちゃん!」
「あーっ! そういう事言っちゃいます!?
その理論だと人間の子供だってネズミの若者から見たらおばちゃん以上ですよ!
人間が10歳になるまでに4回は人生ならぬネズミ生終えられますよ!」
「なにおう!? それを言うなら毛が生えそろったばかりのネズミだって……」
「……どちらもその辺にしておいてくれ、頼む。これ以上続くと翼を広げて我らの国に帰りたくなってくる」
ホール内の品性と知性の急激な低下に危機感を覚えたヴァイスが介入する。
といっても別段どちらも本気で怒っていた訳ではないので、注意されるとあっさり矛を収めた。子供の方はそれでもしつこく、命拾いしたのぉ、と胸を反らして捨て台詞を吐く事で勝者になろうとしていたが。
幼い容姿。負けず嫌いな大人気なさ。おばちゃんなどという呼称から最も遠い、どこをどう見ても子供そのものの在り方。
少女の名はミルト。その本質において死を管理する、真なる神の一柱。
泣いても笑っても冗談だろうと絶望しても、これが現実である。
「ミルト」
ヴァイスの声は親しげだった。眼差しも、古くからの知己に向けるそれになっている。クアンと並べても小さいというのに、ヴァイスの前まで来ると本当に摘んでしまえそうなくらいに感じる。
見下ろしてくる竜に、ミルトもまた気安さを崩さず笑いかけた。主と配下という印象は受けない。
「急ぎの用事かな? こんな所で油を売っていられる程、暇な身でもないだろう」
「その仕事に一息ついたから来た!
やっと、やあっと空いた時間! 奇跡の空白の時間! 苦労してこじ開けた隙間! 待ちに待った休暇なのじゃあ!
白竜、妾の椅子! あとテーブル!」
「それはそれは、お疲れ」
言葉ひとつで、ヴァイスが希望通りの品を出現させる。
黒壇そっくりの質感をしており、根のように捻れた脚が一本付いている、独特の形状をした椅子とテーブルだった。
子供の背丈にはやや高めの椅子に、おいしょ、とミルトが飛び乗って座る。以前に座りやすいよう低くして雰囲気が壊れると怒られた為、ヴァイスはあえて大人サイズを出すようにしていた。
「私、お茶を淹れてきますね」
「茶よりコーヒーにしてくれんかの、苦みばしった。
時には嵐の如く苛烈に、また時には深みの……深みの……ええとなんか妾のように……苦みばしった!」
「私が好きじゃないからコーヒー切らしてるんですよ。水かお湯でいいですか?」
「茶でいい」
本人なりに食通ぶって決めてみたそばから出鼻を挫かれ、ミルトは投げやりに応じた。
クアンの雑な対応に怒り出す様子は見られない。器は大きいようである。
テーブル上の空間が一瞬揺らぐと、水を満たした陶製の器が出現した。これもまたヴァイスの力によるものだ。澄んだ水からは、甘い花の香りが漂っている。ミルトが心得たように指先を洗うと、陶器は跡形もなく消えた。
手に付いた水をクアンに向かってピッピッと飛ばしているミルトに、ヴァイスが言う。
「わざわざ訪ねてこなくても、お仲間の神に相手をしてもらえばよかろうに」
「それがのー、妾ってば何故かひどく警戒されてて、今じゃだぁれも相手してくれんのじゃよ……妾かわいそう……」
「そりゃ姉妹同然だった神様達を殺して権能奪ったりするような人に誰も近付きたくありませんよ。明日は我が身ですもん」
「お前にだけはそういう事言われたくないぞ有害エルフ。姿こそ失ったが、あやつらは今も妾の中で生きておるのじゃ……」
「ある意味で言葉通りにな。そうやって欲張るからまともに休みも取れなくなるんだぞ」
「うっさいわい。お前もなに笑っとるんじゃ、はよお茶! はよ!」
ミルトはしっしっと手を振って、やかましくクアンを追い立てる。
しかしクアンが休憩室に入ってしまうと、急に静かになった。
待つだけになった途端、背凭れに体を預けて上を向いたまま、ぴくりとも動かなくなる。閉じた瞳は、まるで眠っているかのようだ。好き放題に振る舞ってはいても、心底疲れているというのは本当らしい。
ヴァイスもそれを知っていたので、声をかけなかった。
自業自得とはいえ、ミルトが己の背負った役目を忠実に勤め上げているのは事実なのである。
必要があれば、向こうから話しかけてくる。ヴァイスは首を緩く曲げた彫像のような姿勢で、黙ってその時を待った。




