26・閉ざされた道
〈白塔の都〉を出た仮面を待っていたのは、紺色の制服を着込んだ者達だった。治安局の者たちでどうやら立ち入り禁止になった〈白塔の都〉に誰も入らないように、その入口を封鎖していたようだ。封鎖しているはずの入り口から出てきた仮面にその場にいた者たちは驚いていた。その彼らの中から一人の半獣人が驚く声を出して仮面に近づいてくる。
「な、なぜ貴方様がここに? このダンジョンは立ち入り禁止でありますよ!?」
「やぁリンリー。こんにちは」
リンリーに手を振って明るく答えるも、リンリーは仮面の姿に青ざめた。雨に打たれたかのようにずぶ濡れの服には、至る所に切り焼かれたかのような後がある。しかも仮面は労るように腹を片手で抑えていた。血は出ていないが明らかに怪我をしている風体だ。
「こちら十番隊。怪我人を発見いたしましたので、至急治療できる者を回してください」
どこかへ通信をかけているのか、リンリーは耳に手を当てて話していた。
「いいよ。これくらいかすり傷だ。上に戻って治療してもらう」
だがそんなリンリーに構うこと無く仮面は去っていこうと歩き出す。
「ダメであります。なぜあのダンジョンにいたのか事情を聞かねばなりませんし――」
「怪我人に取り調べするの? 治安局の人達は意地悪だなぁ」
自分の前に立ちふさがったリンリーに仮面は鬱陶しそうに笑う。その笑みはいつもより弱々しく感じた。
「先ほど、かすり傷だとおっしゃいませんでしたか? それにじきに治療できる者が来てくれるであります。上に戻るよりも早いですよ」
どうやら治療の出来るものが同じダンジョン区内にいるらしい。そうでなくては通信も届かないから当然ともいえるか。
「いや、結構だ。あと事情はただ禁止区域と指定された発表を知らずに入り込んだ。これでいいだろ?」
止めようとするリンリーの手を振り払って仮面は歩く。断固として治安局からの治療を受けないようだ。
「わ、分かりました。ではボクが上まで付き添います。それでいいでありますね?」
「……まぁ、いいか。足手まといにはならないでね?」
怪我人に足手まといになるなと言われるとは。少しだけリンリーは頬をむくれつつも、さっさと立ち去ろうとする仮面の後に続いた。
道中では特に危険な事はなかった。それどころか敵の姿さえ見えなかった。まっすぐ帰らず変な道ばかりを選ぶ仮面の後に続いたからだろうか。不思議に思いながらもリンリーと仮面は〈転移門〉を通って、迷宮都市のステーション区画にたどり着いた。
「ここまでで十分だ。君も仕事があるだろ? 戻ったほうがいい」
広場にたどり着いた瞬間、リンリーにそう告げて仮面は立ち去ろうとする。
「ダメであります。せめて医者の所までは連れて行くでありますから!」
リンリーもまた頑固だった。というのも先ほどよりも仮面の様子が悪い。歩く足元が少々ふらついていた。いつもは余裕そうに振る舞う仮面がここまで弱っている。まだ出会ってそれほどでもないリンリーでも、事の深刻さには気づいていた。
「だからここまでで――」
コートの裾を掴んで放さないリンリーの手を振り払おうとした時、仮面の体がぐらりと揺れる。苦悶の表情をしながら思わず地面に片膝を付いた仮面に、リンリーは慌てた。
「ん? ヘイ、そこにいるのは仮面さんじゃないか」
そんな時だった。通りの向こうから誰かがかけて来る。夕暮れの日差しを受けて綺羅びやかに光る金髪を揺らしながらその人物は仮面たちの前に立った。
「リーシャか?」
いつもの緑色の戦闘服を肩に掛け、黒色のタンクトップにズボン姿のリーシャがいた。仮面の只ならぬ様子に、リーシャは眉間にしわを寄せる。
「おいおい何かハプニングにでも巻き込まれたか?」
跪いた仮面の肩に手を置いて、リーシャはフードの下の顔を覗き込む。仮面で顔の半分が隠れているが、口から浅い息遣いをしていることがわかる。こんな仮面の様子を見たのはリーシャには初めてだ。
「オレは少しなら治療魔法が扱える。だからここで治療をしてや――」
「いい。知り合いの所に行く」
リーシャの手を振り払って仮面は立ち上がった。だが急に立ち上がったのがいけなかったのだろうか。数歩歩いて倒れそうになる。
「そんな体で行けると思ってんのか?」
リーシャは言うなり仮面の体を受け止めた。腕も細くリーシャでは支えきれないように思えたが、案外しっかりと仮面を支える。
「分かった分かった。じゃあリーシャ、君が俺を連れてけ。場所はここで」
まるで観念したかのように仮面が言うと、自分の仮面に手を触れて何やら操作をした。すぐにリーシャの右手に付けられていた半透明な腕輪に反応がある。腕輪を叩いてホログラムの画面を出すと、先ほど仮面が送った場所の詳細がリーシャの端末に届いていた。
「リンリーは仕事に戻ってろ。報告とかあるだろ?」
「ううっ……分かりましたであります。この方の事を頼んだであります!」
「OK! 任せときなって」
心配するリンリーに仮面は一つ笑みを見せ、リーシャは力強く頷く。そしてリーシャは仮面を抱きかかえた。
「おい、これは何の真似だ」
「何って仮面さんは怪我人なんだからオレが運んだほうがいいだろ?」
「ああ、君の行為には感謝しよう。だがな、だからってこの体制にしないでくれるか!」
リーシャは仮面を抱きかかえている。横抱きの状態だ。それはつまり俗にいうお姫様抱っこというやつである。
「普通逆だろ」
「いいや、案外これで正解かもしれないぜ? オレは意外とカッコイイからな!」
そういうリーシャをまじまじと仮面は見る。リーシャの容姿はエルフであるためとても整っている。だがそれはカッコイイ容姿とはかけ離れており、嫋やかな美少女と呼ぶに相応しい。森の中で小鳥と戯れる儚くも美しい……そんな感じが安易に想像できる。けして銃火器を振り回したり、ナイフ片手に前線を突っ切ったり、170は超える者を軽々と抱きかかえる者のようには見えない。
そんな者に今仮面は抱きかかえられていた。
「腑に落ちん。詐欺だな……」
「怪我人は黙ってろよ」
リーシャの言葉通りに仮面は押し黙った。いや、仮面の気力も限界だったのだろう。仮面は運ばれていく中、徐々に意識を失っていった。
◆ ◆ ◆
「…………」
薬草のキツイ匂いと話し声。まどろむ意識の中、仮面が最初に意識したのはその二つだった。目を開けると木の天井。魔法の照明の柔いオレンジの光が仮面の目に入り込んできた。その光を見つめたまま、仮面はあたりの気配を探る。近くに馴染みの魔力の反応があることを認識し、なぜ自分がここにいるのかを段々と思い出す。
「あら、やっと起きたのかい。あんたにしては遅いお目覚めだねぇ」
「……おはよ。姐さん」
その声は狐の獣人だ。返答をしつつ仮面は起き上がり自分の体を見る。いつものコートは脱がされ、その下のベストもない。いつもの上着がないためか、シャツだけを着ている仮面の姿はいつもより華奢に見えた。その下の体には包帯が巻かれていた。一通り体を動かして問題がないか確かめているともう一人の人物が声をかけてくる。
「グッドモーニング! 目が覚めたようでよかったぜ、仮面。怪我の具合はどうだ?」
リーシャが嬉しそうな表情で仮面を見ていた。仮面はリーシャに笑顔を返しつつ、動かしていた体を止めて言う。
「あぁ、問題ない」
「そりゃ良かったよ。オレも怪我の治療を手伝ってやったからな」
と、リーシャは満面の笑みで答えた。すると笑顔だった仮面の表情がぴくりと凍りつく。そのまま横へと顔を移動させ、隣の狐を見る。
「……おい、姐さん。これはどういうことだ」
その仮面の声はとても低くまるで怒っているかのようだ。そんな仮面に対して狐は変わらずに笑みを向けながら答える。
「今回の怪我は大きかったんだよ。私だけでも治せたけど手伝って貰ったほうがいいと思ってね。大丈夫よ、だってあのイノ坊の所の子なんだよ」
イノ坊とは多分井原のことだろう。仮面の下から睨みつけているのだろうか、しばらく狐を見続けた後、仮面は諦めたようにため息をついた。
「いいじゃねぇか。オレら似たもんだろ? それからアレは案外正解だったろ?」
「お前と俺じゃ方向性が違うんだよ。あと今だから言うがアレはどっちだろうが正解ではないぞ」
リーシャは仮面の隣に座るとその背をバシバシと叩く。仮面は顔を片手で覆い今度はとても長いため息をついた。
「……待て、なんだこの日付は!?」
顔に手を当てていた仮面が突然驚きの声を発する。仮面の内側の画面。そこに映っている今日の日付を見たのだろう。その日付はここに運ばれて寝て起きたにしては進みすぎている。
「あぁ、あんた三日も寝てたのよ。流石の私も心配してたんだから」
「そうそう。たまたまオレは様子見に来ただけ。それでちょうど起きたからオレタイミング良かったぜ」
どうやら仮面はあれから三日も寝込んでいたらしい。道理で減った魔力の回復が速いと思った。それだけ寝ていれば仮面の魔力も十分に回復する。
「……《改変》は三日後。もうダンジョンは全域にかけて立ち入り禁止になってるな」
「まぁそうだな。もう中層の〈転移門〉の入り口は入れないように封鎖されていたぞ」
仮面の呟きにリーシャが不思議そうに答えた。




