第78話 長崎
長崎というと、縁もゆかりもない地、と言うわけではなかった。
一応、母方の実家は長崎にある。
つまり、長崎には従兄弟がいる。
と言っても2つ年下の、妹のような、でも真希よりしっかりした女の子だ。
幼い頃はよく訪ねた。
ほんと、母が生きていた頃の話。
ここで…この地で家族4人で、暮らすという選択肢は無かったのだろうか?
ずっとそう思っていた。
だけど新幹線を降りて、バスで長崎まで向かい、俺が別荘を買った市内から少し離れた田舎町に着いて、そこの空を見上げ、理解した。
きっと母は、この地を、この空を、この匂いを、守りたかったのだろう。
優しそうな人が、喧騒なくすれ違う町を。
鳶が飛び、ヒョロロロとなく心地の良い空を。
磯の香りが漂い、懐かしい匂いがするこの空気を。
愛していたのだろう、それは当たり前の話だが。
俺もなんだかんだで、いつも騒がしい大阪のあの街が好きだ。
いつも淀んだ、けれど誰かが期待している空が。
ガソリンや何かの食べ物の匂いが常にするあの空気が。
優しくなさそうで、実は優しい、俺の地元が。
なんだかんだ好きだ。
だから母は、この平和な地に、黒間を入れたく無かったのだろう。
…でもそのせいで、俺たちは親を亡くした。
兄妹2人、苦労を重ねた。
全く、迷惑をかける母だ、と、俺はこの町が大好きになった。
別荘に着きしばらく皆は荷ほどきをしていた。
道路を挟めば、目の前には海がある。
後ろには山。
難点は、一番近いコンビニは車で10分の距離だということか?
まぁ悪くはないだろう、これでそこまで高くはないのだ。
俺も荷ほどきが終わろうかという時、インターホンが鳴った。
「お兄!久しぶり!!!」
おお、来たか、と俺はドアを開ける。
「…久しぶりだな、瞬。」
瞬と書いて、まどかと読む。
2個下の、中学2年か?
「うん!!」
「元気しとったね?」
聞きなれた方言の心地よい声。
「あぁ、久しぶり、おばさん。」
瞬の母で、俺の叔母にあたる、美玲おばさん。
「おばさん、久しぶりぃぃ!!」
ドタドタと、真希が出てくる。
それに連れて、後ろから皆んなも来た。
「あんたは呼んどらんわ!真希!」
「私だって瞬ちゃんには何も言ってないし!てかなんで呼び捨て!?」
なんでここはこんなに仲が悪いんだ…昔からだが。
「瞬、おばさん、ここじゃなんだから、中へどうぞ。」
「うん!お兄!」
そう言って瞬は俺に抱きついてくる。
真希はそれを見てむくれる。
…良いから早く入れ、冷房効いてねぇから暑いんだよ。
「お兄ちゃんのバカ!!」
なんでキレてんだよ…。
「貴方が悪いわ、弾。」
「なんでだよ、てか弾呼び?」
クスクスと、おばさんが笑う。
「弾、彼女?綺麗な子ね。」
「やめてください、私はただの委員長ですよ。」
「おばさん、私のこと覚えてますか?」
否定してリビングに入っていく九条は、それほど不機嫌になっていないようで安心した。
「えぇ、もちろんよ、一果ちゃん。久しぶりね。」
パァっと、一果の顔が明るくなる。
前に一度、一果だけ俺たち家族の旅行について来たことがある。
遠い昔の話だが。
「にしてもおばさん、老けたね。今年で40?」
「やかましい、てか弾、あんた心配したとよ?なんの連絡もなかけん…。大丈夫やったと?私死んだって聞いた時は心臓止まるかと思ったし…瞬なんかほんまに死のうとしとったとよ?」
矢継ぎ早…。
いや、郷に入るのだ、郷に従おう。
「少し出ても良いですか?あいつらに聞かれたくない。」
そう言うと俺はドアを閉めた。
海まで出て語る。
語り合う。
「車は何処へ?」
「駐車場があったけん止めたよ、あんた車ないのに律儀やね。」
そう言って笑うその顔は、亡き母そっくりだった。
「…色々ご迷惑をおかけしました。偽の訃報も、負傷も、事件も…。でも!でも俺明王になって、それで…」
散々用意していた言い訳は、何故か出てくるのを拒んだ。
「知っとるよ、全部真希から聞いてる。真希な、あんたになんかあるたんびにこっちに電話かけて、どうしたらええかなって。だから全部知っとったとよ、弾。」
ハッとする。
頼れる場所に、きちんと頼っていてくれていたのか。
「…弾、あんた昔から復讐の危うさがあったけど、やっぱりって感じやわ。まぁ、あんたの優しさあって、考えあっての事やろうから何も言わんけどな。そやけど弾。大変やったなぁ。」
そう言うと、彼女は俺の頭を撫でた。
優しく、そっと、しかしずっしりとくる手だった。
「でもあんた、いくら鬼やゆうてもかなり命げずったんちゃう?」
「…その事なんだけどさ、おばさん。」
さまざまな思惑は、ここ長崎で動き出す。
しかし、不穏な空気は無いのが、死ぬほど心地よかった。




