8・暗闇の先
「おわあああああああ」
雪と岩とともに、井原が落下中。手に持っていた自動小銃を手放してしまったのか、何も持っていない手が何かを掴もうとバタバタと辺りを手当たり次第に振り回している。その様は翼を羽ばたかせて飛ぼうとしている鳥のようだが、生憎と彼の体は落ちるのみであった。
一体どこまで落ちるのか。以外にも深い深い縦穴が続くばかりだ。下に落ちる度に風切り音と共に冷気が井原の顔をかすめて行く。このまま地獄にでもいってしまうのか、それとも別の何処かへと通じるのか……行き先見えぬ闇の恐ろしさに井原の先ほどから上げている声が若干上ずった。
「情けないおっさんだな、ほら掴まれよ」
そんな井原を見かねた声が上から文字通り降ってくる。井原の目の前に暗闇の中から差し出されたのは、手の形をした黒だった。いや良く見れば革製の黒い手袋をした井原よりも小さな手だ。差し出され手を辿ると、こんな状況だというのに口元にムカつく笑みを浮かべた仮面がいた。その仮面の下の目はきっと笑っているだろう。
「情けないは余計だ、この野郎!」
暗闇の中で認識しづらい仮面に怒鳴りつつも、井原は伸ばされた手を掴んだ。しかし空中ゆえ、上手く手を取れなかった井原であった。一回空を切った井原の手を、仮面が仕方なさそうに手を伸ばして難なく掴み、そして引き寄せて自身の服に掴ませた。
「あーおっさんに抱きつかれるとか最悪……。どうせならリーシャが……いやリーシャだけはやっぱ遠慮し……でも抱きつかれるならあの胸が……」
今の姿は井原が仮面に抱きついている絵面だ。もちろん落下中であることを忘れてはならない。
リーシャだけは遠慮する理由はなぜかって? 彼女のルックスは美女のそれだろう。だがその中身は目の前の情けないおっさんよりも酷いものだと言っておこう。しかし、おっさんの胸板と美女の巨乳を比べると、やはりあっちがいいなと思わず思ってしまう仮面であった。
「んなこと言ってねーでこの状況をどうにかしろよ!」
仮面が今の状況に関係ない超どうでも良い事を考えていると、情けないおっさん……ではなく井原が怒鳴る。確かに今の状況は落下中だ。とても非常事態である。胸の話は重要かもしれないが、今考えるべきことは胸よりも落下死をしてしまうかもしれない事を考えなければならないはずである。
「怒鳴るな、おっさん。年寄りは気が短くていけないなぁ……」
「流暢に構えてたらこのまま地面に打ち付けられてお陀仏だぞ!? 俺はお前と一緒に死にたくねえええ!!」
「はっはー気が合うな! 俺も隊長と一緒に死ぬとか絶対に嫌だぜ!」
井原の絶叫と仮面の緊張感の欠片もない声が響く。下は暗闇でいつ地面に付くかも分からない、そして落下のスピードはどんどん上がっているという状況だというのに。加えて上からは岩や雪が一緒に落ちている。たとえ無事に着地したとしても、これらの下敷きになる可能性もあるのだ。
「ならさっさとしろよ! 俺とこうして引っ付いていたいのか!?」
「な、なわけあるか!? うわっなんか誤解されそうだし早めに片づけよ!」
その一言が決め手になったのか、ようやく仮面が動き出した。空中だというのにくるりと井原を抱えて一回転して体制を整える。
「わりとピンチだった。ここって環境悪すぎ。色んな手が潰されてるのがなぁ……」
と言いつつも仮面は井原を抱えたまま、上から近づいていきた岩を足場に飛んだ。斜め下に飛んだ後、壁をさらに足場にしてまた斜め下に飛ぶ。そのまま壁を頼りに下に降りていった。
「なんで下!? 上行けよ!」
確かに壁を蹴って飛べるのであれば、井原の言う通り上に行けるだろう。だが仮面はそれを否定する。
「上をよく見ろよ、雪と岩しかない。それに上の入り口は塞がってるから無理」
仮面の言う通り、上から相変わらず雪と岩が降ってきていた。さらに入り口が塞がっているというのが正しければ、上に上がれたとしても地上には出られないだろう。
「普段ならアレをふっ飛ばしたり出来たかもしれないが……今は無理だな。俺にだってできないことはあるんだ。それを理解してくれよ!」
仮面がそういった瞬間、浮遊感がなくなり地に着地した重力が体にかかった。その場に留まらず、仮面は井原を素早く担ぎあげて地面を走る。暗闇の中、正確に落ちてくる雪と岩を回避し、その場から離れていった。
雪と岩を含んだ土砂が先ほどの穴から落ちてくる音が響く。砂埃が晴れたその先には山が出来上がっていた。一歩間違えば、あの下敷きになり生き埋めになっていたかもしれない。
「ふぅ……久々にスリルを体験したな」
その山を前にして、仮面が満足気にやりきったといったように言う。そして仮面は抱えていた井原を地面に下ろした。
「……スリル過ぎるぞ、こんなもん! 寿命が縮むわ!」
下ろされた途端、疲れた顔をしてへたり込むようにして座り込んだ井原。そんな井原に仮面は構うこと無く、辺りを確かめるように見渡す。
「……おい、ここどこだ? つーかあの地響きはなんだったんだよ」
「たぶん雪だるま爆弾のせい。その下にこの空洞があって、さっきの爆発で上の地盤が崩れたっぽい」
結構な距離を落ちてきたがここはまだ地上と同じ階層だろう。こうやって落とし穴があり下の階層に落ちるトラップがこのダンジョンには存在するが、その類いのものではないと仮面と、そして井原には分かっていた。トラップであれば発動する際に予兆としてなんらかの魔法の光が現れるからだ。今回の場合は魔法の絡まない普通の崩落だったのだろう。
「……つまりこうなったのはお前のせいだな」
「なんで!? 確かに雪だるまを作ったのは俺だけど投げたのは姉御だろ!!」
仮面は雪だるまを作っただけ、それだけだ。その顔のパーツにダイナマイトなどという危険な物を寄越してきたのはケビンであるし、それを投げたのは姉御ことリーシャである。自分は何も悪くないと仮面は言い張るのであった。
井原はそんな仮面の方を睨みつつも立ち上がる。そして辺りを見渡そうとするが……見えるのは暗闇だけであった。目が慣れても井原の目では何も見えない。隣にいる全身黒ずくめの仮面は周りの暗がりに完全に同化しており、気配だけで見ているようなものであった。
「おい、何も見えん。何か光はないか?」
「仕方ないなぁ……」
仮面がどこか惜しむようにしつつも、腕を下に下ろす。すると袖口から落ちるようにして仮面の手に現れたのは一つの黄色の石。少し透明になっており、中央にゆらりゆらりと炎のようなものが収まっていた。これは〈封魔石〉だ。魔法を封じ込めた魔石で、魔力を込めると石に封じられた魔法が発動する。
発動に魔力が必要だが、ごく少量しか消費せずあとは〈封魔石〉に込められた魔法自体の魔力を使う。そのため、魔力がないという例外を除き、この世界の人ならば誰であっても使える代物だ。
仮面が魔力を込めるとその魔力に反応して石が光り輝いた。そして魔法が行使され石の中から光の玉が飛び出し、二人の間に浮くと辺りを照らし始めた。
「これでいいか?」
「あぁすまんな」
照らされた辺りを見渡すと、仮面の言った通り空洞が広がっていた。近くには先ほど一緒に落ちてきた雪と岩の山があり、その山によって落ちてきた穴が塞がれている。
「閉じ込められたか……どうやって脱出する?」
先ほどの慌てぶりは何処へやら、井原が冷静に周りを見渡しつつ仮面に問う。
「落ちた穴は完全に塞がれてる。アレを壊す手もあるけど俺には無理だ。この環境じゃなきゃできたんだがな……」
そういう仮面はどこか苦しそうだ。表情は見えないが、頭を抑えていたりと見るからに調子は悪そうである。
「おい……大丈夫か? さっきどこか頭でも打ったのか?」
「大丈夫だ、息苦しいだけさ。……魔力を持たない井原はいいな」
少し羨ましそうな雰囲気を井原に向けた後、仮面は歩き出した。一体何が良いのか井原は疑問に思うも、さっさと歩いて行く仮面に急いで付いていく。
「おい、そっちに出口があるのか?」
「出口はないよ。でも、少なくともここからは出られる」
言っている意味が分からないが、井原は迷いなく歩いて行く仮面の後を追いかけた。
暗く寒い空洞の中、頼りない明かりが二人を照らしだす。足元に気をつけて慎重に動く井原と、足元など完全に見えているかのように、特に問題なく迷いなく歩く仮面が対象的だ。
しばらくすると、前方の方に光り輝く何かが見えてきた。だがそれは出口ではない。だが、ある意味で出口とも言えるものであった。
「……これって」
「〈転移門〉。ほらな、出口であって出口じゃないだろ?」
彼らの目の前には光る魔法陣が一つ。むき出しの岩肌に複雑な線と模様が描かれ光り輝いていた。これこそがこのダンジョンの区画同士を繋ぐ唯一の道、〈転移門〉だ。
「……まさか、こんな所にあるとはね」
仮面は探しものをこんな場所でこんな時に、見つけるとは思いもしなかった。だが、地上で〈転移門〉の反応を探していたが、それらしき反応が無かったのには頷ける。このような地下空洞……しかもこの仮面が最も苦手とする空間に存在していたのだから見つかりようがない。
そして今までこの〈転移門〉を探していた目的はとあるダンジョンへの入り口だ。つまりこの先は――あそこだろう。ついでにこの場所の今の状況を作り出しているのは、どうやらあの〈転移門〉のその先が原因そうだ。
「どうするんだ? この先は……」
「まぁとりあえず、行ってみようぜ!」
〈転移門〉を前に悩んでいた井原の背を、仮面が思いっきり叩いた。
「ほわっ!?」
そのまま井原は大きな魔法陣の上に進んでいき……光とともに一瞬にして姿を消す。そんな彼に続くように仮面もまた、光の中へと進んでいった。