34・見上げた空は
「ユウ、改変はもう始まっているな」
無理して走る仮面の姿を心配しつつもユウは答えた。
「はい」
つまり仮面がこの街に入ってきたあの〈転移門〉は使えないということだ。
使えたとしてもきっと訳もわからないダンジョンにでも飛ばされることだろう。
「ですが、別の出口ならば用意できるかもしれません」
「……どういう手段だそれは」
「この街にも転移装置があります。それの設定を変えてこのダンジョン外……つまりは地上に出口を設定すれば」
「この街どころかダンジョンからも脱出できる訳か……」
今はダンジョン全てが〈改変〉の影響を受けている。ダンジョンの何処に行こうがその迷宮の波に飲み込まえれ、地上に戻れないだろう。
だがその出口を直接、地上に繋ぐことさえできれば脱出は可能だ。
「道案内はお任せください!」
ユウはこの街の隅々まで知り尽くしている。この街の構造は手に取るように分かっていた。
ユウの導きにより、その転移装置のある場所にやって来た。そこは厳重にロックされた扉がある建物の中だ。
ユウがそのロックを解いたから扉を開けられたが、調査隊が見つけてもその中を調べる事はできなかっただろう。
「今転移装置の設定を変えます。ですがここの扉のロックを解除したことはこの街のセキュリティも感知するでしょう」
「つまり俺らの居場所はバレているということか」
あのガーディアン達の目的は明白だ。このユウの存在を外に出さぬ事。
どこにいるか居場所を掴めば、すぐにガーディアン達はその場に急行するだろう。
「どれくらい時間がかかる」
「少なくともあと数分はかかります。申し訳ありません。私はこのような処理をする専門の機能を備えていないので……」
端末を操作しつつ申し訳なさそうにユウは言った。
「いや助かっている。俺にはまったく分からんからな」
仮面にはまったく分からなかった。ユウがいなければこの街を脱出できなかったかもしれない。
入り口を見張るように仮面が立つ。今のところガーディアン達が来る気配はない。
「黒機士が引きつけてくれているかな」
「……あれはどうして私達を助けたのでしょうか」
仮面の呟きに、ユウが反応した。
「なんだ、気付いてないのか?」
仮面は少しだけ目を見開かせてユウを見た。
「どういうことですか」
「黒機士は君を助ける為に動いたんだ」
「……私をですか? ありえません」
あれは自分を逃さぬように作られた物だ。
人間達によって作られ命令に忠実に動く機械。あの白い人であるガーディアンと変わらぬ存在であるとユウは認識していた。
「なんでそう思う」
「だってあれには意思がありません」
「――本当にそう思うのか?」
そう言われてユウは思わず仮面を見た。そ青い目は先の言葉と同じように本当にそう思うのかと訴えている。
「だってあれは機械です。人に作られた機械に、意思など……」
魔導人形はただの機械ではない。
人と変わらぬ意思を持たせたものが〈魔導人形〉だ。だがあれは、黒機士は普通の機械だと認識していた。
ちょっとした意思を持つものとも呼べぬ自立型AIを組み込まれただけの機械人形。
体の構造は似ていても、搭載された脳とも呼べるものは別物だったはずだ。
「意思を持たない機械ならあの時あんな行動はしないだろ」
その通りだ。セキュリティの命令に忠実に従うならばあの時、ドラゴンを操って仮面の邪魔をしに来た時のようになる。
「……いえ、待ってください。ではなぜあの時、ドラゴンを使ったのですか?」
ドラゴンは神の化身だ。それを物のように操ることなどそんな事は許されない。
だから白いガーディアン達も攻撃をしなかった。だがあの時、黒機士は竜を操った。仮面を助けた時も竜を従えていたのだ。
その間に、セキュリティの命令も世界の掟も阻むものがあるとすれば……
「それは個人の意思に……心に他ならないのでは?」
ハッと気がついた。もしも本当に意思があれば、命令に背いた事にも納得できる。
機械は命令を無視しない。だが心もつ機械ならばそれはあり得る。意思を持つユウ自身があの柵の檻を破ったように。
「黒機士は真の意味で君の騎士だな。ずっと君の事を側で守って見守っていたんだ」
「ですが……それはありえません。もしそうならなぜ出ようとする邪魔をしたのですか……」
「そりゃ君の存在が原因だ。禁忌を犯して作られた君が下手な奴の手に落ちてみろ。大きな騒動が起きるだろうな。そんな奴の手に渡らないように、見極めていたんじゃないかな?」
だから邪魔をしたというのか。いや、元々の命令もあっただろう。その命令の狭間で黒機士は見極めていたのだろう。
「たぶん、あの塔の扉を開けたのは黒機士だろうな。俺が君を連れていくに相応しい騎士かどうか見極めたくて、そして外に連れ出させたくてさ……」
命令に一時は従った時でさえも、竜を持ち出して見極めていたのかもしれない。あの黒機士は。
「だからあいつは今も戦っている。だってあいつは君を守る騎士だから」
その時、扉が勢い良く飛ばされた。その向こうからなだれ込むように白いガーディアン達が入り込む。
「ユウ! 転移装置は!」
「もう少しです!」
仕方なく仮面は片手に剣を持ち、招かれざる客達の相手をする。
だが仮面もすでに満身創痍。全てを相手にはできなかった。
「ユウ!」
仮面の横をすり抜けた一体が、端末を操作していたユウに近づいた。
その手を伸ばしてユウを掴もうとする。
――黒い影がさらに仮面の横を通り抜けた。
「あなたは……」
白いガーディアンの心臓となるコア部分に光線剣が突き刺さっていた。
倒れていくガーディアンのその向こうには、黒機士の姿。
「ガァァアアアァァァァ」
建物の外からドラゴンの声と暴れまわる音が響く。
「あはは、ピンチに駆けつけるヒーローらしいね。思わず惚れちゃうよ」
また一体のガーディアンを斬り伏せた仮面の援護に黒機士は動く。
二つの黒が背中合わせに並び、周りのガーディアン達を威圧する。
「転移装置の準備が整いました!」
ユウの声が響く。その声に黒機士は後ろの仮面に目線を投げた。
「……行けってか。お前は機械にしとくのは勿体無いな」
仮面はその場を黒機士に任せ、ユウの元へと駆ける。
追いかけようとするガーディアン達を黒機士が足止めしていく。
「こちらに! すでに装置は作動させてあります!」
ユウの居る場所へと飛び込むようにして仮面はその装置に乗る。
「あなたも……!」
白い軍勢に囲まれた黒い影にユウは声をかけた。
一瞬だけ、その赤い目はこちらを見る。だが、首を振って背を向けた。
これだけの敵を残しては、転移装置は正常に作動できない。
転移途中に機械の一部でも壊されればきっと転移は失敗する。
誰かが残ってここを守らなければならない。
そんな事、すぐに計算すれば分かる事実だった。
それでも、あの黒い背に声をかけてしまったのはなぜだろうか。
転移の光に消えていく。その黒い背。そして天を指差すように伸ばされた手。
まるで上に行けと言っているかのようだった。
――お前はこの“空”の上に行け、と。
◆ ◆ ◆
ふわりと優しい風が撫でた。最初に感じたのはそんな感覚。目を閉じた瞼の向こうから強い光が差す。恐る恐る目を開けて、その光景を見た。
――青い、青い空が広がっていた。
朝日に光り輝く地面。その上にはどこまでも、どこまでも続く青い空。遠くに白い雲が掛かる山。それはけして作られた景色ではない。本物の空と風景だった。
「あーここは迷宮都市の外か!」
遠くで仮面の声が聞こえてきた。少し上がった丘の向こうに仮面が立っている。その横に立つと、小高い丘から見下ろした迷宮都市の姿があった。
丸くとても大きな縦穴。その縦穴の中央にはいくつもの街が橋と橋を繋げてまるで網目のように縦穴を埋めていた。地上部分に近い街並みはどれも綺麗な中央地域よりの洗練された美しさのある作りをした建物が多く、下に連れて赤屋根のこの地域の伝統的な建物が見えていた。
「……なぁユウ。地上の空は綺麗か?」
その景色を見ていたユウに隣の仮面が語りかけた。ユウは隣を見上げる。そこには空と同じ、いやそれよりも深い色合いをした青い片目がユウを見ていた。
「そうですね……」
ユウは空を見上げた。風が黒と白の髪を揺らす。
思わずリボンの端に触れた。黒機士が結んでくれたリボンだ。
ずっとひとりぼっちだと思っていた。あの街で意思を持つ者など自分ひとりだけだと。
だがどうやら違ったようだ。その存在はすぐ近くでずっと自分の事を守っていた。
――逃がすための監視者ではなく守るための騎士として。
その事実に気がついた瞬間、大粒の涙が落ちていく。
もうあの場所に戻ることはできない。あの者に声を掛けることもだ。
「確かに綺麗です。ですが――」
――――この空はあの者とも一緒に見たかったですね。