病町10
10
「こんなところにいましたか。無理はいけませんよ」
「昔から、頭が一杯になると屋上で空を見るんです。不思議とちょっと落ち着くんですよ」
「ここからあの町が見えると思うかい」
「きっと見えないだろうね」
「体調はいかがですか」
「どうだろう。まだ落ち着いてないから」
「先ほど採血して調べてみましたが、ホロフロムはほとんど消滅していましたよ。あなたの抗体は頑張っているようですね。でもこれ以上投与されていたら、どうなるか私にもわかりませんでした。ホロフロムの過剰な接種は命に関わっていたはずです。抗体でもワクチンでも対処できなかったかもしれない」
「命拾いしたわけか」
「すみませんでした」
「なんで院長が謝るんですか」
「私が発見した物質があなたを傷つけたことには変わりないから」
「院長のパソコン、海外からハッキングされていたらしいですね。警察の人がさっき。あいつはそこから情報を手に入れて、俺に薬を…」
「迂闊でした。あの町にいれば外界との情報は遮断されると思っていたけど、ネットワーク上では関係なかったみたいだね。」
「別に院長は悪くないよ、それに俺は感謝してるんだ」
「感謝?」
「だって院長がこのことを教えてくれなかったら、俺は絶対気がつかなかった。あいつにいいようにされ続けてた」
「君があの町に…病町に来たときからずっと考えていた。君が来た理由を、私に何ができるのかを」
「聞いてもいいですか」
「なんでしょう」
「結局、病町とは一体なんなのですか」
「あの先生がおっしゃっていたように、病町は確かに病人だらけの町だ。正確には病人しかたどり着けない場所。健康な人は決して来られない場所…」
「どういうことですか」
「あの町へいくことができるのは、ごく限られた人だけだ。私はあの町で生まれたから、特に不思議には思わなかったけど、私の周りにはいつも患い人がいた。みんな何かに苦しみ、救いを求めてやってくる。私が医者を志したのは、今思えばとても自然な流れだったよ。あの町で過ごすうちに、病町に来る人たちにはある共通点があるということがわかってきた。つまり、その病を治せるのは私たち病町の医者だけだってこと。彼らの奇妙な症状は一般的なお医者さんには治せない。だから、私たちのもとへそういう人たちだけが集まって来る。それに気がついてからは、私は彼らのために全力をつくし続けて来たよ。他の誰にもできない。私にしかできないって思うと、なりふりかまっていられなかった。実験や研究も怠らなかった。君が来たときも、偶然なんかじゃない、ここへ来た理由や原因が必ずあるはずだって、そう思った。そして実際あってはならないものが入り込んでいた。…私が見つけたあの物質が」
「俺にホロフロムのことを黙っていたのはなぜですか」
「いっても信じてもらえないと思っていた。それに君を必要以上に心配させることも避けたかった。」
「俺には抗体がありますしね」
「驚いたよ。もしなかったら、君の記憶はもっと劇的になくなっていただろうね。でも自分では気がつかない」
「というと?」
「ホロフロムの能力は記憶を《忘れさせる》ことではない。記憶自体を《消す》ことだ。だから当の本人は記憶が消えたことにも気がつかないんだ。でも君は《忘れた》ということを《覚えていた》だろう。だからまだホロフロムの影響の程度は低いと想像できた。急いでワクチンを作って万が一に備えようと思ってそちらを優先させたんだ。それがよかったのかどうかはわからないけど。どのみちホロフロムのデータは削除するつもりです。あれは超えてはならない一線を超えてしまった」
「忘れたことに気づかない…か」
「うん?」
「俺、正直忘れてました。あいつのお母さんのこと。俺のせいでお母さんの死に目に会えなかったことがつまりは動機だったって、警察の人は言っていたけど」
「被害を受けたほうはずっと覚えていても、やったほうは意外と覚えていないものですよ。同じ出来事でも、人によって捉え方が違うというのはよくあることだ」
「俺、お通夜に行ったのは思い出しました。なんて声かけていいかわかんなくて、何にも言わなかったけど。あいつのお母さんには俺も小さい時から可愛がってもらってたから、つらかった」
「何をしようとしていたんですかね」
「え?」
「さっきの警察の方の話によると、君は約束をしていたって」
「誕生日ですよ」
「誕生日?」
「あいつのお母さんがまた入院したって俺の親から聞いたとき、ふと思い出したんです。そう言えばもうすぐあいつの誕生日だなって。高校離れたし、昔ほどは仲良くもなかったけど、お母さん入院してつらいだろうなとでも思ったんでしょうね。プレゼントあげよう。何かあげて元気づけようって。柄にも無くそんなこと考えて」
「じゃあどうして」
「行きましたよ。待ち合わせ場所。でもあいついなかった。俺が間違えたのか、あいつが間違えたのか、今となってはもう記憶がごちゃごちゃで思い出せないけど、とにかく俺たちは両方そこには行ったはずなんです。でも、会えなかった。そしてあいつは間に合わなかった。知りませんでした。俺が原因で最後に会えなかったなんて」
「じゃあ君が絶対に悪いとも言い切れないわけか」
「いや。俺のせいですよ。俺が余計なことしたから、バランスが崩れた」
「ねえ、記憶に優越はつけられると思う?」
「え?」
「どうして人は忘れるんだろう。今まで見たり聞いたりしたこと、経験したことすべてを覚えていたら、どうなると思う?」
「…そりゃあ、テストでいい点とれるでしょうね」
「はは、でもね、人は忘れる。どうでもいいことはなおさら忘れやすい。忘れることで私たちは理性をもって生きられているのかもしれない」
「俺があのことを忘れてたのは、俺がどうでもいいって思ってたからってことですか?」
「いや、それは違う。確かに君は忘れていた。でもそれはつらい思い出だからだよ。いつまでもつらい記憶を持ち続けていたら、ずっとそれに苦しめられる。人はそういう記憶も忘れるものだ。そして君は知らなかった。記憶にすら入っていないことを覚えるとか忘れるとかは出来ないよ。あの人にも君の知らない部分がある。いくら幼なじみでも、そういうことだってありうるはなしさ」
「記憶にいいも悪いもないんでしょうか」
「わからない。でも私たちは無意識にそういう選択をしているんだろうね」
「またあなたに会えてよかったですよ。やっぱり院長は悪い人じゃなかった」
「どうしてそう思う」
「だって本当にホロフロムの効果を知りたいなら、俺が来たとき、適当な理由をつけて俺にホロフロムを投与しちゃえばよかったでしょ?でも院長はしなかった。食べ物まで気をつかって、俺を安全に帰らせた。あいつが言うような恐ろしい闇医者だったらそんな面倒なことしないだろうから」
「不安にさせて悪かったね」
「平気だよ。もう大丈夫」
「私にもなんらかの罰は下るだろう。だけど思い切って町を出て来てよかったみたいだ。君の病を治せるのはやっぱり私だけだった」
「そろそろバスの時間だ。私は帰るよ」
「患者さんたちほったらかして大丈夫だったんですか」
「別に医者は私一人じゃないからね。他の皆もとても優秀だよ」
「ねえ、院長」
「うん?」
「俺、忘れないよ。院長のことも、病町のことも。…あいつのことも」
「うん」
「覚えて、待ってる。いろいろあったけどやっぱりあいつは俺の大事な親友だから」
「きっとまた、昔のようになれるさ。君が信じていれば」
「病町の人たち良くなるといいですね」
「町へ来る人は後を絶たないけど、私は目の前のひとりひとりをみつめるつもりだ。君も、もうあの町へ来ないようにね」
「はい、さよなら。院長先生」
「次の方どうぞ」
「初めまして。病町へようこそ」
以前にもここで掲載したことがあるので、読んだことのある人もいるかもしれませんが、数年前に書いた初めての作品です。
人の記憶に関するお話を書きたいと思い、大まかな流れを考えてから、まずは会話の部分だけ書いてみようと思い、制作をしてはじめましたが、だんだんこの形に面白さを感じるようになり、最終的には会話文のみでの構成となりました。
「やったほうは忘れても、やられたほうは覚えている」
人の記憶や心は簡単には解決できない複雑さを帯びていると思います。
最近では医療や科学技術が発達し、これまではSFの世界でしかできなかったようなことが、実際に現実に存在しはじめています。そしてそれと同時に「これは人として許されるのか?」という生命倫理の問題も多く発生しているのではないかと感じています。
私はそういったことを文章で表現できればいいなと考えています。
医療にさほど詳しくもないので、いろいろと下手な部分はあるかと思いますが、この作品は自分の考えや疑問を文章として形にした第一歩の作品なので、これからも大事にしていきたいです。




