11・骨折り損のくたびれ儲け
「へぇーあの隊長さんと危険なドライブデートをしていたのねぇ……」
目の前に座る者が話した話にどこか面白そうな笑みをしながら、妖艶な狐の美女は煙管を吹かす。いつもの彼女の薄暗い実験室。その暗さに映える真っ赤な詰襟のドレスを着た狐が机に寄りかかって立っている。そんな薬草の匂い漂う部屋に混じるように煙がユラユラと舞う。
「その言い方は止してくれ狐の姐さん。虫酸が走る」
そんな狐をソファから見上げる者が一人。フード付きのコートを羽織った全身黒ずくめの者だ。同じく黒い仮面が煙草の火を反射させていた。
「あらごめんなさいね。それで……その後結局どうしたのよ?」
「どこまで話したっけ……? あぁ、〈転移門〉を通ったところか。あの後は無事に〈転移門〉を通って〈白塔の都〉を脱出できたんだ」
あの後、〈白塔の都〉というダンジョンを〈転移門〉を使って仮面と隊長こと井原は脱出することができた。その〈転移門〉が繋がっていたのは、あの〈銀雪の丘〉。そのダンジョン内で場所は彼らが落ちた空洞ではない。その空洞のあった階層よりひとつ下の階層にある洞窟であった。無事に洞窟の外に出ると通信が復活し、リーシャ達と合流しこうして地上に戻って来れたのだ。
「いやーもう大変だったね……。できればもう行きたくない所だったなあそこは」
そういう仮面は疲れたようにため息を吐く。確かにあそこは仮面にとって最悪な環境であった。そんな場所に長時間居たら死んでしまうくらいに。
「そうなの? でも話しているあんたを見ていると……なんだか楽しそうだったみたいに見えるわねぇ?」
仮面で表情は見えない。だが狐は声の調子と雰囲気からそう感じ取ったようだ。話している時の仮面はどこか楽しそうであった。狐が出会って以来初めて見るくらいにだ。
「……狐の姐さん。そんなことないって。もし楽しんでたら俺はドMになっちまう」
そういって否定する仮面であるが、狐は信じていないのか笑みが崩れなかった。
「……ドMじゃないの。だって今回の報酬出なかったんでしょう?」
「そうなんだよ! あのルーサの奴め! 何が市場に欲しいパーツがあっただ……俺の報酬金を使いこみやがってえええ!!」
仮面の怒りの声が響く。今回の依頼である〈白塔の都〉を見つけることを無事に達した仮面であったが、その依頼の報酬は払われなかった。その依頼主であるルーサがどうやらそのお金を使い込んでしまったのだ。報酬金は金が溜まったら必ず渡すと言っていたが、本当かどうか怪しい所である。
一応、金は貰えなかったが仮面三個は貰えた。これでアイデンティティーを失わずに済んだが、これでは生活が出来ない。この仮面で何ができる。こんなもの、情報を見る事と顔を隠す事しかできないちょっと変わった鉄板ではないか。
「まったく……ボランティアにも程があるな。でも、ルーサは仮面作ってくれたし……これ作れる奴この世界だとアイツくらいだし……」
しかしこのことに関しては仮面はあまり強く言えない。というのもルーサは仮面のまさに付けている“仮面”を作った人物である。彼だけにしか作れないオーダーメイドでこの“仮面”に値段は付けられないだろう。それをそこそこ高いが手に入る値段で売ってくれるのだからあまり文句は言えない。
「やっぱりドMね、あんたは」
そんな仮面を呆れたように狐が見ていた。
「なんとでも。……あぁそうだ、ここへきた目的を忘れる所だった。いつもの薬が欲しい」
狐の目線を無視するように仮面は立ち上がる。そしてくれと言わんばかりに手を狐の前に差し出す。
「いつものって……眠りの薬? もう無くなったていうのかい?」
狐が驚きつつも一つの棚に向かう。そこから取り出したビンの中に入った丸い錠剤を小分けする。そして仮面に代金と交換するようにして渡した。
「まぁね」
「そんなに眠れないならあたしが添い寝してあげてもいいんだけど?」
そういうと狐は仮面の顔を包み込むように両手を当てた。まるで仮面の下の瞳を覗きこむように顔を近づけた狐の表情は、どこか仮面を心配するように見ている。
「薬は時に毒になるんだ……あまり使いすぎるのは良くないわよ? それよりもあたしと一緒に寝たほうが体も心も休まると思うんだけどねぇ?」
どこか誘うように囁かれた言葉は仮面の耳に届く。相変わらずこちらを心配そうにして覗きこむ目の前の狐。狐の耳が頭の上で時々動き、黒き髪がさらさらと流れる。薄暗い部屋の明かりに照らしだされた顔は彫刻のように美しい。視線が外らせないほどに目を奪われる美女がまさに目の前に居て、先ほどの言葉を掛けてきたのだ。こんな美女と一夜を共にすればそれはきっと甘美で夢心地なのだろう。
――が。
「……狐のばあさんの介護は疲れそうだな」
あっさりと仮面が今の場の雰囲気に沿わない事を口走る。
「誰がばばあよ! 誰が!」
「いってぇ!!」
仮面の言葉に怒ったのか狐が頬をつまんで引っ張る。
「まったく……もうあんたなんか知らないわ!」
しっぽの毛も逆立たせて怒る狐だった。だがその姿は美女のそれなのでそんな姿も美しく人を魅了してやまない。こんな美女の誘いを断るとは惜しいことをしたものだ。
「ごめんごめん、せっかくの申し出だけど俺は遠慮しておくよ。それじゃ狐の姐さんまた来るよ!」
引っ張られた頬を擦りつつ仮面が出て行く。狐には何の未練もないと言わんばかりにさっさと立ち去ってしまった。
「あーぁ、残念。フラレちゃったわねぇ。まぁ半分冗談だったからいいけど」
少し残念そうにため息を付いた狐。すぐに立ち直るといつもの作業へと戻っていくのであった。
◆ ◆ ◆
迷宮都市エルリアス。縦に掘られた穴に出来た街が広がる不思議な地下都市だ。上から見ればそれこそハチの巣のようだが、さらに横にアリの巣のように街が広がっているのを知っているだろうか。
薬師として店を構える狐の家はこの縦穴に掘られた街の外周側にある。外周側はさらに地面を掘り出して街が広がっており、幾つもの横穴の道が列なる一種の地下街のような雰囲気だ。その店の列なる一つに狐の薬屋がある。
そんな狐の家を出て外周の地下道を通り過ぎると、幾重にも上に下にと重なった街の中心街に出るのだ。
「……確か、この階層より一個上だったな」
最下層に近く、上に列なる階層に邪魔されもう殆ど陽の光が見えない上を見つつ、仮面は歩き出した。向かう場所はもちろん上に行くための階段だ。この街には随所に上や下に続く階段がある。だが、階段を使う者は今時珍しいだろう。魔法があるこの世界だ、魔法を使いこの街を行き来する者が多い。魔法が使えなくとも、最近は〈転移魔方陣〉がある。一瞬で行きたい階層へと連れて行ってくれる。
しかし仮面はそんな便利な物を使用せずに普通に階段を使って行く。仮面にとってはただ階段で行ったほうが近かったという理由もあるだろう。
しばらく階段を登ると下と同じような木造の家が立ち並び、冒険者らしき者たちが歩く道に出る。この上もこの下も第七フロアと呼ばれる区画内である。この第七フロアには知り合いの家が多い。そんな知り合いの一人の家の前に仮面はたどり着いた。
木造の壁に赤い瓦屋根が特徴的なこの街の一般的な一軒家に、似合わないガレージが併設されている。その家の周りには相変わらず目に痛い光に照らされた機材の山が庭に置かれていた。
「おいルーサ! 金は出来た……のか?」
報酬金を払わないルーサの催促にやってきた仮面であった。今日こそルーサから金を取ろうとしていた仮面であったが、いつもと違う彼の作業場に少し驚く。いつもならばあの音の出る箱から近所迷惑と思うほどに耳障りな音楽を流して作業をしているルーサだが、今日はその音の出る箱からは何も音楽は流れていない。静かな作業場だ、だが作業をする音は聞こえて来てそしてルーサとその助手、さらに誰かもう一人いるようだ。
「……ん、なんだ? ゲッ仮面!?」
仮面に気がついたルーサが驚いた表情をしつつ、目の前の二つの車輪の付いた機械を弄っていた手を止めた。そんなルーサに仮面は驚くのを止めて近寄る。
「ゲッとはなんだ? 俺は依頼を達成してきたんだぞ! いい加減金を払え、ルーサ!!」
「ま、待てよ、落ち着け仮面! まだ支払いの期限は来てないだろう!?」
「期限なんか決めてないがもう過ぎているようなもんだ! 即時に払え!」
「払うって! 今は無理だけど必ず払うから許してくれよおおお!!」
仮面に服を掴まれ揺らされながら叫ぶルーサであった。
「あ、あの、事情は分かりませんがとにかく落ち着いてください!」
そんな二人の間に小さな影が入り込む。割って入ってきたのは黒髪の上に帽子を被り、治安局の紺色の制服を着た小柄な虎の耳と尻尾を持つ半獣人であった。
「……ん? 君は確かあの時の」
「あ、ボクの事、覚えていてくれていたんですね!」
その半獣人は仮面に見覚えがあった。確かあの砂漠で巨大魚に食われていたのを助けた子だ。
「ボクの名前はリンリー・フーであります! あの時は助けてくださいましてありがとうございました!」
そう言って半獣人の子――リンリーは敬礼をしつつ言う。
「元気そうで良かったよ。リンリー・フーね、よろしく」
仮面はそう言ってリンリーの頭をポンポンと叩くように撫でる。すると嬉しそうにリンリーは笑った。
「さてと……おいルーサ、逃げているんじゃねーよ」
仮面が振り返ると、静かにこの場を離れようとしていたルーサがいた。
「聞け、リンリー。あいつは俺に依頼を出しておきながら金を払わなかった奴だ」
「え、それは本当でありますか!? 治安局の者としてそれは見過ごせませんね……」
この街の平和を守る治安局の人であるリンリーは、仮面の話を聞いて険しい表情をしてルーサを見つめる。
「ま、待て! 仕方なかったんだ!! だってこの虎っ子がこの“バイク”に乗ってみたいって言うから……その必要なパーツを買うために仕方なく俺は――」
ルーサは先程まで弄っていた機械を指差す。彼がバイクと呼んだ二つの車輪の付いた機械であった。どうやらルーサはリンリーの為にバイクを修理していたようだ。その為に必要なパーツを買い揃える為に、仮面の報酬金を使い込んだらしい。
「だからって俺の報酬金を使うんじゃねーよ! この野郎!」
仮面の怒りの声がその場に響くのであった……。




