その平凡かつ奇怪な訪問者 - 1
もう一度、人生をやり直せたら。
それは、多かれ少なかれ誰もが思った経験のある事。
今の記憶を持ったまま、知識と経験を引き継いで、もう一度、初めから人生をスタートできたなら。
その時、人は全く違った道を歩むのか。歩んできた道をより良いものへと変えるのか。
あるいは、失った何かを取り戻しに行くのか。
いずれにせよ叶う筈のない夢物語である以上、普通ならば、そんな「もしも」は思うだけで終わる。
そう、普通ならば。
「――おお、ヴァイス! 創生の神話にその気高き勇姿を刻まれし、偉大なる白竜ヴァイスよ!
我は汝に問う。我、人の矮小なる身を以て、永遠の白を纏いし汝に問う許しを請う! 汝の力は神に等しく、汝の存在は世界と同義! 白き竜の手により命を落とした者は、新たなる生を得るというは真か!」
竜と呼んだ存在を見上げながら、ひとりの青年が声を張り上げる。
声は良く言えば感極まっており、現状に忠実に言うなら緊張で裏返っていた。
素朴な旅装束を着ただけの、黒髪の青年だった。容姿にも体格にも、これといって特徴と呼べるものはない。
精一杯振り絞ってはいるものの今ひとつ腹から出せていない声が、広々したホールに反響しては消えていく。
「き、記憶を有したまま、生まれ変わる事が……」
「本当だよ」
返答があった。
応じる声は低く、体格を反映して大きい。声の前に立つだけで、びりびりと肌が震えるような。
ひっ、と青年の喉が鳴った。明らかに恐怖による反応だった。
相手に威嚇する意図がなくとも、その巨体と声量、表情のない眼が自分に向いているだけで、本能が警鐘を鳴らす。
一目散に逃げ出すか腰を抜かしてもおかしくないというのに、その青年は気丈にも更に尋ねた。
「ほ、本当ですか、転生……」
「できる」
声が冷静に肯定した。
できる。それを聞いた青年が、やった、やった、とうわ言のように繰り返す。
恐怖によるものか歓喜によるものか安堵によるものか、涙でぼやけた視界に純白の巨体が揺れて映る。
入口で受付を済ませ、現在の予定が空いている事を確認し、そのまま予約を入れてもらって中に入り、途中、壁の塗替えをしていた職人や床を掃除中の作業員と挨拶をしつつすれ違い、案内板に従って訪れた先、この建物を象徴するメインホール。
神殿内で最も広いスペースに、それはいた。
ドラゴン。
人間、魔物、あらゆる生命の頂点に立ち、この世界で唯一、神に等しき力の行使が許された存在。古今東西あらゆる伝承、芸術、物語の中に描かれてきた獣は、眩いばかりの姿を晒して静かに床に伏せていた。
ひと目見た瞬間、青年はまるでこの空間が、竜の為に設えられた玉座であるかのように錯覚した。
生まれて初めて目にする竜は、それ程までに輝かしく、堂々としていたのだ。
途轍もなく巨大な蜥蜴。竜の姿とは、言ってしまえばそれだ。
だがただの蜥蜴とは、体の構造の面で何もかもが異なっていた。
まず、大きい。青年が首を後ろに傾けて見上げて、ようやく頭部に目が届く。
標準的な身長の青年を縦に4、5人並べても、まだ頭には届くまい。しかもそれは伏せて座った状態での高さで、立ち上がって長い首を伸ばせば体高は更に増す。頭から尾先までを含めた全長となれば、尚更だ。鳥に似た翼は背にたたまれているが、広げれば竜の全身を何倍の大きさにも見せるだろう。
地上のいかなる生物の中にも、これに匹敵する大きさを持つ者は類を見ない。常識を超えた巨躯だった。
その体を覆う鱗は染みひとつなく白く、きめが細かい。
肩や腰、尾といった一部を装甲のような分厚い鱗が守っているのを除けば、鱗というよりは革のようであった。胴体は胸部を過ぎたあたりで深くくびれており、そのせいか全体に細身で女性的な印象を受ける。
鈍重さではなく俊敏さ、重厚というよりも優美。
とはいえ、その尾で薙ぐだけで、杭に等しき鉤爪の一振りで、大抵の生物はぼろ切れのように消し飛ぶだろう。
特筆すべきは手だった。前肢の指はどれも長く、内側に曲がる位置に人の親指に当たる指が付いている。明らかな四足歩行でありながら、手だけが人間のそれと良く似ていた。駆ける事よりも、掴む事に特化した手。
太古より生き続ける白き竜、ヴァイス。
港町アールヴァランを見下ろす山中の神殿、龍園に住まうという竜。
この竜の手により命を奪われた者の魂は、生前の人格と記憶を有したままに転生を果たすという。
まことしやかに語られるその噂を聞きつけ、青年は竜を祀る事で知られるこの町を目指したのだ。
そして今、青年は竜と対面している。