死の神ミルト - 1
港町アールヴァラン。
王都プレマリウスより遥か東に位置するこの町は、沖合いを行く潮流の恵みを得て、古くから豊かな漁港として栄えた。
朝晩問わず威勢の良い男達で活気付いていた町の様相が一変したのは、この町が中継地点として注目され始めてからだ。結果、さほど大きな町ではなかったアールヴァランは、急激な早さで規模を数倍へ広げた。港と港を結ぶ補給港として、この町はまさしくうってつけだったのである。
港は拡張され、漁港としての機能はそのままに、交易船を受け入れられるよう国の援助を受けての工事が行われた。
人の出入りが激しくなれば、自然、それを目当てとした店も栄える。
となれば、次はその店を目当てに、全く新しい人間が外から訪れる。
理想と呼べる経済の循環だった。陸路の要所という訳でもない地方の町にしては、法外の幸運だったといえる。
しかし、この町をこの町たらしめているのは、何といっても町外れの丘に建てられた神殿、通称龍園であった。
町を見下ろす白い石造りの神殿は、王都の大博物館と比較しても遜色がない程に洗練されている。だが、この中には町の歴史を示す品が展示されている訳ではない。この町の人間が、特に信仰厚い訳でもない。
白き神殿が囲うは、過ぎ去った日々の異物にあらず、人々が縋る虚構の偶像にあらず。
正真正銘の、生きている竜である。
夢。
いつしか抱いていた夢。
世界を救う勇者となる夢。今の時代では物語でしか紡げない、血湧き肉躍る大冒険大活劇。
それは、叶った。叶ったけれど叶ってなかった。
夢叶いそして敗れた青年は泣き、泣きながら労いの茶をがぶ飲みし、その勢いで町に繰り出して慣れない酒を喰らい、案の定ぶっ倒れて泥のように眠った。
人間、時にはそういう日も必要である。
11度目の転生も空振りなような空振りでないような結果に終わった、その日。
懲りないシエルもさすがに翌日までは宿に引きこもって落ち込んでいたが、翌々日にはもう龍園を訪れていた。
二日酔いからも回復した力強い足取りで床を踏む彼を見れば、12回目の転生に臨む為かと誰しもが思う。
事実、出迎えたヴァイスは思った。三試合目のボードゲームに興じていたクアンも思った。
シエル一人だけが、またしても軽々と予想を飛び越えていく。
「僕、アールヴァランに引っ越してこようと思うんです!」
晴れ晴れとした表情でそう告げたシエルに、ヴァイスとクアンは無言で顔を見合わせた。
一瞬、遂に彼が転生を諦め、この町で再出発して生きていくつもりになったのかと考え、そして「いや、そんな筈はないな」と、その考えが間違いである事を互いの目を見て確認したのである。
シエルが容易く……というには修羅場を超えすぎているものの、転生を諦める結末は、既に想像し難くなっていた。
となればこの引っ越しも、当然、転生を前提としているのに違いない。
薄々理由に見当が付きながら、どういうつもりだとヴァイスは聞いた。
「狙った転生をするのが一筋縄でいかないのは身に沁みて分かりました。それはこの際いいとして……」
「いいのか」
「いいんですか」
「よくないです。よくないですけど、人生どうしようもない事って多いので……」
「ごめんなさい今だと物凄い説得力がある台詞を言わせちゃって。続けてください」
「はい、それで、新しい転生のたびにラジールからアールヴァランまで来るの、結構負担だったんですよ。時間的にも費用的にも、これもったいないなぁ、って。
まんぞく保証で復活させてもらえる場所って、どうも現在住んでいる所になるみたいですから、それならいっそ、じっくり腰を据えて転生チャレンジする為に引っ越してしまおうかなって思ったんです。こうなれば拠点を変えての長期戦ですよ!」
「現状を正しく認識した、前向きかつ建設的な姿勢だ。目指す地点が間違っているのがつくづく残念でならないよ」
処置なしとばかりに、ヴァイスが静かに嘆く。
ラジールからアールヴァランまではそれなりに距離があり、馬車を利用したとしても日数がかかる。
それでも10回目までは繰り返し来訪し続ける気力を保てていたが、11回目の転生の顛末が、シエルの方針に変化をもたらす契機になっていた。
ようやく巡り会えた完璧な人生がああなった以上、次があるとしても長期戦は必至。加えて、彼の生活は決して裕福なものとはいえない。
ならば少しでも費用と時間を節約して、浮いた分沢山の転生をする。
その為に引っ越しは避けられない道だったのである。
「それで、クアンさんに相談があるんです。
クアンさんは町に住んで、龍園まで働きに来てるんでしたよね」
「ええ、そうですよ……って、だ、ダメですよ同居なんて!
私が借りてる家だってそんなに広くないんですから、余分に貸せるお部屋なんかありません!」
「いきなり要求しませんよそんな事! ヴァイス様もなんですかその目は!
そうじゃなくって、手頃な宿泊先が……できれば宿屋よりも家があったら教えてほしいんです。今僕が泊まってる宿の値段だと、このまま長期滞在するには厳しそうで」
「あ、ああ良かったぁ……青少年の行き場を塞がれた欲求がとうとう大暴走したのかと……」
「青少年というが、転生先で何度も結婚しているし子供もいるのだがな、シエルは」
「いるというか、いたというか……」
複雑な気持ちでシエルが相槌を打つ。
11回の人生で半分以上は結婚していた。中には複数回した事もあった。
しかし、戻ってきた際に魂は別の人間のものと入れ替わってしまっているので、彼に実感は一切ない。
残っているのは、結婚した知人を横で見ているような感覚だけだ。
気を取り直したクアンが、若干気まずそうな咳払いを挟んで聞く。
「宿じゃなくて家をご希望なんですか?」
「短期間なら宿泊まりで良くても、長期だとちゃんとした家の方が安くなってくる計算なんですよ。もちろん、費用が逆転する前に望み通りの転生ができるのが理想ですけど……。あ、それとできれば貸家でも、例えば半年みたいな短めの期間ごとに契約できる所がいいです。年単位だと、大家さんにご迷惑かける可能性が上がってしまうかなって」
「気遣いができる人って偉いと思いますよ、その調子で職場も探して再出発したらいかがでしょう」
「言ってやるな。しかし、その条件を満たすとなると限られてきそうだ」
「やっぱり厳しいですか」
「んー、とりあえずお値段の手頃な宿を探すだけなら簡単ですね。人の出入りが激しめの町ですから、それ目当ての宿屋も多いです。ちょっと歩けば一杯看板出てますよ」
漁港と交易港とを兼ねた港を持つアールヴァランでは、即座に泊まれてかつ安価な宿の需要が高くなる。船員から観光客まで、客層も様々だ。
ただし、そうした宿はあくまで安くて気軽に泊まれる点に主眼を置いて経営しており、宿泊を通り越して生活と呼べる程の長期滞在となると不都合が生じてくる。
例えば、日用品の買い物の不便さ。居住スペースの狭さ。衛生面や治安。建物周辺の喧騒。
数日間なら我慢できる、むしろ久々に味わう陸の賑わい、あるいは旅の醍醐味と楽しむ事すら出来ても、これが10日間、20日間と続くとなると単純に環境の悪い住居でしかなくなってくる。我慢できず他を探そうにも、値段が同じなら、当然部屋のグレードや立地も代わり映えしない。
結局は、宿でも家でもいい場所に住みたければ出せる金を増やすしかないのだ。シエルの希望を満たすのは困難に思えた。
クアンが情けなさそうに眉を下げて言う。
「ただ、具体的に評判のいい宿屋ってなると詳しくないんですよ。
私はこの町のお客さんじゃなくて住民ですから、お金払って泊まる宿屋は逆に知らないんです」
「どちらかといえば町舎の観光課向きの質問だな。
といっても、あそこが紹介してくれるのは無難な宿だ。安全でそこそこの造りで、コスト最重視とはいかない。あまりにも場末の宿を紹介して、何かあってからでは苦情どころでは済まないからね。
貸家となると……町舎では完全に専門外だな。町で探すといい」
二人の結論をまとめるに、結局は自分の足で探すしかないという事らしかった。
宿が集中している地帯の食堂や酒場で、評判のいい宿を主人に聞いてみるという方法もあるにはあるようだが、どちらにせよ現地まで赴かなければならない。
シエルの希望している「安くて環境もそこそこで短期間での契約ができる貸家」に辿り着く道程は遠い。
しかしシエルにとっては、次の転生までの時間を大幅に縮められる拠点を築くという大切な過程なのだ。出だしから躓いてはいられない。
「……そうなるとまず宿を決めて、それから転生しつつ貸家を探して、家が決まったら町舎で引っ越しの手続きをして、そしたらラジールに戻って、また手続きをして、荷物をまとめて……」
「まあ、お前が本気で引っ越してくるつもりなら私に止める理由はない。町に人が増えるのはどんな形であれ歓迎する。
少し気が早いが、ようこそアールヴァランへ。税は滞りなく納めるようにな」
「家まで決めちゃうと素泊まりとはいろいろ感覚が違う部分も出てきますから、安めの宿に泊まり続ける事も選択肢として考えてみてください。あんまり役に立てなくてごめんなさいね」
「いえ、そんな! 僕の方こそこんな事を聞きにきちゃってすみません」
「あー、でもシエルさんがこっちに引っ越してきたら、ピリッと焼き赤胡麻まぶしが食べられなくなっちゃう……。
やっぱり引っ越しやめません? それか、引っ越しの荷物に一年分積んでくるとか」
「ごめんなさいと謝ったそばから土産をせびるんじゃないよ」
専門外だったにも関わらず出来る限りのアドバイスをくれた二人に礼を言い、シエルは龍園を後にした。
その一、新しい宿屋を探す。その二、貸家を探す。その三、引っ越しの手続きをする。
歩き慣れた坂道を下りながら、シエルは順に指を折って考える。夢へ向けて、この町における新たな第一歩が決まった。




