31・悲しみの人形と屍の竜
青く澄んだ空。その下に列なる細長い建物。舗装された真っ白な大きな道。
虚ろな街には紛い物の住人たち。窓……いや透明な檻の外から見られるのはそんな風景。
そして傍らには自分を逃さないように守る黒い看守のようなモノ。
それがかのものにとっての見える世界。見えていた世界。
いつものように、決められた設定を忠実に行使した調和の取れた完璧な世界だった。
だが時に、その調和は乱れる。この街には稀に侵入者が現れていた。
彼らはただこの街に迷い込んだだけの者が多い。この街に害をなす存在ではないとその者には理解できていた。
しかし、住人たちは違ったようだ。登録されていない侵入者は彼らにとって排除すべき対象。この街を守るように設定されていた彼らには、侵入者が如何なる事情でこの街に入り込んだとして関係ないのだ。
あぁ……あの時もそうだった。
意識が覚醒し、システムへの干渉ができた頃。あの時に初めて侵入者を見たのだ。
その侵入者をかのものはただ見ているだけしかできなかった。彼らによって追い詰められ、その体を焼かれ、無残にも死体になりはてていくのを……その姿を見るのは悲しかった。
セキュリティに干渉して彼らを助けたかったが、そうしてしまえば、かのものは二度と檻の外の様子を見られなくなる可能性が高い。それにそれをしない理由もあった。
侵入者の殆どは死んでいった……だが中には助けられた者もいたことをかのものは覚えている。侵入者の中には何人か、かのものを見ることができる者達がいたのだ。
彼らと会話することはできなかったが彼らを出口へと導くことはできた。この街を出ていく背を何回か見送っていた……その時も悲しかった覚えがある。
だからあの時もあの行動をしたのか。
かのものは思う。理解できない行動だと思っていた。だがそうか、自分は彼らを助けたかったからあの行動をしたのだ。あの車に乗った二人を。
かのものは自分に呆れた。自分は機械だと思いこんでいたからだ。
機械だから全部余すことなく今までの事を覚えている。己の記録データに残っているからだ。忘れたくても忘れられない、いや忘れていないはずだった。
長い年月の中、自分は知らず知らず過去の記憶を忘れていた。思い出すと辛かったから。人と出会う度にその人がどんな末路を辿ろうが悲しかった。そんな感情と共に過去の記憶まで失くしていたようだ。
本当の機械になりたかったから全部忘れていたというのに。
おかしな話だ。自分は作られたモノなのに、機械なのに機械になりきれない。人と機械の狭間にいる中途半端な存在だ。
――だから今も苦しい。
この街の外と繋がる道が閉じようとしている。またかのものはこの街に一人、取り残される。しかも今回は今までと訳が違う。人と関わりすぎた。また忘れようにも、きっと長い長い時間を要するだろう。それこそ百年単位だ。その間、きっと苦しいだろう。今でさえ苦しいというのに。
これが自分に課せられた罪なのだろうか。存在してはならない自分に、生まれてしまった自分に対する罰なのだろうか。
自分を作ったあの人が憎い。拒絶したあの人達が憎い。自分を置いていった人達が憎い。
そしてあの差し伸ばされた手、私に感情を思い出させたあの人が――憎い。
寂しくて寂しくて苦しくて苦しくて辛くて辛くて憎くて憎くて、とても悲しい。
もう嫌だ。見ることしかできないのが嫌だ。あの青い空の向こうに、この街の外に、この苦しみから逃れたかった……。
――ピピッ。
音が鳴った。サーバーの電子の中で塞ぎ込んでいたかのものはそのデータを見る。そこにはありえない、居るはずもない人物の反応が示されていた。
◆ ◆ ◆
黒機士との戦いに勝利した仮面はその先の扉を通った。通った瞬間に発動された〈転移魔方陣〉によって別のフロアへと移動されたのか、目の前にはまた別の部屋。
「今塔の何階? 階数くらいどっかに書いておけばいいのに不親切だなこの塔は。……本当に塔の中か分からないけど」
仮面は周囲を探る。この塔自体に隠蔽の魔方式でもかけられているのか外の様子を感じ取る事ができなかった。
「……おや?」
だが代わりに見つけた気配があった。広い空間の中央、そこに徐々に光が集まっていく。光が収まるとそこには半透明な人型のホログラムが浮いていた。
「やぁ会いたかったよ、ユウちゃん」
笑顔で手を振る仮面はそのものの名を口にした。
『なぜあなたがここに居るのですか。この塔には入れないはずなのに、いえもうすぐ〈改変〉が始まってしまうというのになぜここに居るのですか』
咎めるようにユウは言う。もう来ないものだと会えないものだと思っていた人が目の前に現れたからか。それとも危険を犯してきたからか。
『第一、あれは何処に――』
「黒機士だったらさっき倒してきたよ」
ユウは驚くように仮面を見る。あれを倒したというのか。あれは相当に強い。そうでなくては自分を逃がさないようにする門番役には適さないからだ。
「で、君はどうする」
『どうするって……』
「君を邪魔していたものは無くなった。出たければ出られる。だからどうする?」
出る。ここから出られると仮面は言う。この地獄のような場所から出られる。そう思った。だけど――
『……私は出ません。出てはならない』
「それは君を封印した人らが勝手に言ったことだろ」
『それでも私はここから出ない。私は……存在してはならない物だから。私は機械だから。人の命令を聞く機械だから。私に意思なんてないから』
ここに居れば傷つく。ひとりぼっちでいるのは辛い。分かっていても、出られない。縛るのだ。自分は許されない物だから、ここを出てはならない。それは人個人の決定ではなくこの世界の神の決めたこと。自分が、機械ごときの自分がそれを破ってはならない。外へ出れば周りも自分も今以上に傷つく。
「あるだろ。君には立派な意思がある。君の本心はどっちだ? 出たいのか出たくないのか、それさえ言ってくれれば俺は立ち去る」
仮面が来たのはそのためだった。ユウの本当の言葉を聞きたくてここにやって来た。その答えがどちらだろうが仮面は諦めて帰るつもりだ。
『私には選べない。選ぶ権利はない』
だが返ってきたその答えはユウの言葉ではない。ただ決められた事を言うだけのものだった。
「答えになっていないぞ」
『……もういい加減にしてください。放っておいて欲しいという事が分からないのですか?』
嘘でも言えばいい。出ないと言えばいいだけなのにユウは言わない。それは口にできないからか。だからだろう、仮面も引き下がらないし、強引にでない。
『もう嫌です……傷つくのは嫌だから。だからあなたには、私を惑わすあなたには私の前から消えて欲しい』
停滞した場にセキュリティの警告が鳴り響く。辺りに飛び出した画面には不正アクセスを示す文字列。部屋全体が赤い光により真っ赤に染まる。
「おいユウ! お前は何をしようとしている!」
『――私は出てはならない。一生をここで過ごす。それは決められたこと。我が作り主が犯した罪を償わねばならない。この我が抜け殻とともに!』
不意に浮いていた画面にノイズが走る。途端に真っ赤だった画面が青く光る。まるでそのアクセスを許したかのように。
その時ユウの後ろに変化があった。青い光が突如として宙に現れる。そこから巨大な何かが電子的ブロックノイズの光と共に地へ降り立った。
まばゆく白亜の翼と銀色に鈍く光る金属の翼を広げ、その灰色の鋭い爬虫類を思わせる眼が仮面を覗き込んだ。二本の足で立ち、鱗に覆われた肢体には至る所に機械的な鉄の肌が交じる。長い尻尾が揺れる度に風を巻き起こさせた。
「……なんでドラゴンがここにいるんだよ」
突如として現れたドラゴンを前に、仮面はあんぐりと開けた口からそんな言葉を出した。
『言ったはずです。我が作り主Dr.レナードは私を作り出す際にドラゴンを使った。これは私に使われた、材料にされたドラゴンの成れの果て』
ユウが指示を出すように手を振った。それに合わせてその白いドラゴンが口を開く。その口から急速に光が集まりだし、それは光線となって仮面を襲った。
凄まじい威力だ。辺りの地面をえぐり、壁さえも突き抜けた。壊れた壁の外が見え、土埃が舞い上がる。
「つまりは死体のドラゴンか。もう、またかよ……」
煙の晴れた場所から仮面が姿を表す。手には剣。それで防いだとでもいうのだろうか。防がれる事は予測済みだったのだろう、ユウは冷たく言い放つ。
『まさか戦うつもりですか。ドラゴンに手出しすることは許されませんよ。それに勝てるとは思えない』
「お前が言うなよ。それお前が操ってるだろ。それに勝てるし」
仮面はさらっと言う。その仮面の態度を驚くようにユウは見ていた。
『……たとえ死体でも元はドラゴンです。その力を私は知っている』
「じゃあ来いよ。相手してやる。そのお前の変な意地ごとそれを壊してやる」
クイッと仮面は手招きする。まるでかかってこいというかのように。
いくら信仰はしていないとはいえ、ドラゴンを相手取る事の重大さに気付いていないのか。ドラゴンを傷つけさえした場合は罪人の烙印を押されるというのに。
『人はドラゴンには敵わない。それは立場も力でさえも。そうでないと言うならば、それを証明して見てください』
部屋の奥に下がったユウ。それと入れ替わるようにしてドラゴンが飛ぶ。その体に電気が纏い始めた。
『神に逆らうことが出来ると証明してください!』
仮面の脳天を狙うように雷は墜ちた。捌きのような光が次々に降り注ぐ。
「上等だ」
雷をなぎ払い、仮面は飛んだ。飛ぶドラゴンに向けて。ドラゴンが羽ばたきする。刃のように鋭い風に電気を纏う強烈な突風だ。その風を防ぐように仮面は剣を回した。直後に生み出された魔素の壁がそれを防ぐ。
激しい轟音が辺りに響いた。部屋のあちこちには行き場を無くした電気があちこちに流れている。地面に天井に足をつければ即座に感電するだろう。近づくだけでも危ない。
それが分かっているのか仮面は宙を飛び続ける。見えない足場を作り出しそれを蹴り飛ばして、ドラゴンの周りを飛び交う。
『やはりドラゴンには攻撃できませんか』
尻尾による攻撃をかわし、さらに放たれた無数のレーザーをかわしてみせた仮面にそんな呟きが耳をかすめた。
「馬鹿を言え。俺を誰だと思っている? 確かに普通の人ならドラゴンにあったら腰を抜かしてへたり込んで慈悲を乞うだろう。傷つけるなんざ気の触れた狂人くらいだ」
『……ではあなたも狂人になると?』
「いやいやまさかぁ。あーでもある意味そうかもね」
また放たれた光線を斬り捨てた仮面が言う。
「俺は〈竜殺し〉だよ。この世界最大の禁忌を犯した罪人さ。すでに罪汚れたた身……いまさら竜の一匹二匹なんざどうってことないね」
その言葉にユウは言葉を失うほどに驚く。目の前の者は〈竜殺し〉だと言った。それは自分を作った者と同じ罪人だというのか。
《警告、急激な勢いで体内の魔力が減少しています。現在の体内魔力六十パーセント――五十――》
「分かった分かった。うるさい黙れ。今は魔力じゃなくて魔素が必要なんだよ」
機械的な声を遮るように仮面は腕輪に触れる。そして今一度、目の前の巨大な存在を確かめる。
「気が変わった。ここまで来といて、これだけしといて手ぶらで帰るのは嫌だ。だからお前がなんと言おうが持ち帰ってやる。Dr.レナードの最後の遺産を」
ユウを指差して仮面は宣言した。
振るう剣に魔素が纏わりつく。やがて唸りを上げて巨大な流れを作り出す。
「眠ぬ竜よ。神でない、だが人でない特別な存在よ。愚かな掟ごと地に眠れ!」
強烈な一撃は放たれた。ドラゴンによる光線も、雷さえもその攻撃を阻むことができない。
ドラゴンはその一撃を持ってして動くのを止めた。
『あぁ……』
地に落ちていくドラゴンをユウはただ見ていた。あれは自分の分身であり、自分を縛る象徴のようなものだった。
ドラゴンには逆らわない。竜には逆らえない。世界の神である者に逆らってはならない。
その禁忌を犯して作られた自分は存在してはならないもの。この世界の人にとって忌まわしき邪悪なもの。
だから選んではならない。選ぶ権利は呪われた自分にはないと掟が縛っていた。
それが落ちていく。あっけなく落ちていく。
今まで縛っていた目に見えない鎖が崩れ落ちていくかのように。
――他でもない罪人の手によってそれは砕かれた。
「で、どうするんだ」
声が聞こえてきた。こちらに優しく語りかけるその声の元を辿る。
「世界の掟がなんだよ。そんなの一部の人間がギャーギャー騒いでるだけじゃねーか」
『その一部がどれくらいいると思っているんですか』
一部? いやこの世界の殆どだろうとユウは言ってやりたい。
「世界を敵に回せるくらいの一部だよ」
にやりと笑って仮面が答えた。分かっていてこいつは言っている。だからこそ禁忌を背負ったのか。
「俺はやりたいことやってたら咎人になったけど、君は違うだろ。全部他人がやってこうだと決めただけで、君自身はしてないだろ」
確かにそうかもしれない。ユウは作られたにすぎない。ユウ自身は何もしていない。
「それで君はどうしたい? ここを出たい? それとも引きこもっていたいか? まぁさっき持ってくって言ったし答えはどっちだろうが持ってくつもりだけど」
『……強情な人ですね』
「意味の分かんない事並べて否定する君ほどでもない」
敵わないなとユウは思った。この人には敵わない。ドラゴンだろうが神だろうが敵わないだろう。
『私は……――』
答えを言おうとしたユウ。だがその姿は突如として掻き消えた。
「……ユウ自身が消えたわけじゃなさそうだな。セキュリティか」
倒れた竜を見る。あれを出現するためにユウは管理セキュリティにハッキングしたのだろう。ユウの今までの存在はセキュリティの穴を付いた物だった。つまりは対策をされてしまったようだ。
「……じゃあ本体の所まで行かないとね。どうせ持っていくつもりだったし」
仮面は時刻を確認した。今からユウを連れて〈改変〉が起きる前に地上に戻る計算をすると急いだほうが良さそうだ。そう判断した仮面は足早にその場を後にした。
◆ ◆ ◆
誰もいなくなったその場に黒い影が現れた。その影は部屋を見渡し、それを見つける。赤い光が物言わぬドラゴンをじっと眺めていた。
その時、頭の中に響いた警告音。いや部屋全体が警鐘を鳴らして真っ赤に染まる。
《侵入者が最重要区域に侵入。守護者は直ちに排除せよ》
そのような命令が再三繰り返される。その命令を無視しようとするたびに、警鐘は高く鳴り響く。
地に跪いて動かなかった黒い影。だがピクリと肩を揺らしてゆっくりと動き出した。
足元がふらつきながらも歩く。その先には白いドラゴンがいた。




