1・黒き者
薄暗く湿った森の奥深く。誰も踏み入れることが出来ないような場所に、その洞窟はひっそりと存在していた。外から中を覗こうにも光など一切通さぬ闇ばかり。しかし、光など無いはずの闇の中に赤く光る二つの光。その光は無数に存在し、洞窟の至るところから浮かんでいた。
まるで侵入者の侵入を許さぬ威嚇の炎。……まぁ、実際にそうなのだが。
「あーそんな睨むなよ。用が済んだら出て行くからさー」
無数の視線は一つの方向を向いていた。その中央は入口の光と闇の境目。その境界には光を背にして立つ黒い人影。いや、黒く見えたのは逆光もあるが着ている真っ黒なコートのせいだ。しかも、フードを被っているから余計にそう見える。
黒い者はコートの端を翻しながらゆっくりと進む。歩くたびにブーツの地面を踏みしめる音と、周りを囲う赤い光を持った者達の威嚇の声がこの洞窟内に鳴り響く。
「俺を歓迎……しているわけないよなー」
若干残念そうに言いつつも、威嚇の声には怯みもせずに黒い者は進んでいく。一歩、また一歩と進むたびに威嚇の声は激しくなり、とうとうその赤い光の一つがこちらに飛びついてきた。
暗闇から飛び出てきたのはヘビだ。だが、大きさは犬ほどに大きく、その鋭い牙は岩をも砕きそうなほど。
「うぉっと」
飛び出てきたヘビを片足を軸に回るようにして素早く回避する。それを合図にしてか一斉に他のヘビたちも動き出した。狙う先はもちろん巣の侵入者である黒い者。一体何匹いるのだろうかと思うほどの数のヘビが、洞窟に音を轟かせるようにしてその者に迫り来る。
「悪いけど君たちの相手をしに来たわけじゃないんだ」
黒い者がそういった瞬間、ヘビたちの動きが止まった。いや、止まったのではなく何か壁のような障害物にぶち当たったようだ。第一波のヘビたちが壁に激突したまま、後ろから更に何千匹ものヘビたちが押し寄せ、そのヘビたちも壁に激突し下に積み上がっていく。気付けば黒い者を囲うようにヘビの山を創りだしていた。
「これは……気持ち悪いな」
黒い者とヘビを隔てる物はなにもない筈なのに、ヘビたちは見えない何かによって黒い者に近づけないでいた。そのヘビたちが重なりながらうごめく様はあまり良い光景とは言えず、ギィーギィーギャーギャーと泣き叫ぶものだからうるささも半端なものではない。
「分かった、分かったから! すぐにここを出て行くよ! 用事が済んだらだけどさ!」
うるさそうにフードの上から耳を塞いでいたが、そんな行動もすぐに止めるとこの騒音の中、黒い者は颯爽と動き出す。動いた瞬間に前に居たヘビの山もまるで雪を除雪するかのように押し出されていく。
「ちょっと前見えないんだけど! 前見えないんですけど!」
積み上がる目の前のヘビ達に向けて黒い者は言うが、当然そんな事をヘビ達が聞き分けるわけがない。
「まったく手間のかかる子達だよね。親の顔が見て……」
その時ハッとしたように黒い者が上を向く。暗闇が広がる天井から何か大きな物体が落っこちてきた。ドシーンッと言ったような何かがぶつかるような音を轟かせ、それと共に発生した突風により積みあがっていたヘビ達は木葉が散るように吹き飛ばされていく。
「……あ、もしかして親御さんですか?」
そんな呑気な声を上げる黒い者の上には、宙に浮いた巨大ヘビがいたのであった。ヘビは宙にというより何かの上に乗っかるようにして黒い者の頭上にいる。その黒い者とヘビを隔てる何か壊そうとヘビは尾で叩くのだが、ドーンドーンという音を響かせるだけで終わる。どうやら黒い者の周囲には、ドーム状の何かが展開されているようだ。
「ちょっとあなたの子ども達、しつけがなっていないんじゃなくて? えっ親じゃない? そんなー」
まったく誰に話しけているのやら、黒い者は独り言をしゃべり続けながら洞窟内を進んでいく。もちろんその頭上には、とてつもなくデカイヘビを引き連れてだ。ガンッガンッギャーギャーといった巨大ヘビの壁を叩くような音と、鳴き声はこの洞窟を震えさせるほどに響くのだが――
「ごめんよー、今耳聞こえなくしているから何を言っているかさっぱりなんだー」
軽い調子で黒い者が返事をしながら、迷うこと無く進んでいく。
「あーあったあった、依頼された薬草! これを探してたんだよね!」
洞窟の奥深く苔やらに覆われた一角。そこに生える一つの真っ黒い草。それが目当ての物だったのか黒い者は一つそれをその辺の雑草を抜くがごとく、掴んで引っこ抜くと袋に入れて懐へとしまう。
この黒い薬草はとある難病を治す薬を作るのに必要な物で、とーても貴重な薬草なのだがそれを知ってか知らずか黒い者はこんな扱いだ。薬草採取の道のプロが見ていたら激怒された事だろう。
「いやー意外と楽な仕事だったな、さぁー帰ろうか」
ちょっと近所を散歩したかのような雰囲気で帰ろうと黒い者入口を向いた瞬間、ふと真上を見る。
「……と思ったけど、こいつと遊んでからにしようか?」
真上ではこちらを血走った目で睨んで相変わらず暴れている大きな大きなヘビ。少しばかり存在を忘れていたらしい黒い者は下から覗くように見る。
「ふむ、見た感じ〈ボスモンスター〉かな? でも、強さ的に〈フロアボス〉に近いけど……〈フロアボス〉ならさっき見かけて気絶させてきたしなぁ……ああ、〈ユニークボス〉ってやつかな?」
なるほどといった具合に手を叩いて一人納得をする黒い者。いい加減独り言が多すぎる気がするのだが、それを指摘するものは誰もいないのであった。
「……久々にちょっとだけ本気出して遊ぶか」
別に辺りを見渡さなくても人が居ないことは分かっているはずなのに、きょろきょろと首を回して周囲を確認してから黒い者は――消えた。
まるで闇に溶けるようにして消えていった存在に、真上で見ていた巨大ヘビが驚くように目を見開いた気がする。巨大ヘビが驚いて固まっていると何かの壁も同じく消えたのか、地面に落っこちまた大きな音を洞窟に響かせた。巨大ヘビは落ちた衝撃からすぐに立ち直ると、先程まで見下ろしていた存在を探すように辺りをきょろきょろと見渡す。
「……でも、本当にこいつ〈ユニークボス〉かな? 見た感じただバカでかいヘビなだけのような気がするんけど」
聞こえて来た声にバカでかいと言われたヘビが驚くかのように声を上げる。何せ聞こえて来た場所は自分の真後ろ、つまり自分の背中の上だ。その上にはいつの間にか黒い者が立っていた。
「やぁ、さっきは散々見下されていたから、今度は俺も見下してみようかなって思ってね!」
ウインクでも飛んできそうな勢いで言う黒い者。そんな黒い者の態度が気に食わなかったのか、巨大ヘビはその巨体の長く、そして太い尻尾で背中に乗るゴミを払うように振り回す。
しかし、そんな巨大ヘビの攻撃は受け止められた。どこから出したのか剣を手にした黒い者はその剣で尻尾を受け止めたのだ。
「これ、この尻尾売ったらいくらになるの? あー欲しい……欲しいけど……」
ぶつぶつと悩む声とともに、シュッとした風切り音が聞こえてくる。それと同じくして巨大ヘビの尻尾は斬られた。まるで鋼鉄のように固く太い尻尾は紙でも切るかのようにいとも簡単に斬られたのだ。
「これ売ったら君を倒した証拠になりそうだから諦めるしか無いよねー……」
少し短くなった巨大ヘビが痛みから暴れる中、素早く離れた黒い者は残念そうに呟く。さすがにここまで舐められっぱなしのヘビは堪忍袋の緒が切れたのか、体にバチリといった雷を纏わせ始めた。
「……属性は光ねー。まぁ知っていたけど」
このヘビ、触れた相手を感電死させるほどの電気をずっと纏っていたのだ。だが、そんな巨大ヘビの上にいたというのに、特に問題がなく黒い者は今も活動しているのであった。
「えっなになに? 雷でも落とすつもり? 雷でも落とすって?」
巨大ヘビの体はどんどん発光していく。この暗かった洞窟内が今や眩しいほどだ。並みの人なら逃げ出すような状況だというのに、余裕そうに巨大ヘビを止めること無く、悠々としている黒い者。
そんな愚か者に対する罰を与えるかのように、怒涛の稲妻は放たれた。地面をえぐるその強烈な一撃は迷いなく黒い者に迫り来るのだが――
「ま、俺には効かないんだけどね」
たった一言、そう言うと黒い者は先程尻尾を斬った剣でやはり簡単に稲妻を斬ってみせた。
「……もうちょっと遊ぼうかと思ったけど、時間ないみたいだしこの辺までにしようか?」
渾身の一撃だったのか唖然と固まる巨大ヘビに向けてどこか楽しそうに告げる。また闇に消えた黒い者。それから数秒も経たずに、巨大ヘビはぶん殴られるようにして飛ばされていった。
「……ふむ、意外と飛んだな」
壁にめり込んだヘビを見つつ、黒い者は満足そうに言う。その黒い者のフードはいつの間にか取れており、その下にあった顔を見ることが――できなかった。
何故かと言うと顔の上半分はまたしても真っ黒い仮面に覆われていたのだ。目元の部分も開いていなく、どうやって前を見ているのやら。フードが取れた事で分かったのは髪の色くらいだろう。その色は黒色だから特に意味がないが。
「いやーそれにしてもまぁ……そんなに遊べなかったな」
残念そうに呟きながらフードをかぶり直す。見える口元の肌色以外全身真っ黒という、ファッションセンスなんて皆無な格好をした者。いや、ある点からみればカッコイイと思えるだろう。仮面も被っている点も評価できる。はたからみたら痛々しい格好なだけかもしれないが……。
と、そんな事をしている間に、洞窟内に地の底から聞こえてくるかのような地響きが響き渡る。
「……さっきからさー分かっていたけど、君が騒いだり騒いだりするからこの洞窟崩れるようなんだ」
とかなんとか黒い者言うが、巨大ヘビを壁に叩きつけたのが一番の原因とは言わない。そんな事は黒い者が一番分かっている。だから言わない。
「という訳でおじゃましました!」
辛うじて生きている巨大ヘビを置いて、さっさと洞窟から逃げ出す黒い者であった。
◆
「いやー疲れた疲れた……」
崩れて入れなくなった洞窟を前にして黒い者はとぼけた様にまた独り言を言う。巨大ヘビ達がどうなったかというとまだ生きているようだが、この崩れた洞窟から外に出るのは難しいだろう。
「まぁ元々洞窟で生息している訳だし問題ないだろ。他の冒険者とか来た場合が問題だけど、またすぐ改変が来てこの状態はリセットされるしいいよね!」
そんな事を呟いて、黒い仮面を付けた者は動き出す。
「本当、ここのダンジョンは凄いね。まるでゲームみたいだ。まぁゲームと違って死んだらそこで終わりなんだけどな」
迷宮都市の地下に広がる無数にあると言われるダンジョンの一つ。〈森林〉地区第五十層。誰が付けたか〈フロアボス〉という強い魔物が闊歩する、数あるダンジョン内でもわりと難易度な階層。
――その階層にある冒険者達の間で、〈隠しゾーン〉と噂される場所での出来事であった。