3・流れ者と記憶持ち
〈大空洞〉地区第八層。
広がるのは暗い闇と淡く光る苔に覆われた大空洞。複雑に絡み合う上下の道と天井に連なる鍾乳洞。どこか湿った空気が流れ、水の落ちる音が何処からか響き渡る。
「我は今幻なる存在を求めてこの深き闇の底へとやってきた!」
そんな暗い洞窟に一人立つこれまた黒い者。フードを被りその下も黒い仮面に覆われた者だ。その者はただただ一人、立ち尽くす。周りにはもちろん誰もいない。
「今回の依頼は……この闇夜に息を潜めて生息するという〈ミミナガトカゲ〉。何故か耳の長いそのトカゲは珍味として有名である! だがこのトカゲ、この何でもありなというか無いものなんか無いんじゃないかとか思うこのダンジョン迷宮でも希少なモンスターだ! 故に幻と呼ばれるほどに滅多に姿さえ見られないのであるが……」
よく分からない独り言というには大きな声がこの大空洞に響く。マイクのような物を持っていたが、良く見ればそれはナイフである。どうやら袖口からするりと取り出したらしいそれを投げた。
風を切るように素早く投げられたそのナイフは一直線に飛んで行く。そして――
「キュイッ!?」
この広い大空洞をすばしっこく動いていたとある動物に当たった。その一撃で絶命したのか、耳の長いトカゲらしきそれは倒れていく。
「さすが幻影なる闇の主なんて呼ばれているだけある。見つけるのに少し時間がかかったぞ! だがしかし、この俺からは逃れられなかったな! 何せ俺は漆黒の……えっと……もういいや疲れた!」
仮面は飽きたのか疲れたように言う。実を言うとこのトカゲを探している間ずっと誰に向けてもなく喋っていたのだから当然か。倒れたトカゲに近づくとナイフを引き抜く。
ナイフを仕舞い、そして袋を取り出すとその中にそのトカゲを入れ、コートの内側に仕舞いこむ。ナイフならまだしもそのトカゲは三十センチは超えそうな大きさがある。しかも耳はその倍の長さだ。
そんな動物が入った袋を懐に入れれば盛り上がって目立つだろうに、そんな盛り上がりはコートの上には見当たらない。きっとコートに何かあるのだろう。
「さぁて今日の依頼も終えたし、帰るかなーっと!」
そんな不思議なコートを羽織った仮面の者は帰ろうと足を動かした。だが急に何かに気がつくと動きを止めた。
「…………魔力の気配はない。俺と同じ百七十センチくらいの背丈、何か長い物を持っている……ということは……」
仮面はおもむろにコートの裾を広げる。すると内側のコートからジャラジャラと音を立てて出てきたのは鎖であった。硬い少し湿った地面に長い鎖が落ちる。そして仮面が手を振った瞬間にそれは動き出した。意思を持ったかのように鎖がヘビのように素早く動くと仮面の後ろ、その暗闇の向こうに消えていく。
しばらくして――
「うわああああああ!?」
そんな情けない人の声が、この前聞いたような声が、聞こえてくるのであった。
「このクソ仮面が! やっぱりお前の仕業か!!」
「えーひどいなぁ人聞きの悪い事を。こっちはただ自己防衛しただけに過ぎないんだよ、隊長さん?」
「ならさっさと下ろせえええええ!!」
大空洞に隊長の絶叫が響く。そんな隊長は鎖で縛られ、逆さまに吊るされていた。
「たいちょーここは自力で脱出を頑張ってみてくださいよ!」
「俺らの井原隊長なら出来る! きっとやって見せてくれる!」
「そんなこと出来るか!? あとてめーら見てないで助けろよ! おいそこ写真を撮るなああああ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ周りには隊長と同じ緑服の者達。小銃を片手に吊るされた隊長を面白そうに見ていた。
「隊長元気そうだね? このままにしとく?」
「やめろ! 今すぐ下ろせ仮面! いや下ろしてください仮面様!」
「……そうだね。そろそろ遊びもおしまいにしようか」
そんな風に彼らが馬鹿騒ぎをしている間に、いつの間にか現れたのは〈洞窟ネズミ〉。大きさは先ほどのミミナガトカゲに匹敵するほどだ。それが約百は超えるほどの影がこの大空洞の先から現れ始めていた。
「おいおいまじかよ……全班戦闘準ん、ビィッ!?」
吊られていた隊長が命令を下す中、なにもこのタイミングでやらなくてもいいのに解かれた鎖により地面に落ちる。
「おのれ仮面! 今度エルフ族に人気のレストランに連れて行ってやる!」
「うわーエルフに人気とか聞いただけで絶対行きたくないわー。隊長一人で行けば?」
「強制だ! 連れて行くと言っただろう! 奢ってやるぞ?」
「断固拒否する! 奢るならまだカツ丼にしてくれ! それより敵来るぞ、隊長さん方よ!」
近づくネズミは隊長たち自動小銃を構えた部隊三十人程と仮面に迫った。さすがダンジョンモンスターというべきか、地上のモンスターとは比べ物にならないほどの強さを持つ。彼らはうまく連携を取り、人間たちを覆い囲み攻撃を加える。
「一番隊! 三番隊のカバー! 二番隊、前方からのネズミに一斉射撃!」
だが人間たちも一筋縄ではいかない。ネズミよりも優れた統率を持ってして彼らは迎え撃った。
「いやー的がいっぱいだといいよね! どこ撃っても当たるからさ!」
そんな中、部隊から外れて邪魔にならない位置で戦うものが一人。あの黒い仮面を被ったものであった。仮面は袖口からするりと取り出したリボルバーを両手に持ち、それをネズミに向けて放つ。その命中率は百発百中。当たらないと思われた銃弾でさえ、途中で曲がるかのようにして目標にたどり着き、そしてその生命を奪う。
また装填の場合は手を振ると袖口から銃弾が落ち、それが綺麗に弾倉に収まるのだ。それによって装填の隙もあまりなく、すぐに攻撃を再開する。
時たま先ほどの鎖も使っていた。その鎖は部隊の近くで彼らに脅威を与えるであろう存在のネズミを絡み取り、そしてその隙をついて彼ら部隊に処理を任せている。
そして一時間後には大量の空薬莢と共に山になったネズミに死体が辺りを埋め尽くしていた。
「……あたりに魔物らしき魔力の反応はないよ、隊長」
「そうか、仮面。……敵の排除を確認。戦闘終了、全班被害状況の報告を」
その隊長の言葉に張りつめていた空気が消え去る。疲れたように先ほどの戦闘によって銃身に熱を持ったままの自動小銃を手に緑の軍服の彼らは座り込んだ。
部隊の者たちを見渡すと、その殆どは若者だ。この世界ではない基準で考えればまだ親の保護下に置かれ、義務となっている教育機関に通っているような若者達だ。とても銃を片手に戦うような者達ではない。
「……もしかしてこの部隊は新人研修も兼ねた〈異界門〉捜索部隊か?」
「あぁ、そんな所だ。……被害ゼロか、弾薬は結構消費したが良い経験になっただろうな」
そんな彼らを労うように隊長は見ていた。隣に立っていた仮面もまた彼らをなんとなく眺めているとその内の一人と目が(仮面の下から)合う。
「あ、あの仮面さん凄いですね! さっきの鎖を操ったり、装填をする動きとか! あれってやっぱり魔法なんですか?」
まだ幼さの残る少年から飛んできた質問であった。
「まぁ、そんなところだ」
その質問に仮面は頷く。……本当は魔法など一切使っていないのだが、似たようなものは使っているから嘘ではないだろう。
「ああ、やっぱり! いいなー魔法……僕も使いたいな……」
「あのな、俺ら〈転移者〉には一生使えないぜ。魔力持ってないからな」
「本当、せっかくの異世界なのに生殺しだよなー。あぁ……こっち来るんだったら〈転生者〉の方が良かったな~」
そんな会話をする隊員達はこの世界の人ではない雰囲気を持つ者たちが多い。その証拠にこの世界の住人なら誰しもが持つ魔力を、彼らは体内に有してない。それを束ねる隊長もまた彼らと同じ存在なのだろう。
「もう少し緊張感を持ってくれよ……」
そんな隊長は困ったように隊員たちを見渡していた。
「隊長、上に戻るか? なら俺も一緒に行くが」
「……そうだな。予定より早いが切り上げるか」
仮面の言葉に隊長はあの半透明な腕輪に示された時刻を見つつ答えた。ネズミの残骸から売れそうなものを物色した後、彼らは去っていった。
◆
少しの浮遊感と光がなくなれば、そこはもうダンジョン内ではなかった。下層よりは陽の光が当たる街。赤屋根に木製の壁が特徴的な建物が周りに連なっている。
迷宮都市エルリアス、中層にあるポータルステーション区画。ここにある〈転移門〉から地下に広がるダンジョンに移動できる、いわばダンジョンへの玄関口だ。
それ故にこの区画には人が多く集まる。これからダンジョンへ行こうとする者、帰ってきた者、その冒険者相手に出店を出している者など様々だ。
そのダンジョンから今まさに帰ってきた者達である仮面達は人の集まる〈転移門〉から離れた場所で点呼を取っていた。
「〈チーム・フロッグス〉、全班居るな?」
「はい、います隊長!」
「よろしい! 一班は俺と共に今日の収穫を売りに行くぞ。二班は買い出し、三班は負傷者連れて先に帰っていること。まだダンジョン中の他の隊が戻り次第、夕方より報告会だ。だからそれぞれ任務が終わったら夕方まで自由時間とする、以上!」
「了解いたしました!」
隊長の指示を受けて緑の者達はそれぞれ動き出して行く。ある部隊はこの都市間の階層を移動する転移魔法陣へと。ある部隊は必要な物をリストされた紙を手に散開していく。
「…………」
そんな彼らを少し遠くから仮面が眺めていた。彼ら部隊員の殆どはこの世界の住人ではない。この街の地下に広がる迷宮に時たま現れる異界門を通って迷い流れ着いた者達。彼ら自身が転移者と名乗る者達であった。
この都市で彼らの存在は珍しくもない。約二十年前、異界の物がダンジョンのあちこちで頻繁に拾われるようになってから彼らという存在も頻繁に現れ始めたのだ。
「それじゃあ俺もこれで失礼するよ」
「ああ、ありがとな仮面。帰り道は助かった」
これから手に入れた物を売りに行くであろうこの流れ者の部隊を束ねる隊長と別れ、仮面は一人、人混みにへと消えていった。
◆
昼を過ぎ少し客の出入りが減った飲食店。そのテーブルの一つに仮面はいた。目の前には丼に白き穀物の実を炊き上げた物が入れられ、その純白なる絨毯の上に質量を持った衣を被った肉。さらに鳥類の卵と思われる黄身がその身を包む。
分かりやすく言えばカツ丼。異界の食べ物であるが、流れ者が増えたこの都市ではポピュラーな食べ物である。
「……やっぱりまずい」
そんなカツ丼を仮面が一口食べ、いきなり出た言葉はこの丼の存在を否定する言葉であった。以前よりこのカツ丼の名を言っていたため久しぶりに食べに来たのだが、やはり己の舌は変わらずこの食べ物を拒絶している。
(……記憶では"美味しい"なのになー)
もう一口、箸で肉を掴んで頬張る。以前の、いやそれ以前の記憶の通りの味。だけどどこか味が違って感じる。それはあの時と己の身体が違うからか……。
仮面には、その者には以前の――この世界に生まれ出るそれ以前の記憶がある。それはこことは違う世界で生きた記憶、十七という若さで命を落としたとある者の記憶だ。
〈記憶持ち〉、所謂前世の記憶という奴らしい。
(だけど……これは本当に自分の記憶なのか……? だってさ、このカツ丼は――)
「――まずい」
「お客さん、中央地域出身なのかい?」
仮面が文句を言いつつ食べていると、テーブルの隣にいつの間にか店員が立っていた。背の低いドワーフ族と思われる女性だ。中央地域と言えばこの都市から西にある辺りを差す。
「……いえ、違いますね」
仮面は少し焦りながら答えた。何せ自分はこの店の料理をまずいと言っていたのだから。だが店員は笑顔で答えた。
「あら違ったのね。いやね、この地域の食べ物は中央の人達には合わないらしくて、お客さんもそうなのかなって。でも、味は合わないようだし、美味しい物食べたいなら上層の方へ行ったほうがいいよ。まぁ物珍しくて食べているのなら止めはしないけどね」
店員はそれだけ言うと他の客に呼ばれ注文を取りに行く。確かにこの店内、居るのは流れ者の中でも隊長のような者達、そしてこの都市周辺に住む者達が多い。中央地域出身と思われる者達は居なかった。
(生まれるんだったらこっちの方が良かったかもなぁ……)
そんな事を思いながら仮面にとってはまずいカツ丼を食べ進めていく。あと少しで食べ終わる、そういった所でチャイムが鳴り響いた。それは魔力回線を用いた通信が仮面に着たことを知らせていた。
「はいはい、もしもし」
丼を持ったままに仮面はその通信に出た。ちなみにその通信を受信しているのはその者の特徴とも言える黒い仮面である。
『おう、元気そうだなあんちゃん。俺の作った仮面を使いこなしているようで何よりだ』
聞こえて来たのはとても軽い口調の男の声。その声は久々に聞く。
「まぁぼちぼちだ。それで俺に何のようだ? ルーサ博士?」
『ガラじゃないんでね、博士って呼ぶなって言っているだろう? ……それよりあんちゃんに依頼だ』
「依頼? 実験か何かの手伝いか?」
『詳細は俺の家でな! んじゃ待っているからな、絶対来いよ!』
そう言い残して博士は通信を切った。その通信に不思議に思いながらも仮面はカツ丼を食べ終え、代金を払う。そして彼の家に向けて歩き出した。