あの景色が見えなくなった日。
「マリカ、今日はここまでよ。」
「えぇ!?キツネさん、どうなっちゃうの?」
あたしはもう少しお話を聞きたかったのに、ママは早く寝るのよ、と私の肩を摩っていたの。
うー、悔しいなぁ。あたし仕方なく、窓から見えるお月様におやすみを言ったの。
今日はパパが寝かしつけてくれたよ。ママよりパパの方が、お歌が苦手なんだ。
「悪かったな。」
パパは少し拗ねちゃったけど...
「ママは昨日、何の本を読んでいた?」
「ううん、絵本じゃないよ。」
あたしは言ったの。
「キツネさんのお話。」
「...キツネ?」
パパは眉を曲げて首を傾げたんだけど..
「あぁ。わかったよ。続きが聞きたいのか?」
とお話を続けてくれたんだ。
どうも最近ゾロの姿を見ないと思っていたの。ゾロはもう、人間としてのひとつの生活を築いていた。
「ここは?」
私はエレベーターという狭い空間にゾロと2人で乗ったの。何だかぐわんと体に空気が重くのしかかってくるし、薄暗いし、私はちょっと苦手。
「ここはどこ?」
私はボソッとつぶやいた。
「俺の家。」
気がつくとエレベーターの扉は開いていた。私はゾロに連れられて、灰色の廊下を歩いたの。
「すごい。」
草むらで寝ている私にとっては、家の奥に置かれた大きなベッドには感動したわ。飛び込んでみなよ。ゾロはそう言って笑っていた。
人間として生きていく上で1番大切なことは、働いてお金を稼ぐことだとゾロは教えてくれたの。
でも、私の頭にはいくつか疑問が浮かんだ。ゾロはどうやってお金を稼いで、どのように人間としての地位を得たのだろうか?私はその方法を聞いてみたの。
「神様、知ってるか?」
「神様?」
きっと私は、不審者のようにゾロを見ていたのだろう。ゾロは私を見て、ふふっと笑う。いつもの鋭い目を、ブーメランのようにカーブさせ垂らして。
「知らないだろうな。ま、すぐにわかるようになる。避けては通れない道だから。」
「?」
ゾロはその場では詳しくは教えてくれなかった。ただ、私がゾロの言う神様に会うことになるのは、すぐ後のことだったのだけれどね。
「お前は今、いくつだ?」
ゾロは出してくれた冷たい紅茶を飲みながら私に言った。
「一歳半。」
「若いな。」
キツネの寿命はおよそ10年前後。ただ、人間に捕まる者も多い。2.3歳で生きたまま皮を剥ぎ取られ、苦痛の波に苛まれながら命を落とす者もいる。
だから私は忌子だと言われたの。私の親は、それで亡くなっていたから...
しばらくは人間と狐、交互に入れ替わる生活を強いられることになったの。でも私はまだ、人間と狐と、うまく切り替えられることができなかった。ゾロの元と山とを行き来する生活を送ることになった。
遠くから見る街は美しかった。けれど、実際に降り立ってみると、化けの皮はぺりぺりと音を立ててめくれ上がっていた。
私は街の空気が嫌いだった。何の匂いだろう。食べ物の匂いや油の饐えたようなツンとする匂い、化学薬品の目に滲みる匂い。私は吐き気を催した。口から変な煙を吐いている人もたくさんいた。煙草というハーブだと私はゾロに教えてもらった。
あんなに綺麗な風景を作り出していたところなのに。私は幻滅していた。
街に来るときは、必ず人間の姿でいること。ゾロは何度も口を酸っぱくして言った。私は神経質なのだろうか。太陽の光を浴びて白く輝く石畳も、近くで見ればゴミが落ちていた。
私は戸惑った。見てはいけないものを、見てしまったかのように思えた。そして私は、再度自分の居場所を失った。