第50話 朝日
帰ってきた兄は、どうやら記憶が戻っていたようだった。
いや、記憶がというよりは、人格が。
「…おかえり、お兄ちゃん。」
そう話しかけると、驚いたような表情をして、
「ただいま。」
と言って、笑顔で頭を撫でてくれた。
演技のような笑顔で。
少し力の入った、ごつごつした手で。
それでも私は、嬉しかった。
ずっと私を愛してくれた、大好きなお兄ちゃんが、無事記憶を戻した。
飛び上がりたいほど、嬉しかった。
でも、できるはずもなかった。
出会って間もないのに、心配してくれた、もう1人の兄のことを考えると。
「…真希、なんだその……まぁあれだ、迷惑かけたな。」
照れ臭そうに着替えを済ませた兄が言う。
私は、完璧でない兄も知っている。
こんなことを言えば、きっと兄は怒るけど、可愛い兄を。
「そんなことないよ!お兄ちゃん、もう無理はしないでね?」
そう笑いかけるのが、私の役目。
完璧を演じる可愛い彼の、足枷にならないようにする。
それだけじゃなくて、私と居る“価値”をつくる。
それが、居なくなってしまった“兄”への、兄孝行?かな、なんて。
記憶が戻ってすぐだからか、頭がまだズキズキと痛む。
痛みに耐えながら、ひたすら走って鳳邸に着いた。
何度見てもやはり、立派なもんだ。
どこかの、馬鹿でかい寺の門のような入り口をくぐり、インターホンを鳴らす。
「…鳳、俺だ。」
返答は無く、暫くの沈黙の後に鉄の門が開いた。
俺はそれを確認し、ゆっくりと入って行った。
「…よう。」
「記憶、戻ったみたいだな。」
仁王立ちをして腕を組む親友と、久方ぶりに挨拶を交わす。
「あぁ、苦労かけたな。」
「今更でしょ、それに、お前が生きてるうちはまだ楽しいもんだよ。」
「…やっぱバカだな、お前。」
ハハッと、笑いが溢れる。
「…で、何しに来たんだ。」
急に真剣な面持ちをして、尋ねてくる。
この辺りの切り替えの早さが、流石鳳会会長といったところだ。
もう1人の“俺”の行動は、全て見ていたこと。
死んだはずの桜庭さんが生きていたこと。
そして…いつの日かを期に、仮面の男が現れるようになったこと。
伝えたい事は、全て伝えた。
あぁ、九条のことだけは黙っておいたが。
「…これだけの話を聞いて、俺にはどうしようもないが、まぁ調べておくよ。」
なんとも無責任な、鳳からは珍しい言葉だった。
死人が生き返る、という事実に戸惑いが隠せていないんだろう。
俺もそうだった。
けれど…こんな風に言ってしまっては、もう俺が生きる価値が無くなるのだが。
桜庭さんが生きていて、俺は死ぬほど嬉しかった。
それはそうだ。
死ぬほど惚れた女の人は、後にも先にも、桜庭さんだけなのだ。
「…まぁ、明日からはお前がまた4代目だ。忙しくなるぞ?」
ハハッと、また鳳は無責任に笑う。
鳳邸を僅かな期待を抱いて出た俺は、そのまま帰宅した。
帰宅後、久方ぶりの団欒を真希と過ごすと、俺は早めに寝た。
早く学校へ行き、昨日の夜にあらかじめ呼び出しておいた人間と会う。
俺が使っていた、本物の携帯で、だ。
学園の屋上へ行き、その人物を待つ。
ガチャ、とドアが開き、呼び出した人間が来た。
「…朝早くに悪りぃな、九条。」
ふてぶてしい面をした彼女は、素直に俺の記憶が戻ったことを喜んではくれないようだ。
まぁ、だから呼んだのだが。
「…記憶、戻ったのね。おめでとう。」
「そりゃどーも。」
睨むでもないその顔を、見ていた。
と、九条の後ろに…
仮面の男がいるのに気がついた。
オーラだけで気圧されるのに、今回ばかりは気配を消していた。
全く、分からなかった。
男は九条にバレないように、続けて?というジェスチャーを送って来た。
俺は指示に従う。
「…九条、これは“前の”俺からの伝言なのだが……。」
朝日が昇り、まぶしく照らし、話の背景としては零点だった。




