1.現状確認
――気が付いたら、見知らぬ田舎道に立っていました。
「じゃ、ないでしょ」
美術室に向かう途中の廊下で、美子たち同級生数名は突然の揺れに見舞われた。校舎全体が下から突き上げられて落とされるような、直下型の大地震である。
ちょっとした突風程度では靡かない美子の太い三つ編みが、思わず背を叩くほどの震動だ。
咄嗟のことにふらつきながらも何とか踏ん張って、長く感じた揺れがようやく収まった時、顔を上げた美子が目にしたのは、左右を木立に割られた黄土色の一本道だった。
車二台分ほどの幅だが、轍の跡はない。それが延々と、地平の彼方まで続いている。行儀よく居並ぶ木立のほかには、本当に何もない光景である。
「うわぁ、長閑だあ……」
五感を澄ましてみるが、近くに人の気配は感じられない。半ば上半身を捻って後ろに振り向けば、先ほどまで見ていたのと何ら変わり映えのしない一本道が、やはりどこまでも続いているばかりである。
(もし風景画にするんなら、遠近感をうんと強調して、長閑なんだけど、どこか寂寞とした雰囲気を表してみたい。タイトルは「人生、一本道」とか)
暢気なものである。突飛なことが起きたので、脳の自己防衛機能が働いているだけかもしれないが。
「ハッ……! そういえば、みんなは?!」
大地震、気付いたら見知らぬ田舎。と、そんな急な場面転換で麻痺していた美子の思考回路が、ようやく回り出す。
そしてようやく美子は、自分が一人きりなのに気付いた。すぐ隣りを歩いていた友人たちや同級生が誰もいない。
それを認識した瞬間、美子の背中がすっと冷えた。
こんな時に何だが、皆の心配よりも自分の置かれた状況に焦る。
――緊急時にこそ、人の本音が露になるという。
美子は自分優先の浅ましい思考にちょっとばかり嫌悪したが、今ばかりは仕方ないと、無理矢理割り切った。争いを知らない現代日本でぬくぬくと育てられ、平穏に生きることを尊ぶ人間に、訳の分からないこの変化はきつすぎる。
美子は一旦目を閉じて、どくどくと暴れる心臓が収まるのを待った。
(大丈夫。まだ最悪の状況になったわけじゃない)
本人が自覚していない美子の長所、「普段は臆病だか窮地に立たされると目覚める負けず嫌いの情熱」が、美子の生存本能に火を点ける。
「こういう時こそ、現状確認よね。で、持ってるものは……」
とりあえず美子がとった初手は、所持品のチェックだ。
初期装備、黒のブレザーに白いブラウス、黒の膝下スカート、黒のハイソックス、白い上履き。制服である。左手首には黒革ベルトの腕時計。
所持アイテムは、ブレザーの左胸ポケットに黒い生徒手帳と三色ボールペンが一本。スカートのポケットにハンカチとポケットティッシュ。
右手に水彩絵の具の道具箱と、その中に筆箱。
左小脇にスケッチブック。
あれだけの地震で授業道具を手放さなかったのはすごいのか……。
反面、校則をしっかり守る真面目さが仇となって、食糧に至っては飴玉の一つも持ち合わせていなかった。
「うん。いつか役に立つといいなー」
現実逃避である。
「ハァ……見知らぬ田舎で人も見当たらない。五限目が始まるところだったんだから、下手したらあっという間に日が暮れる。気温は……今は問題ないけど、野宿とか無理だから。というか、食べ物と水も何とかしないと」
木立に遮られているらしく、太陽の姿は確認できないものの、美子が直前までいたところと変わりなければ今は11月半ば。光の加減からすれば、午後二時前後といったところだろう。
腕時計をしているのだから正確な時間は知れるのだが、美子はあまりアテにしていなかった。
「あんなことがあって瞬間移動? とか。あり得ないけど、でも、これって」
最近友人に教えてもらって読み始めた無料の小説投稿サイト。彼女もそこに投稿しているのだが、その一ジャンルを思い浮かべて美子は溜め息をこぼす。
「もし仮に、万が一にもこれが異世界転移モノとかだったりしたら……冒険者とか、ムリ」
冒険には憧れるが、基本インドア派の美子では、ライトノベルの主人公たちのように生き延びるのは困難だろう。自分のスペックをよく知る美子は使える手立てを模索して、早々に首を振る。
「できれば、この手はナシにしたかったけど……」
美子は両手を塞ぐ荷物を地面に下ろす。少しばかり躊躇った後、顔をしかめながらも、ブレザーの右胸の内ポケットに手を伸ばした。その指に摘まみ出したのは、黒いベルベットの小さな巾着である。
紐を緩めて口を開くと、一度決心するように渇いた息を飲み込んでから、右手に中身を転がした。
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