幕間:サクラの決意
宵闇の中、一台の古めかしい馬車が、オウカの街を駈け抜けていく。
舗装はされているものの、日中の激しい往来のために石畳には凹凸が生じており、車内はガタガタと震動する。
「前例がないにも、限度というものがありますぞ!」
乗車している長い白髭の老人が、右へ左へよろめきながら悪態をつく。何やら振り子のようなモノ(黄金製で籠状になっている)に香木の欠片を詰めている。――「儀式」の準備の真っ最中だ。
「ルール破るのは好き」
向かいのシートに座すプリンセスが、余計なことを言って老人に窘められる。
馬車の中には、少女と老人の二人きり。スカートを膨らませるためのクリノリンがスペースを食い、儀式を進行する大司祭しか乗り合わせることができなかった。勇者さまと騎士団長は別の馬車で先行している。
「それでは姫さま……始めますぞ」
老人――派手な法衣を纏った大司祭が、振り子に入れた香木に晶石の粉をふりかけ、魔法によって火を点ける。香木の欠片には炎のルーンが刻まれているようだ。大司祭は催眠術よろしく、振り子をプリンセスの眼前で揺らし始める。紫煙が洩れ出して、車内は独特の甘い匂いで満たされる。
詩を吟じるように、大司祭は口上を述べる。
「ゲンジの御霊よ、ご覧あれ。サクラメントを導く新たな王を祝福し給へ。サクラ=サク=サクラメントこそは、ゲンジの血をひく正統なる継承者である。この大司祭アンブラが、先王に代わり秘密の印を授け、即位の儀を執り行うものである」
どうしようもなく狭く、ガラガラと五月蠅く、激しく揺れる式典場で即位式が強行される。厳かさもへったくれもないが、そのアバンギャルドさに「いとをかし」をプリンセスは感じている。――ちょっぴり笑えてくる。
「王女サクラよ。汝は王国の魁となり、栄えある世を築くことを誓うか?」
「誓うわ」
(そこは『誓います』ですぞ!)
(え~っ? 爺や細かすぎ)
鋭く睨まれたので素直に従う。プリンセスなのに!
「誓います」
「よろしい。ならば、その御手を掲げ給へ」
「はい」
(姫さま……それではバンザイですぞ)
(えへへ、ごめんなさい)
プリンセスは白い手袋を脱いで、右手を前へと差し出す。
大司祭は、振り子を持っていない方の掌を、掲げられた右手の甲へと重ねる。重ねた隙間から仄かにコロイド光が洩れる。
「熱っ……!? 熱いったら!」
「ガマンなされぃ!」
光はやがて終息し、大司祭が掌を離すと――プリンセスの右手の甲には、一つのルーンが刻まれている。切創でも焼きゴテを当てられたような痕でもなく、淡い光のラインが紋様として定着している。擦っても消える気配はない。
「かなり略式ではありますが、あとは加冠をもって即位となります」
大司祭はふぅと小さく嘆息し、
「数百年前にも、戦火の中で即位が執り行われた記録がありますが、流石に『移動しながら』は姫さまが史上初となりましょう」
脇に置いてあった金の王冠を取る。
「それって……お父さまの?」
「はい。先王が冠されていたものです。サクラメントの王に代々引き継がれし冠ですぞ」
プリンセスはティアラを外し、軽く頭を下げる。
大司祭の手で、今、王冠が乗せられた。
「おめでとうございます、姫さま……いえ、クイーン・サクラ」
皺に潰されそうな細い双眸をうるませ、大司祭は続ける。
「大きゅうなられました」
……。
サクラも感慨を噛みしめ、ゆっくりと言語化していく。
「あたし、つい昨日まで夢をみてた。――夢見がちな言い訳屋だった。いつか勇者さまが来てくれる、勇者さまが現れたら本気出すって」
「姫さま……」
「そして、勇者さまは現れた」
元プリンセスは、その精悍な顔立ちを大司祭へと向ける。
「あたしの人生、ここでガンバらなきゃ嘘でしょ!」
いたずらっ子のようにニッと笑ってみせる。
言い訳してたモノにまで嘘をつきたくない。勇者さまが言ってたみたいに、あたしは姫騎士にだってなるし女王にだってなる。逃げたりしない。
「平和な世界をつくるって、勇者さまは約束してくれた。ちからになりたいの。…ううん、ちからになりたいのは本当だけど、ちょっと違う」
ねぇ、爺や。
あたし、あたしね?
サクラ=サク=サクラメントは宣言する。
「――あたしも、勇者になる!」
(つづく)