究極のスープforわがまま姫
ポーラスター号の3人のクルーは、食事の時間が来るたびに、うんざりしていた。
特にこの船のオーナーであるアルビオン星第一皇女シアン殿下のうんざりさ加減は、限界に達していた。
「なんで、こんなインチキスープを飲まなきゃなんないのよっ!」
シアンはまだ15才のお嬢ちゃんである。その点、他の2人のクルーはいくらか大人だった。
船長のリョオは言う。
「何をおっしゃいます、姫。このスープは高価かつ美味なことで銀河にその名を轟かせるユニオン食品の『For Space ボルシチ缶』ですぞ」
そうしてリョオはスープの缶を右手で突き出す。
そこに、コック兼ムードメーカーのドォンがまた缶を取り出して……。
「そうそう、そしてこれが“ボルハチ”」
ある種の極限時に、こんなしょうもないユーモアを言えるのは、リョオが十分に経験を積んだ齢60歳を超える宇宙の船乗りだからであり、それ以上に、ドォンと良いコミュニケーションが取れているということの証明だ。
しかし、姫の怒りはさすがに鎮まらなかった。
「その、たいして面白くもないミニコントシリーズ【スープ編】もそろそろ聞き飽きてるの」
ごもっとも、と苦笑いするリョオとドォンだった。
そもそもはシアン姫が悪いのだ。
思い起こせば2日前、父王の「シアンもちょっと来い」の一言で、留学中の星から父王の滞在するバカンス星へ行くことになった、その時。
「あたし、最近ユニオンの『For Space』シリーズのスープにこってるの。宇宙空間で飲む『For Space』なんて、いい感じ♪」
などと、激安のワンコイン・マーケットで大量のレトルト缶スープを買い込んできたのだ。
もちろん、コックのドォンは「せっかくの腕を発揮する場所がない」とさめざめと泣いたが、シアンに却下された。
悲劇は離陸後3時間経過した、ちょうど亜空間航行に入った時に起こった。
夕食時、シアンがお気に入りのスープ缶を取り出し、電磁気レンジで加熱して出来立てのスープを一口飲んだ。
「すっごくマズイ」
缶をよくよく見てみれば、それは「ユニオン」ではなく「コニオソ」だった。
最悪である。
しかし、宇宙船ポーラスター号は亜空間に入ってしまった。
亜空間にフードマーケットは、ない。
亜空間を抜けるまで、あと2日。その2日間はなんとしてもこの上なくマズイ、インチキスープで胃を満たすことが、宇宙船ポーラスター号クルー3人の現時点での今後の運命だ。
「ドォン、あんた仮にもコックなんだから、このマズさをなんとかしなさいっ」
世にも理不尽なシアン姫に見かねて、リョオが意見した。
「姫、それは無理というものです。いくらドォンが腕利きのコックだったとしても、レンジでチンするだけの缶スープを、他の材料なしで美味しくすることはできませんってば」
が、しかし。ドォンはやおら手を打って、声高々と言ったものである。
「わかりました。奥の手を使いましょ」
「……ドォンちゃん、そんな手があるなら何で早く言ってくれないわけ?」
ドスという名の低音の魅力を聞かせた声で、シアン姫は不満を言った。するとドォンは口をとがらせた。
「だって、姫が言わなかったからですよ。言ってくれればすぐに奥の手を出したのに」
どんな時にもマイペースな所がある意味、ドォンの魅力だった。
「……で、ドォンよ、他の材料や調味料なしでレンジ加熱用スープ缶を美味しくするには、どうしたらいいのかね」
あきれ声のリョオに遠慮することもなく、ドォンは機嫌よく答える。
「まずは原材料を教えてください」
キャプテン・リョオは缶を手にとると、側面のラベルの原材料を読み上げた。
「ええと、赤カブ、牛肉、キャベツ、玉ねぎ、じゃがいも、ピーマン……」
「そうそう、赤カブが『For Space』ボルシチの特徴なのよ。さすが、完璧なコピーね。どうせなら味もコピーして欲しかったわ ……」
シアンのごもっともな不満を、さりげなく無視するドォン。
「ボルシチ。極寒の大地で生まれた伝統的なスープです。想像してみて下さい。
秋、収穫の季節。とれたての赤カブ、じゃがいも、たまねぎ、キャベツ。農夫さんたちの額には汗が光ってます」
「うんうん」
目をつぶってうなずくリョオに従って、シアンもしぶしぶ想像の世界に足を踏み入れる。
「じゃがいもは、実はナス科の植物だって知ってました? 芽にはソラニンが入っていて、めまいや腹痛を起こすんです。熱を加えても分解しないので、料理する時に芽を取り除くのがお約束ですね。
え~、次、玉ねぎ。あの香りは硫化アリルです。硫化アリルは血液をサラサラにして血管が詰まるのを防ぎます。熱を加えると美味しい甘みに変わります。でも、硫化アリルの効果はなくなってしまいます。
キャベツ。これは、芯に近いほどビタミンCが多く入って……」
「……って、その豆知識、いつまで続くわけ?」
そう、お腹が空いているのである。えんえんと話を聞いている場合ではない。すると、ドォンはニコッと微笑んだ。
「いいところに気づきましたね、さすが姫。そういうおちゃめな指摘が入るまでです」
あきれた様子の姫に代わってリョオが突っ込む。
「ようは、薬の効能書きを読んでから飲むとよけい効くような感じがするって言う、アレだろ」
「ん~、近いですね。さらに、こうやっている間に時間が過ぎてお腹がより空く。『空腹は最大の調味料』、これ、料理人の基本です」
シアンの不機嫌は最高潮に達した。
「……ごちゃごちゃ言わずにさっさと食べるわよ。どうせ食べるものはこれしかないんだから」
「まだ続きが……」
ドォンの意見を聞き入れず、シアンは電磁気レンジであっという間にスープ缶を温めてしまった。
あつあつのスープ缶を手早くテーブルに並べ、有無を言わさず缶を開けようとスープ缶に伸ばしたシアンの腕を、ドォンがつかんだ。
「待ってください、姫。飲む前にどうしてもひとつだけやってほしいことがあるんです」
シアン姫はいつものようにドォンの意見を抹殺すべく、ドォンの手を払い落としてスープ缶を開けようとした。が。
「シアン殿下」
鋭い一言を発して、今度はリョオがシアンの手を取った。
リョオに殿下と呼ばれた時は、逆らわない方がいい。
長年の付き合いからそれを身にしみて知っていたシアンは、さっと手を引っ込める。
ドォンは、シアンとリョオの顔を満足そうに交互に眺めると、口を開いた。
「飲む前に、このテーブルに集まってボクと一緒にスープを飲んでくれる姫とリョオさんに、この上ない感謝の気持ちを捧げます」
次をどうぞ、とリョオに視線を送るドォン。リョオは、年相応のおだやかな笑みを浮かべた。
「ゆかいなクルー、姫とドォンに感謝の気持ちを捧げる」
リョオとドォンの視線がシアンに集中する。シアンは観念したように肩をすくめ、目を閉じて祈るように、両手を組む。
「……ドォンとリョオさんに、とっびきりの感謝を」
それは大げさでもなんでもなく、シアンの本心だった。ただ、口に出して表すのが、ちょっと照れくさいだけ。
3人はお互いに顔を見合わせた。
「いただきまーす!」
3つの声が重なり、続けてスープ缶を開けるポン、という音が続いた。
この日、宇宙船ポーラスター号の航海日誌は、キャプテン・リョオの手によってこう書かれた。
――本日も亜空間航行は順調なり。
本日のディナーは、味はともかく最上だった。
Fin