3.O《オー》・リング
長閑な田舎道をひたすら、てくてくと歩く。時折現れる分かれ道でダウジングを繰り返しながら、美子は行く先を決めていた。
学校の廊下からこの地に飛ばされて、もうどのくらい時間が過ぎただろう。あの大地震の最中、あの場から美子が消えたことに気付いた人はいるのだろうか。
(まあ、みんなそれどころじゃないよね)
家族もどうなっただろうか。
青から茜色に変じつつある空を仰いでいると、どうしても感傷的になってしまう。
そうした思いを振り払うように、美子は左手首に巻いた黒革ベルトの腕時計に目をやった。もしこの時計があてになるなら、もう五分もすれば午後四時である。
美子がスタート地点を出て、すでに二時間ばかり経過したことになるのだった。
「うーん、せめて上履きじゃなくて、運動靴のときに転移してくれればなあ……」
足は止めずに、美子は視線を落として呟いた。
底の薄い上履きでこれだけ歩けば、さずがに足裏が痛い。
左右の木立の周囲には柔らかそうな青草が生えていたが、どんな毒虫や毒草に当たるか分からないので、美子はあえて固い地面の上を進んでいる。
幼少期を多少自然豊かな田舎町で過ごした美子は、かつて年長者が教えてくれた注意点を思い返して、ささやかだが今自分にできる警戒をしているのだった。
「それにしたって、ここ、本当に十一月の気候?」
美子がいた日本では、十一月半ばといえば外出時にはちょっとしたコートが欲しいくらいの気温である。それに常緑樹でもない限り木々は紅葉し、下草は枯れ始めている頃合いだ。
だというのに、先程から目にする木立は軒並み青々と枝葉を繁らせ、下草も芽生え始めた若草のようであった。これはもう、晩秋というより初夏に近いのではなかろうか。
この分だと、夕方四時を回っても、おそらくコートは不要であろう。今着ている制服のブレザーも、歩いている間は脱いでしまっても良さそうに思える。
とはいえ、右手を水彩絵の具箱、左脇をスケッチブックに塞がれている美子は、この上ブレザーまで荷として抱えるつもりもない。
「まあ、寒さに震えながら夜明かしなんて、ごめんだけど」
美子は人里、もしくは誰か頼れそうな人間に出会えるよう望んでいるが、これはもう諦めて野宿できそうな場所と食糧を探した方が良いかもしれないと思い始めていた。
美子は荷物を下ろすと、絵の具箱から絵筆を一本選び出した。柄の部分を地面に押し当てて、線を引いていく。
まずは十字に。今度はそこに×印を重ねて。
出来上がった図は、大きな「米」印の形をしていた。
「こんなもんかな」
絵筆についた土を指で拭って道具箱に片付けると、美子はもう何度目になるか分からないダウジングで今後を決するため、ラピスの振り子さんを取り出す。
「ラピスの振り子さん。私が安全に寝泊まりできる場所はどっち?」
美子が地面に描いた「米」印の中央に振り子さんを構えると、すぐに錘が揺れ動き出した。線上でゆっくりと縦に揺れていたのが、やがて右に軌道をずらしながら、ぐるりと一周する。
そうしてまた反回転するように戻ってくると、左下から右上に切り上がり、右上から左下に切り下げてと、同一線上で動きを固定した。
「えっと、図の上を『子』としたら、これは『丑寅』か『未申』の方向に行けってことよね」
美子が地面に描いていたのは、簡易の方位盤であった。
「子」は十二時及び北を表し、右回りに「丑」、「寅」、「卯」……と十二支の順に巡るのであるが、太陽の姿が見えず方角を割り出していない美子には正確な方位が分からない。
それに、今は方位を知らずとも、行くべき道さえ定まればよかったので、「子」の位置はあくまで美子から見て上と決めてあった。もっとも、方向音痴の上にここの地理がちんぷんかんぷんの美子に方角を説いたところで、あまり役には立たないのであるが。
ともあれ、今はダウジングの途中である。美子の指先の感覚では、「丑寅」の方に錘が強く引かれている気がする。
また、もし「未申」だというなら、今まで歩いた道をまた引き返すことになってしまう。十中八九、「丑寅」に進むのが正しいのであろう。
が、ここは慎重にするのが美子であった。
「安全に寝泊まりできる場所があるのは、本当に『丑寅』の方で合ってる?」
「丑寅」の線上――右斜め上の線の端に振り子さんを近付けて確認する。もしイエスならば、振り子さんはその場で右回りするはずである。
かくして、振り子さんは右回りした。
美子は念のため、もう一方の「未申」の方――左斜め下の線端でも問いかけをしてみる。振り子さんは横揺れ――ノーの動きで応えた。
「じゃあ、ここからすぐ森に入っていくべきなの?」
――横揺れ《ノー》。
「この道をもう少し進んでいけば、いずれ『丑寅』の方に出られるってこと?」
――右回り《イエス》。
どうやらこのまま道なりに行くと、一本道は分岐することなく『丑寅』に続いているようである。
さらに美子が振り子さんに質問したところによると、美子の時計でおよそ十五分後には、目的地にたどり着けるようであった。
「それにしては、相変わらず人気が感じられないんだけど……」
美子は首を傾げたが、そうしていても仕方ないと思い直して、再び歩き出す。
腕時計の針は、すでに午後四時四十分を示していた。
ただ移動するだけなのも時間の無駄なので、美子は食べられそうなものがないかと、辺りを気にしながら進んでいた。一食くらい抜いてもそうそう飢えはしないが、今後のこともある。
空が茜色に変わってから、もう半時間ほど。夕方五時に近付いても、それ以上陽が沈む気配のない様子に美子はまた首を傾げつつ、目についた茂みに、あ、と声を上げた。
「ベリーっぽいの発見」
赤い実が鈴生りになった美子の背丈ほどの灌木が、木立の合間にちらほら現れ出したのである。
一粒あたりの実の形や大きさはブルーベリーのようであったが、色はヒイラギの実のように赤い。葉は木ノ芽に似ていたが、棘はなかった。
「これ、食べられるのかな」
鼻を寄せると、ものすごく甘酸っぱい香りがする。疲れた体にいかにも良さそうであった。きっとビタミンCも豊富に違いない。
美子はゴクリ、と喉を鳴らした。
――しかし、未知の木の実など、食べて大丈夫なのか?
美子は荷物を置くと、木の実の前に両手を伸ばした。左右それぞれの親指と小指で丸い輪っかを作って、鎖のように繋げる。
(この木の実は食用?)
心で念じながら、左右の指を離す方向に勢いよく引いた。が、指は離れることなく、固くしっかりと繋がっている。
「よっし! 食糧ゲーット!」
一人ノリノリで小躍りしたのは、誰も見ていないからなのか。あるいは美子も相当ストレスにやられてハイになっているのか。
そもそも、指で輪を作って左右に引くだけで、何故食糧ゲットになるのか。
――大丈夫、これは「O・リングテスト」と呼ばれる技術なのだ。ニューヨーク在住の医学博士が特許申請したのはごく近年のことであるが、海外では医療現場でも病気の発見や薬の効果を知る方法の一つとして用いられている。
もっとも、公式の「O・リングテスト」は、きちんとした医療資格を持つ人でなければ認定されていないそうであるが。
現在世間に知られているのは、その有用性に目をつけた一般人や占術家らが方法を簡略化したり、アレンジした別物である。美子が今しているのも、そうした「O・リングテスト」の真似事なのであった。
もちろん、美子なら振り子さんに尋ねても良いのだが、道具を使わず脳の反射に頼るこの「アレンジ・O・リング」は、ある意味、切羽詰まった人間こそ本領を発揮する診断技術なのかもしれない。
「O・リングテスト」をして指が離れなければ可、もし離れてしまったら不可。
普段の美子ならダウジング以上に選択しなかっただろう方法だったが……やはり疲れているのか。もしくは、振り子さんを出すのが億劫だったのか。
食中毒への危機感は、本人が思った以上の空腹感にかき消されてしまったのか。
「ま、食べて何かあるようなら、私の運もそこまでだったってことでしょ」
美子、一応その辺は覚悟の上だったらしい。
こんな木の実程度で育ち盛りの女子高生が満腹になるはずもなかったが――、甘い香りの誘惑には勝てなかったようである。
「ムグムグ、あ、イチゴ味だ。しかもグミっぽくて面白い。んん、美味し~」
お菓子のグミのような食感に、思わず笑みこぼれる美子。
ちなみにこの後、「O・リングテスト」のお陰か、美子は食中りにならずに済んだのであった。
どうやら美子の幸運は、まだ尽きていないようである。
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